羽子板〔はごいた〕と呼ばれるラケットのような板ではねをやりとりする遊びで、主に新春の厄除けの遊びとして女の子に親しまれています。また、はねつきに使用される羽子板は押絵〔おしえ〕と呼ばれる伝統的な装飾法で飾られているものもあり、はねつきに使われる以外にも商売繁盛の縁起物として店内に飾られることがあります。

这是用叫毽球板的类似球拍的板子来打羽毛毽的游戏,主要用作驱除新春的厄运,而受到女孩子的喜爱。此外,羽毛毽使用的毽球板绘有叫押绘的传统装饰绘画,除毽球板以外,还用于祈求生意兴隆的吉祥物装饰在商店里面。

魔除けのお守り

驱魔护身符

元旦にはねを突き合う事で厄払い、魔よけの意味を持ちます。江戸時代には厄除けとして年末になると羽子板を贈ったようです。今でも女児の出産のお祝いとして羽子板を贈る習慣が残っています。また、はねつきのはねはその飛ぶ姿がとんぼに似ており、とんぼは病気を運ぶ蚊を食べるという事から、子供が蚊に刺されないお守りとされています。

元旦通过打羽毛毽来驱除灾厄,有着驱魔的意思。据说在江户时代,年底会赠送毽球板以作消灾之用。现在还有在女孩出生时赠送毽球板以示祝贺的习惯。由于羽毛毽的羽毛在飞过时如同蜻蜓一般,又由于蜻蜓会吃传播疾病的蚊子,所以这相当于是祈求孩子不被蚊子叮的护身符。

人気役者が写される

绘有人气艺人肖像

14世紀頃の中国で、はねを蹴り合う遊びがあり、これが室町時代に日本に伝来し、はねつきの原型になったといわれています。日本ではねつき遊びが盛んになったのは、江戸時代の元禄(1688-1704)以降で、文化・文政(1804-1830)頃から人気役者の似顔を写した押し絵羽子板が流行し、明治には全盛期を迎えました。その後、形や素材を若干変えながらも、現在におよんでいます。

据传在14世纪左右的中国有种踢毽子游戏,这在室町时代时传到日本,于是成了羽毛毽的原型。在日本,羽毛毽游戏开始盛行是江户时代的元禄(1688-1704)年间以后的事情,从文化、文政(1804-1830)年间开始绘有人气艺人肖像的贴画毽球板开始流行,明治期间迎来了全盛期。其后,尽管形状和素材有若干变化,依然传到了现在。

観賞用と実技用

观赏用与实际击球用

はねつきに使用される羽子板は観賞用の豪華なものと、実際に突き合う用の簡素なものとがあります。観賞用のものは押絵羽子板と呼ばれ、役者の似顔絵や日本舞踊をかたどったものなど華やかな柄が多くあります。

羽毛毽分为观赏用的豪华毽球板,和实际击球用的朴素板子。观赏用的板子叫肖像毽球板,多绘有艺人的肖像或是模仿日本舞蹈造型的华丽图案。

罰ゲームは顔に墨

脸上画墨的惩罚游戏

2人で対しあって行う方法(追羽子〔おいはご〕)と、1人で何回突けるかを競う方法(貸しっこ)の2通りがあります。追羽子は互いにはねの飛距離程度離れて向かい合い、交互に突き合います。失敗してはねを地面に落としてしまったら墨を顔に塗らなければなりません。「貸しっこ」は、古くから唄に合わせて遊びます。「一子(1)に二子(2)、見(3)渡しゃ嫁子(4)、いつ(5)よりむ(6)さし、なーん(7)のや(8)くし、ここの(9)じゃ十(10)よ(以下20、30と数える)」などと地域により特徴のある歌詞をつけて歌われます。

毽球分为两人对打和一个人能击球次数(日语叫貸しっこ)两种。两人对打是两人面对面站在毽球能到达的距离内,相互击打毽球。如果不小心让毽球掉落地面,就得让对方在自己脸上涂墨。“貸しっこ”则是自古和着歌曲来玩。“一子(1)に二子(2)、見(3)渡しゃ嫁子(4)、いつ(5)よりむ(6)さし、なーん(7)のや(8)くし、ここの(9)じゃ十(10)よ(以下数20、30)”诸如此类,加上各地区各自特色的歌词唱出来。

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