我が国は、世界で群を抜く「
老舗企業大国」である。創業100年を超える老舗企業が、個人商店や小企業を含めると、10万社以上あると推定されている。その中には飛鳥時代、西暦578年に設立された創業1,400年の建築会社「金剛組」だとか、創業1,300年になろうかという北陸の旅館、1,200年以上の京都の和菓子屋など、1,000年以上の老舗企業も少なくない。
日本是世界上出类拔萃的“老字号企业大国”。包含个体经营的店铺和小企业在内,创立超过百年的老字号大约有10万家以上。其中还有不少拥有千年以上的历史。比如创立于飞鸟时代(公元578年)约有1400年历史的建筑公司“金刚组”,创立约有1300年的北陆的旅馆、和创立约1200年位于京都的点心店等。
ヨーロッパには200年以上の会社のみ入会を許される「エノキアン協会」があるが、最古のメンバーは1369年に設立されたイタリアの金細工メーカーである。しかし、これよりも古い会社や店が、我が国には100社近くもある。お隣の韓国には俗に「三代続く店はない」と言われており、せいぜい創業80年ほどの会社がいくつかあるに過ぎない。中国でも「世界最大の漢方薬メーカー」北京同仁堂が創業340年ほど、あとは中国茶、書道用具など100年以上の老舗が何軒かある程度である。
欧洲有一家只有拥有200年以上历史的公司才能进入的协会,协会成员中最古老的公司成立于1369年,是一家意大利金饰制造商。然而在日本,比它历史更悠久的公司或店铺将近有100家。韩国有一句俗语“开店不过三代”,意思是能坚持80年左右的公司顶多只有几家。即便是在中国,拥有“世界最大中药制造商”名号的北京同仁堂创立至今也不过340年左右,而与茶叶、书法用具相关的百年老店更是寥寥无几。
さらに興味深いのは、100年以上の老舗企業10万社のうち、4万5,000社ほどが製造業であり、その中には伝統的な工芸品分野ばかりでなく、携帯電話やコンピュータなどの情報技術分野や、バイオテクノロジーなど先端技術分野で活躍している企業も少なくないことだ。
更有趣的是,日本10万多家百年老字号中,约4.5万从事制造业。这之中除了有制作传统工艺的企业以外,还有涉及手机、电脑等信息技术领域的企业,更有不少活跃于生物工程等前端技术领域的企业。
そんな企業の一つが東京の田中貴金属工業である。明治18(1885)年に東京の日本橋で
両替商「田中商店」として出発した。明治22(1889)年には、白金の工業製品としての国産化に成功。以来、貴金属の売買と加工を二本柱としてやってきた。現在の代表製品の一つが、金の極細線。最も細いもので直径0.01ミリ、髪の毛の1/8ほどの細さのものが作られている。たとえば携帯電話でバイブレーションするものは、大きさ4ミリほどの超小型モーターが使われているが、そのブラシに極細線が使われている。そのほか、車のミラーを動かす超小型モーターにも、適用されている。金は錆びないし、熱や薬品にも強く、導電性も高い。さらに薄く長く伸ばせる。1グラムの純金を、太さ0.05ミリの線にすると、3,000メートルにもなる。 そうした貴金属の特長を、長年磨いてきた加工技術で引き出しているのである。今や世界中で使われる金の極細線の大半は、田中貴金属が供給している。 同社ではさらに、プラチナでガン細胞の成長を抑えるとか、銀にカドミウムを加えて接点としての性能をあげる、など、貴金属の新しい特性を引き出す革新的な研究開発を続けている。同社の技術開発部門長の本郷茂人(まさひと)氏はこう語る。 同社の技術開発部門長の本郷茂人(まさひと)氏はこう語る“貴金属のほうから、そういう特性を世に出してくれ、出してくれって言っているような気がするんですよ。われわれが特性を探し出すんじゃなくてね。世の中に出してくれ、出してくれと言っているものを出してやるように努力するのが、われわれの仕事じゃないかと思うんです。”
