日本人は学校で6年も英語を習っているのに、話せる人がこんなに少ないのはなぜか?これは日本で英語を教えている外国人共通の疑問であり、飲みの席でよく盛り上がる話題だと筆者のアメリカ人の友人(元日本在住英語教師)が言っていました。日本人はなぜ英語が苦手なのか?これには色々な仮説があります。例えば、「日本人はシャイだから」とか、「そもそも必要ない」とか…。今回は、これらの通説を否定した日本在住外国人Ken Seeroiさんのブログが面白かったので、ここで紹介したいと思います。みなさんは、彼の分析をどう思いますか?

明明日本人在学校也要学习6年的英语,但是能说英语的人为何这么少呢?这是在日本教英语的外国人共同的疑问,笔者的美国朋友(原日本在住英语教师)对我说这也是在酒桌上经常会聊到的炒热气氛的话题。那么为什么日本人不擅长英语呢?对于此有各种各样的假说。比如“日本人很害羞”、“一开始就没有必要(学英语)”之类的……。这次,因为将这些说法全部否定的日本在住外国人·Ken Seeroi的博客很有意思,因此想在这里稍作介绍。大家也一起看看他的分析如何?

日本人が英語を話せない本当の理由5つ

日本人说不了英语的5个真正理由

教育カリキュラム 要因1:授業補強時間の少なさ

日本の学生は週に1-2時間の英語の授業で、文法や語彙を学ぶ。そして、それで「学習」は終わりであるため、その後すぐにシベリアに投げ出されるような状態になってしまっている。日本の子供たちはたくさんの英語の言葉を知っているし、文法的知識も豊富なのに、それを実際にどのように使うのかを学ぶ場がない。要は習ったことを補強するための時間が不足しているのだ。英語での読書計画や、会話やディベート、プレゼンテーション、英語での映画鑑賞などに充てる時間が全くない。一人でも学べる「座学 」で終始してしまっているのが残念だ。

教育课程计划要因1:课程补习时间太少

日本的学生在每周1-2小时的英语课上要学习语法和词汇。然后,“学习”就此就结束了,之后就是立刻被忘到九霄云外去了的状态。日本的孩子知道很多英语的词句,语法知识也很丰富,但是却没有学习实际上如何使用它们的地方。总而言之就是强化学过的知识的时间不足。用英语写读书计划、会话、辩论、作报告、用英语进行电影鉴赏等活动的时间完全不足。自始至终都是一个人学习,十分遗憾。

教育カリキュラム要因2:学級“管理”を重視

先生が黒板の前の教卓に立ち、生徒たちはみんな静かに先生の言うことを聴く…。こんな昔ながらの授業風景から脱することができていないのが、英語を学ぶ環境としてマイナスになっている。先生だけが一人で話し、それをみんな良い子になって静かに聞いているのだが、実際に先生の話を真剣に聞いている人はあまりいなかったりする。日本での英語の授業風景は、「泳ぎ方」を毎週教室でレクチャー するようなものだ。

教育课程计划要因2:重视班级“管理”

老师站在黑板前的讲台上,学生们都安安静静地听老师讲课……。这种从以前开始就有的教学场景至今仍然未能摆脱,但它作为学习英语的环境来说是十分不利的。只有老师一个人在说话,学生们都像好孩子一样静静地聆听老师的话,但实际上并没有多少在认真听老师讲课的人。在日本教授英语的场景就像是每周在教室里讲授“游泳的方法”一样。

教育カリキュラム要因3:練習時間の少なさ

日本の学生はたくさんのことを学ぶが、その知識を実践することができない。持論だが、スピーキングに必要なのは情報ではなく、スキルだ。正しいやり方を知っていても、実際にやってみたら「できない」という経験は誰もがしたことがあるだろう(サッカーのテレビゲームは上手いのに、サッカーはできないとか)。英会話というのはまさにこれと同じで、実際に会話してみることが何よりも重要なのだ。知識の詰込みだけではあまり意味がない。

