芥川文学奖得主又吉直树新作的考量
作者:hyowan译|来源:雅虎日本|2017年06月11日 06:30
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ピースの又吉直樹が、小説第2作『劇場』を上梓した。売れない劇作家·永田が、女優を目指す大学生·沙希と出会い、共に暮らし始める恋愛小説。売れない芸人コンビを描いた『火花』は芥川賞を受賞し、発行部数300万部を突破した。売れっ子芸人である又吉が描き出す「売れる」ことへの感性とは——。

搞笑组合·peace的又吉直树出版了他的第2部小说·《剧场》。是描绘不卖座的剧作家·永田和目标成为女演员的大学生·沙希相遇,并开始共同生活的恋爱小说。描绘不受欢迎的搞笑艺人组合故事的《火花》获得了芥川赏,发行部数突破了300万。人气艺人·又吉对于所谓的“受欢迎”有何感受呢?

「俺ら、ここで言い訳だけして生きててもあかんよな」

“我们,就算找借口生活着也是不行的”

——『火花』でも『劇場』でも、売れなくても、自分にとってのお笑いなり演劇なりの「神」を強く信じる人物を書きながら、又吉さん自身は売れてしまった。本作は、その皮肉も含めて書かれているように読めました。

——《火花》也好《剧场》也好,又吉先生创作的都是就算没有人气也坚定地相信着搞笑或戏剧“神明”的角色,不过您本人的作品十分畅销。我们可以从这次的作品当中感觉到是带着这种讽刺在写的。

又吉直樹:そういう感覚ももちろんありますし、そんなに簡単じゃないですよね、売れてない人が売れてる人を見るときの感覚というのは。ほんまにちゃんと捉えきれているのか。

又吉直树:当然会有这个感觉,不过不畅销的人看畅销的人的时候的感觉也不是这么简单的。我真的好好地捕捉到这个感觉了吗?

——主人公の永田は、悲壮な覚悟で自らの信じる演劇に賭けています。登場する人物もみんな熱い。純文学でもファンタジーの要素やSF的な設定を使った作品も多いなか、このような、リアリズムに徹した熱い作品をなぜ書こうと思いましたか。

——主人公永田以悲壮的觉悟把全部都赌在了自己信任的演戏上。登场人物们也十分热情。纯文学当中也有很多作品使用了幻想的要素和科幻的设定,尽管如此你为何还将现实主义贯彻始终写下了这部让人热血沸腾的作品呢?

又吉直樹:僕が感じる文学のおもしろさは、昔の人が書いたものが、いま流行っている何よりも強い強度を持って迫ってくることでした。だから、流行を追いかけることや、それを最前線でキャッチするということを、あまり信じられていない部分があって。

又吉直树:我所感受到的文学的趣味,是以前的人写下的东西比现在流行的任何东西都让我受到强烈冲击这一点。因此,对于追求流行、把握流行最前线这件事有些无法信任的部分存在。

——――一方で、『劇場』では、「時代の最先端」を体現するような劇作家がライバルとして登場し、永田は嫉妬に苦しみます。又吉さん自身は、流行や軽やかさを否定していない。

——另一方面,在《剧场》当中,登场人物当中有一个像是体现着“时代最前沿”感觉的剧作家作为对手出现,永田陷入了嫉妒的漩涡。又吉先生本身并没有否定流行和轻松。

又吉直樹:流行りに左右されたくないという気持ちは真実としてありますが、僕がその信念を掲げたとして、最先端で勝負している人たちに勝てるかといえば、それはまた別の話です。「おもろいもん勝ち」。僕の中で、それだけが動かへんものなので。

又吉直树:不想被流行左右的这份心情是真实存在的,但是如果说我是否能够胜过在最前沿决一胜负的人们的话,那又是另外一回事了。“有趣即是胜利”。在我心中,只有这一点是不会变的。