田中贵金属工业就是一家这样的企业。它创立于明治18年(1885年),位于东京日本桥,由最初经营兑换的“田中商店”发展而来。明治22年(1889年),成功将白金工业制品国产化。从那以后,贵金属的买卖和加工成为公司的两大支柱。现在公司的代表产品之一就是极细金属丝。最细的直径只有0.01毫米,约为头发直径的1/8。让手机震动的大小4毫米的超小发动机、让汽车后视镜能转动的超小发动机等等里面都安装了极细金属丝。金不易生锈、耐热耐腐蚀,导电性也很好。还可以任意压缩拉长。1克纯金,大约可以制作出3000米直径0.05毫米的金属丝。通过加工技术还能更好地发挥出贵金属耐磨的特性。当今世界上大部分极细金属丝的货源都是由田中金属供给。该公司还提出白金能抑制癌细胞生长、银中加入镉就会有切点的性能等。总之还将继续进行各种能发挥出贵金属新特性的革新研究开发。公司技术部部长本乡茂人说“我们希望将贵金属的特性展示给大家,我们也在不断探索,努力做到将它展示给大家,因为这是我们的本职工作。”
携帯電話の中で、折り曲げ可能なフレキシブル.プリント基板配線用の銅箔では、日本国内のライバル1社と合わせて世界シェアの9割を占めるのが、京都の「福田金属箔粉工業」である。設立は元禄13(1700)年、赤穂浪士の討ち入りの2年前に、京都.室町で金銀箔粉の商いを始めた時に
遡る。創業300年以上となる老舗である。以来、錫箔、アルミ箔、銅粉、アルミ粉など、箔粉技術一筋にやってきた。金箔の技術は仏教とともに渡来した。寺院や仏像、仏具の装飾に、金箔が広く使われていた。当時の製法は金の粒を狸の毛皮に挟んで、槌(つち)で叩いて伸ばしていく。極細線と同様、髪の毛の1/8ほどの薄さに引き延ばす。比率で言えば、10円玉の大きさの金を畳2畳ほどに広げる勘定になる。伝統的な職人の間では、次のように言われている“金箔は人の心を読む。機嫌の悪いときには言うことを聞かない。時には嘲笑(あざわら)ったりする。金箔は生きているから”。福田金属も、こういう職人気質を受け継いで、世界最高品質の銅箔を作り続けているのだろう。
铜箔连接手机的电路板,使手机能随意翻转。其制造商是京都“福田金属箔粉工业”,与日本国内一家竞争对手合并后,其产品份额在全世界范围内达到9成以上。该企业成立于元禄13年(1700年),当时在京都室町一带出售金银箔粉,至今已有300多年历史。之后一直致力于锡箔、铝箔、铜粉、铝粉等箔粉技术的开发。金箔技术和佛教同时期传入日本。金箔被广泛用于寺院、佛像、佛具等建筑装饰。当时的制作方法是将金子的颗粒放入貉的毛皮中,然后用锤子不停捶打成薄度只有头发直径1/8的金片,大约需要两块10元硬币大小的金子。传统匠人之间流传着这样一句话“金箔可以揣度人心,你生气时说的话它不会听,有时还会嘲笑你,因为它是有生命的”。福田金属也一定会继续承继这种匠人精神,不断开发制造出世界上最高品质的铜箔吧。
香川県の勇心酒造株式会社は、安政元(1854)年創業で、すでに160年以上の歴史を持つ。現在の当主.徳山孝氏は5代目である。徳山氏が30歳の若さで、勇心酒造を継いだ時、清酒業界はすでに斜陽で、老舗の造り酒屋が次々と倒れていった。東大大学院で酵母を研究した徳山氏はコメと醸造.発酵技術を結びつけて付加価値の高い商品を作ろうと考えた。先祖伝来の土地を切り売りしながら、毎年1億円以上を研究開発に注ぎ込んだ。むかし米が湿布薬に使われていたという古文書の記述をヒントに、ようやく昭和63(1988)年にライスパワーエキス入りの入浴剤を開発して売り出したところ、たちまち年間300万本のヒット商品に成長した。