教育课程计划要因3:练习时间太少

日本的学生学习很多东西,但是却没能把这些知识付诸于实践。虽然是一贯的主张,但对于口语来说必要的不是情报,而是技巧。即使知道正确的做法,但是实际上尝试着做了一下之后发现“做不来”的经验每个人都有过吧(明明很擅长足球游戏,但却不会踢足球之类的)。英语会话正是这个道理,实际上尝试着进行会话比什么都重要。只是一味地灌输知识没有什么意义。

文化的要因1:無言による「応答」が許される文化

日本は無言でやり通すことが許される文化だ。というより、実際は「話さない」ことを求められる。「波風を立てない」ことをベースに、社会が成り立っているのだ。心の中で本当に思っていることを言葉にする…なんてことをしてほしいと思っている人はいない。これは子どもの頃から刷り込まれること。

文化的要因1:允许“默不作答”的文化

日本文化允许从头到尾都默默不语。与其这样说,倒不如说实际上还追求“不说话”。社会是以“不挑起风波”为基础建立起来的。没有人想要将自己心中真正所想的话说出来。这是从孩童时代开始就深深印刻在心中的。

文化的要因2:英語が「必要不可欠」だと思っていない

日本人はそもそも、英語は「選択肢」だと思っている。「必要不可欠」だと感じている人は少ない。日本では、どこもかしこも 全てが「日本語表記」だからだ。日本にいるほとんどの人が「日本人」に見える。それはまるで、日本以外に他の国が存在しないかのようだ(テレビ以外では)。日本人が英語を使わなくちゃいけない機会に接する確率は、日本でそろばん が必要になる確率と同じ…だと思っているようである。「英語を学ぶ」ことを選択して海外にいる日本人とは違って、大抵の日本人にとって「英語は必要ないモノ」なわけだ。毎日洗濯すること?これのほうが優先事項で、英語なんていつでも後で学べると思っているのである。

文化的要因2:并不认为英语是“必要、不可少的”

说到底日本人还是把英语看做一个“选项”。很少有人觉得是“必要、不可少”的。因为在日本,到处都是用“日语标记”的。他们把在日本的大多数人都看作是日本人。这简直就好像是根本不存在日本以外的国家一样(在电视以外)。日本人接触到不得不使用英语的机会的概率,我想就像是在日本必须要用算盘一样的概率。与选择“学习英语”,然后居于海外的日本人不同,对于大多日本人来说“英语不是必要的东西”。他们认为每天洗衣服与此相比是更重要的事情,英语什么的以后什么时候都能学。

いかがでしょうか。日本人が英語を喋れない理由として、英語を学ぶこと自体が日本の文化に合っていないのではないかと思います。実際に英語が話せたり、英語が好き!という人は海外に行ってしまう人が多いわけで、そのなかには「日本が合わない」、「日本が窮屈だ」という理由があったりもするのかと…。要するに、英語を本当に話せるようになった人は変わった人が多い。ある意味で、“日本のスタンダード”からズレちゃっている人が多いような気がします。そうなると、日本で当たり前に、普通に周りに合わせられて、周りと同じようにして生きていられる人が「英語なんて必要ない」と思うのはすごく自然なこと。これを無理矢理 「英語は必要」だとか、国際化だなんだと言って、英語を話せるように強制することに違和感を感じます。

怎么样?我想日本人无法说好英语的理由,是因为学习英语这件事自身与日本文化不相符。实际上能够说英语、喜欢英语的人出国的情况比较多,我想这当中是不是有“日本不合适”、“日本让人感到拘束”这样的理由呢……。总的来说,能够说好英语的人当中奇怪的人很多。从某种意义上说,感觉是与“日本的标准”相偏离的人比较多。因此,在日本要迎合周围、和周围人一样生活的人当然会觉得“英语什么的毫无必要”,这是很自然的事。若强迫他们“英语是必要的”、说些国际化什么的原因,强制他们说好英语会有违和感。

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