——芸人として「尖る」部分と、広く売れようとする部分、両方がある。

——作为搞笑艺人有“尖锐”的部分和想要广受欢迎这双方面。

又吉直樹:芸術性を高めた上で、商業性を無視せずに、どういろんな人に伝えるか。その作業が実はいちばん難しいと思っているんです。

又吉直树:在提高艺术性的基础上,又不忽视商业性,如何才能传达给各种各样的人呢?我想这件事实际上是最难的。

——『劇場』はそれに成功しているから、驚いています。

——因为《剧场》在此方面很成功,所以很震惊。

又吉直樹:全然できたとも思っていないんですが、『火花』で言うと、1作目を書いた時点で、「2作目は?」と言われる状況でした。芸人が小説を書いたことが注目されていた。書いた僕としては、寂しいな、作品読んでほしいなという気持ちもある。でも僕は芸人ですから、そこで意固地になってもおかしいですよね。だから、(文学に対しては)「ちょっと待っててくださいね、僕、ちゃんとやりますから」という意識はありました。それに、芥川賞は僕だけのものでもない、これからとっていく人のためのものやとも思っているので、そこはちゃんとやろうと決めていました。それであかんかったら、ボコボコにされるだけじゃないですか。「2作目全然おもんなかったね」みたいになるかもしれへんけど、ちゃんと向き合わなければいけないと思っていた。

又吉直树:完全没有认为自己做得很好,以《火花》来说,因为是刚写完第1部作品这个时间点,所以总是被问到“第2部作品什么时候写啊?”的状况。因为搞笑艺人写小说这一点被人关注。对于作者的我来说感到很寂寞,有想让别人多多阅读(关注)我的作品的心情。但我是搞笑艺人,固执于这一点的话也很奇怪。因此,(对于文学)我有着“稍微等我一下,我会好好做的”这样的认识。并且,芥川赏并不是我一个人的,是为了以后获得这个奖的人的,因此我决定要好好地做下去。如果不行的话,也只是被打回原型而已不是吗。也许会有人说“第2部作品完全没意思啊”,但是我认为必须要去面对它。

太宰を読んだとき、「ダウンタウンやん」と思った

读太宰治的作品的时候,想着“这不是ダウンタウン(日本搞笑组合)嘛”

——又吉さんが書かれたものを読むと、太宰治のような近代文学の作家と、テレビで見て憧れたお笑い芸人、どちらも同じように影響を与えている気がします。

——阅读又吉先生所创作的小说,就会感觉到无论是像太宰治那样的近代文学的作家、还是在电视上崇拜的搞笑艺人都同样给你带来了影响。

又吉直樹:それはあると思います。僕はダウンタウンさんがすごく好きだったんですが、中2で太宰を読んだとき、「ダウンタウンやん」と思いました。自分では感じているけど人前では恥ずかしくて言われへんこと、いっぱいありますよね。僕が人に秘密にしていたことを、太宰は次々と暴いていってるんですよ、『人間失格』で。何十年も前に。自分の感覚として持っているものが、明確に切り取られて表現されているという驚きが、お笑いの先輩たちの番組を見てもあったし、近代文学を読んでもありました。だから、僕からしたら、文学とお笑いは最初からすごく近いんです。たとえば、「太宰の短編でね」と、書かれていることをしゃべると、みんなすごい笑ってくれるんです。

又吉直树:我想确实有影响。我过去很喜欢ダウンタウン,中学2年级的时候在读太宰治的作品时,想着“这不是ダウンタウン嘛”。虽然我自己这么想着,但在别人面前感到很害羞而无法说出口的东西有很多。我对别人保密的事情,太宰治接二连三地把它揭露出来了,在《人间失格》当中。几十年前。自己心中的感觉就这样切实地被暴露出来的感觉,在观看搞笑艺人前辈们的节目的时候有过,在读近代文学的时候也有过。所以,在我看来,文学和搞笑从最初开始就十分相近。比如“太宰的短篇”,将其中用文字写出来的东西用话说出来的话,大家都会笑出声来。

——又吉さんは今、極めて例のないポジションにいらっしゃると思います。一方で、太宰治も、自ら「太宰治」を演じていた部分もあるのではないかと思うんです。

——又吉先生现在正处在极端特殊的位置。另一方面,我想就算是太宰治也有他自己演绎的“太宰治”的部分存在。

又吉直樹:はい。

又吉直树:是的。

——又吉さんもそういう演技意識はありますか。自ら「文学者」を演じているような。

——又吉先生有这样的演技的意识吗?像自己在演绎“文学家”这样的。

又吉直樹:どうでしょう。そこはもしかしたら天然かもしれません。でも僕はやっぱり自意識過剰やから、何をやったら恥ずかしいか、全部わかっているつもりなんです。この現代で、「太宰好き」と公言して、中央線沿いに住んで、着物を着たら、もうアウトなんです。絶対おもんないですよ、そいつ。迷いがあるならやめたほうがいい。でも、僕の中には迷いがなかった。