香川县勇心造酒股份有限公司创立于安政元年(1854年),已有160年以上的历史。现在的主人是徳山孝氏第5代。德山氏30岁继承公司时,正值清酒业的黄昏期,很多古老的造酒商相继破产。当时在东大读研的德山氏就思考如何将米和酿造发酵技术结合制作出高附加价值的商品。为此,德山氏将祖上传下的土地卖掉投入到研究中,每年大概投入一亿日元。通过古书中记载的湿布中放入大米可当药敷的启示,终于在昭和63年(1988年)研发出大米精华沐浴乳。一经上市就成为年度销量300万的畅销商品。
しかし、ある大手製薬会社が詐欺同然のやり口で徳山氏の開発した製法を知り、同様の製品を売り出したため、売上げは激減、倒産一歩手前まで行った。そこに通産省が産業基盤整備基金を通じて3億6,000万円を融資してくれ、また地元の通販社長が「おカネ、困っとるんやろ」と1億円をぽんと貸してくれた。それを元手に徳山氏は商品開発を続け、平成14(2002)にアトピー性皮膚炎に効く「アトピスマイル」を売り出した。それまでに使われていたステロイド剤の副作用がまったくないので、アトピー性皮膚炎の子どもを持つ母親からは「救世主」並の人気を集め、口コミだけで1年で12万本売れた。さらに化粧品会社コーセーから、皮膚の水分保持能力を改善する「モイスチュア スキンリペア」を売り出すと、年間100万本を超す大ヒット商品となった。遺伝子組み換えなどで自然界にない生物を作りだす西洋型のバイオテクノロジーに対して、日本古来の発酵技術の組み合わせによって、安全な新製品を開発するのが、日本型バイオテクノロジーだと徳山氏は言う。
可是,某家大型制药公司通过欺骗的手段获得了德山氏的产品开发方式,制作出了同样的商品,导致其销量大减,濒临破产。为了维持企业发展,德山氏向通产省产业基盘整备基金融资3.6亿并向当地通贩社长贷款1亿,继续潜心研究新产品。终于,平成14年(2002年)一款针对过敏性皮炎的产品上市。因其完全没有任何副作用,在妈妈群里聚集了超高人气,被妈妈们称为孩子的“救世主”,据说年销售量超过12万支。后又以化妆品高丝为起点,研发出改善皮肤保湿能力的产品,上市以后年销量突破百万。德山氏说“西方生物科技是在改变遗传因子的基础上用非自然界生物生产产品,而日本的生物科技则是与古代发酵技术相结合,开发的新产品更安全可靠”。
「株式会社セラリカNODA」というと、いかにも現代企業のようだが、創業は天保3(1832)年で、すでに180年近い歴史を持つ。福岡で木ロウの製造と販売を営んできた。木ロウはウルシ科のハゼの木などの実に含まれる脂肪分を抽出して作られ、ロウソクや鬢付け油に使われた。近代に入ってからは男性整髪料ポマードの原料としても使われてきた。しかし、昭和40年代半ばにヘアトニックなどの新しい整髪料が登場すると、家業は危機に瀕した。ちょうどその頃、先代社長が急逝し、広島大学で情報行動科学を学んだ息子の野田泰三氏が、急遽、会社を担うことになった。野田氏が、木ロウの新しい用途はないかと考えていた時に、ひらめいたのが、自分が学んだ情報分野の知識から、コピー機のトナーに使えないか、というアイデアだった。木ロウは熱に溶けやすく、しかもその後すぐに固まる。この特長を生かせば、印字しやすく、かつ擦れにくいトナーができるはずだ。おりしもコピー機業界はアメリカのゼロックス社の独壇場を崩すべく、まったく新しいトナーを作り出そうという気運が高まっていた。野田さんは、飛び込みでキャノンやリコーに売り込みをかけ、その主張が実験で裏付けられるや、トナーの添加剤として次々に採用されていった。こうして日本古来の木ロウ技術が、情報産業の最先端に取り入れられたのである。
