20代、30代の若者たちと話す機会があった。

我有机会跟二、三十岁的年轻人们交流。

介護についてのイメージを聞いたところ、〈つらい〉〈たいへん〉という印象しか抱かないという。具体的にはこんな感じだった。

我就看护问题提问,大致都有“痛苦”“吃不消”的感觉。具体来说有下述感受。

〈今の生活が目いっぱいで親の介護なんて頭に浮かばない〉

“现在的生活都到极限了,没空顾及照顾父母”

〈介護について親とまったく話したことがない〉

“完全没跟父母谈过看护的问题”

〈両親も私も近所の人とつながりがないので、いざとなったらどう動けばいいのか考え込む〉

“父母与我跟邻里都不熟,有个万一的话还得苦想该怎么办”

〈真っ先にお金の問題が頭に浮かぶ〉

“脑子里马上会浮现出钱的问题”

今は彼らの両親が祖父母の介護をしている段階で、親の介護は遠い将来という認識なのだ。

现在这些年轻人还处于他们的父母赡养祖父母的阶段,认为自己赡养父母还很遥远。

そこで、質問を変えてみた。もし今、親が倒れたらどうする?

于是我改变了提问方式。如果父母现在倒下了要怎么做呢?

すると、予想外の答えが続いた。
〈自分は長男なので、最後は自分がやると思う〉
〈今まで育ててくれた親だから、面倒をみる〉
 今の若者も捨てたもんじゃないのだ。

这一来得到了很多意想不到的回答。
“因为我是长子,最后还得自己承担”
“毕竟是抚养我长大的父母,我会照顾他们的”
看来现在的年轻人也并非冷血动物。

意外なことに、日本の文化でもある家長制度を理解し、〈自分は長男だから〉〈姉や妹はいずれ嫁ぐので、男が介護するのは当たり前〉という回答が多かった。その一方で、〈兄は結婚しているので、次男の私が介護する〉という意見も出た。

让人意外的,回答多显示出对作为日本文化的家长制度的理解,“毕竟自己是长子”“姐姐妹妹迟早要嫁出去,当然是由儿子来赡养”。还有看法是“哥哥结婚了,所以就由次子的我来照顾”。

もっとも、介護を職業として考えられるかと聞いてみたら、〈まったく考えられない〉が大勢。20代の女性は〈嫁ぎ先の親の面倒は嫌〉と素直な気持ちを語っていた。

然后问了有没有想过以看护老人为职业,多数是“完全没想过”。20多岁的女性则直言“不想照顾婆家的老人”。
 
社会は介護職員を増やす施策にばかり目を向けるが、今の若者は両親の介護をやるのだ。ありがたい。

社会光是着眼于增加看护人员的政策,可没想到如今的年轻人是会照顾父母的。真是让人安慰。

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