又吉直树:是怎样呢。我这一点也许有些迟钝。但是我果然还是会有些自我意识过于强烈,我充分了解到自己做什么事情会害羞。在现代,公开说“自己喜欢太宰治”、住在中央线附近、穿着和服已经过时了。绝对很无聊,这家伙。如果感到迷茫的话那么就放弃比较好。但是,我并没有迷茫。

——それはいわゆる「キャラ」とは違いますか。

——这就是所谓的“角色”,是吗?

又吉直樹:演じている意識はほとんどないですね。それで、テレビに出るようになると、トピックとして扱われるじゃないですか。「又吉が普段、着物を着るらしい」。みんなから変わり者と見られたときに初めて、そこに対する自意識が生まれて、キャラになってしまう。僕が信じてやっていた行為がキャラになってしまう、「又吉が又吉やってんな」になるから、それ以降はできなくなりました。ほんまのことを言えば、「太宰好き」と言うのはめちゃくちゃ勇気いりますよ。サッカーでも、「サッカー選手3人しか知らんなかでマラドーナ好きって言ってるんじゃないねん」という意識がありましたが、「本が好きで、いっぱい読みます」と言いながら、「好きな作家は」という質問に「太宰です」と答えるのは、けっこう勇気がいります。

又吉直树:几乎没有演绎的意识呢。因此,当出现在电视上就会成为话题不是吗。“又吉平时好像都穿和服”。最初被大家说成是怪人的时候,对于此就会产生自我意识,然后就会变成自己的“角色”。我自己出于自己信念而做的事变成了“角色塑造”,变成了“又吉在饰演又吉”,所以从此以后我就变得无法再做同样的事了。说真的,说出自己“喜欢太宰治”真的很需要勇气。对于足球,因为有“只知道3个足球选手,就会说自己喜欢马拉多纳”这样的意识,但一边说着自己“喜欢看书,读了很多书”,一边对于“喜欢的作家是?”这个问题,回答出“太宰治”,就需要很大的勇气。

——「本当はわかってないんじゃないか」と思われそうで。

——可能会被认为“你实际上不是也不了解(文学)嘛”。

又吉直樹:もう少し相手が「え、誰ですか?」というような作家を言いたくなりますよね。でも僕は太宰と言い続ける。僕、太宰の小説を100回ぐらい読んでるんですよ。中学生のときに読んだ1回と、大人になってから読む何十回とでは、同じ景色でも違う景色に見えているということがあると思います。本って書かれてることが一緒やから、何回読んでも一緒ってみんな認識してるけど、実は全然そうじゃない。

又吉直树:会有一些人就会想要说出一些让大家“诶?是谁?”这样的作家。但是我却继续说我喜欢太宰治。我读太宰治的小说大概读了100回。中学的时候读了1回,成为了大人之后读的这几十次,我想即使是同样的景色也能品出别样的风味。大家认为书中写的东西是一样的,所以无论读多少次都是一样的,实际上完全不是这样。

——読むたびに違いますよね。

——每次读都有不同的感觉。

又吉直樹:そういう意味でいうと、「文学者」というよりは、「文学青年」を演じている部分はあるかもしれません。いついかなるときに、テレビで好きな作家を聞かれても、ほぼ太宰、芥川で返すという。それは、みんながわかる言葉で、みんなの入り口になる作家を言わないとと思うから。自分がおいしいと思ったものを人に薦めて、一人でも「ほんまや、おいしいな」と言われたらうれしいですよね。そのうれしさと同じものを、文学でも味わいたいんです。

又吉直树:从这个意思上来说,相比较于“文学家”,也许有扮演“文学青年”的成分在。无论什么时候,即使在电视上被问到喜欢的作家,几乎都会回答太宰、芥川。这是因为我觉得必须用大家都知道的语言、说对于大家是入门级的作家。将自己觉得好吃的东西推荐给别人,即使只有一个人回答说“真的,很好吃啊”的话我也很开心。我想在文学当中也同样体会到与其相同的这份喜悦。

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