说到Cerarica Noda,大家可能会认为是个现代企业,但其实际创立于天保3年(1832年),已有180年历史。是一家在福冈从事木蜡制造与贩卖的企业。木蜡是从野漆树果实中提取出的脂肪制作而成,被用于制作蜡烛和整理鬓角用的发蜡。进入近代后,还被用作男性润发油的原料。可是,昭和40年左右,生发液等新型产品的出现,导致企业面临危机。前社长也在那时突然辞世,在广岛大学读信息行动科学的儿子野田泰三氏不得不赶回家中担起继承家业的重任。野田氏在研究木蜡的新用途时,突然闪现出自己专业上的知识,就想着能不能将它运用到复印机的色粉里。因为木蜡遇热易溶,而后会很快凝固。利用这个特性制作的色粉,不仅打印时容易着色,打印出来的字迹也不易脱落。为了打破当时被美国垄断的复印机市场,制作出新色粉的想法愈演愈烈。野田首先将这种技术运用到佳能与尼康,印证了其主张的正确性,后逐步被采用。日本古老的木蜡技术就这样被运用到先进的信息产业 。
ロウは昆虫からも採れる。カイガラムシは樹液を吸ってしまう害虫だが、真っ白な「雪ロウ」を分泌する。この雪ロウは光沢があり、化学的にもきわめて安定しているため、防湿剤や潤滑剤、カラーインクの原料として、有望な可能性を秘めている。野田氏は、中国側と共同して、カイガラムシが好むモチの木を、内陸部の雲南省と四川省の山間部に50万本植え付けた。これをカイガラムシに食べさせ、雪ロウをどんどん分泌させる。これを現地の農民が採取し、日本で製品化して販売する。中国での環境保全と農民の貧困救済を同時に追求できる。野田氏は語る。いままでの「殺す発想」から「生かす発想」に転換する必要がある、と野田氏は説く。
昆虫身上也能采集蜡。介壳虫虽是一种害虫,但是它却可以在吸食树液后分泌出一种雪白的“雪蜡”。这种雪蜡光泽亮丽、化学结构稳定,作为防潮剂、润滑剂、彩墨的原料,有很大的潜能。野田氏与中国合作,在云南省和四川省境内的山区种植了50万颗冬青树。以此获得雪蜡,再由当地农民采集,日本加工制造出售。野田氏说“这样做不仅对中国环境起到了良好的作用,还扶持了当地农民的经济。而且将杀的思想转变为了生的思想,这也是很有必要的”。
以上、日本の老舗企業が現代社会で逞しく生き抜いている例をいくつか紹介したが、そこには、ある共通性が見てとれる。第一に、それぞれの企業は、箔粉技術や醸造.発酵技術など、伝統技術を現代社会の必要とする新しい製品に生かしている、という点。時代が進むにつれて、消費者の生活様式も変わり、技術も進むので、必要とするものも変わっていく。ロウソクなどといった旧来の商品だけにしがみついていたら、これらの企業は時代の波を乗り越えられなかっただろう。「伝統は革新の連続」という言葉があるが、その革新を続けてきた企業が、老舗として今も続いている。第二に、革新といっても、自分の本業の技術からは離れていない点である。神戸市灘区の創業200年の造り酒屋が、カラオケやサラ金経営に乗り出して倒産したという例がある。本業を通じて、独自の技術を営々と蓄積してきたところに老舗の強みがあるのであって、そこを離れては、新参企業と変わらない。第三は、「金箔は生きている」「自然に生かされている」「生かす発想」などの言葉に見られるように、大自然の「生きとし生けるもの」の中で、その不思議な力を引き出し、それを革新的な製品開発につなげている点である。これはわが国の伝統的な自然観に基づいた発想であるとともに、西洋的な科学技術の「人間中心主義」の弱点.短所を補う、きわめて合理的.総合的なアプローチなのである。大学で西洋的科学技術しか学んでこなかった研究者.技術者が欧米企業と同様な研究開発アプローチをとったのでは、同じ土俵で戦うだけで、独自の強みが出ない。老舗企業にはわが国の伝統的自然観が残っており、それが独自の技術革新をもたらしたのであろう。
以上是为大家介绍的几例在现代社会依然蓬勃发展的老字号企业,它们都有着相似的共通性。第一,不管是制作箔粉的企业还是从事酿造发酵的企业,现代社会必要的新型产品的制作都要充分活用传统技术。随着时代的进步,人们的生活方式也在不断变化,技术也在不断更新、必要的东西也在变化。如果还是只拘泥于蜡烛那种古旧的产品,总有一天企业会被会被时代的浪潮掩埋。有一句话说得好“传统是创新的连续”,只有那些不断在革新的企业,才能成为老字号一直延续下来。第二,革新并不意味着摒弃原有的技术。神户市滩区创业200年的酒屋,就因盲目挺入卡拉OK 和小额信贷领域而倒闭。老字号能立足的原因在于他们总是在本职工作上孜孜不倦研究开发属于自己的技术,如果偏离这个原则,企业就难以前行。第三,大自然的一切生灵都有着不思议的力量,我们要挖掘它们的能量制作出革新的产品。这种想法基于日本传统自然观,弥补了西方科学技术“人类中心主义”的缺点,是一种极其合理的综合的探索方式。大学中只学习西方科学技术的研究者和技术人员并不能将自己的优势发挥出来。老字号因企业保留了日本传统自然观念,从而发展出各种技术革新。
アジアの億万長者ベスト100のうち、半分強が華僑を含む中国系企業であるという。その中で100年以上続いている企業は一社もない。創業者1代か2代で築いた「成り上がり企業」ばかりである。これに比べると、企業規模では比較にならないほど小さいが、100年以上の老舗企業が10万社以上もあるわが国とは、実に対照的である。『千年、働いてきました』の著者;野村進氏は、「商人のアジア」と「職人のアジア」という興味深い概念を提唱している。「商人」だからこそ、創業者の才覚一つで億万長者になれるような急成長ができるのだろう。しかし、そこには事業を支える独自技術がないので、創業者が代替わりしてしまえば、あっという間に没落もする。それに対して、「職人」は技術を磨くのに何代もかかり、急に富豪になったりはしないが、その技術を生かせば、時代の変遷を乗り越えて、事業を営んでいけるのである。これらの老舗企業が示している経営の智慧を国家全体で生かしていけば、わが国は老舗職人大国として末永く幸福にやっていくことができるであろう。
亚洲富豪排行前100名中,一半是包含华侨在内的中国企业。但其中经营百年以上的企业却一家也没有。大都是前两代创业者建立的“爆发型企业”。与日本企业规模虽小但百年老店超过十万家以上的现状形成鲜明对比。《一千年的志气》的作者野村进提出了“亚洲商人”和“亚洲匠人”这一很有趣的概念。拥有聪明才智能让自己急速成长为亿万富翁的创业者叫做“商人”。但是如果没有技术的支撑,创业者很容易因被别人替代走向没落。与之相对,匠人的技术经过千锤百炼,不管更替多少代,虽不能成为富豪,但只要技术还存在,就能顺应时代的变迁,继续经营自己的事业。若企业能将这些经营智慧分享给全国的普罗大众,日本就会作为老字号匠人大国朝着自己理想的状态持续发展下去。
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