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日本が世界に誇る唯一無二の“怪物”ロックバンド「X JAPAN」。世界への挑戦、解散、メンバーの脱退・死、洗脳騒動…そして復活。X JAPANの封印された歴史を描くハリウッド制作のドキュメンタリー映画『WE ARE X』が3月3日に公開される。その映画の制作秘話をはじめ、数々の苦悩を抱えながらも世界で活躍しつづけるエネルギー、YOSHIKIという男の生きざまに迫った。

日本值得向世界夸耀的独一无二“怪物”摇滚乐队——“X JAPAN”。进军世界、解散、成员的退出、死亡、洗脑骚动……以及(乐队)复活。描绘X JAPAN被封印的历史、由好莱坞制作的纪实电影《WE ARE X》于3月3日在日本上映。以这部电影的制作秘史为首,让我们来走近带着许多苦恼而在世界舞台活跃的“能量人物”,那个名为YOSHIKI的男人的生存模样。

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心に傷を負った人を救えるかもしれない、そう思えた

也许可以让心受伤的人获得救赎,我是这么想的

米アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した『シュガーマン 奇跡に愛された男』の制作陣が次の作品に選んだ伝説的ミュージシャンは、日本のロックバンド「X JAPAN」だった。映画『WE ARE X』は、ドキュメンタリー映画で多くの実績を持つスティーブン・キジャック監督が手掛ける。栄光と挫折、生と死、解散と復活…どんな脚本家にも描けないあまりにも壮絶な真実の物語をこれまでにない近さで描いている。

荣获美国奥斯卡长篇纪录片奖《寻找小糖人》的制作团队,他们为其下一步作品所选的描绘对象,正是传说中的音乐家·日本摇滚乐队“X JAPAN”。电影《WE ARE X》,由在纪录片方面拥有诸多实绩的Stephen Kijak导演掌镜拍摄。光荣与挫折,生与死,解散与复活……无论哪位编剧都未曾写过的、过于壮烈的真实故事,由本片在至今未有的近距离下将其刻画出来。

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映画『WE ARE X』はYOSHIKIの幼少期の父の死、ロックとの出会いに始まり、日本で音楽シーンの頂点まで上り詰めた後の海外進出と挫折、Toshlの洗脳騒動を発端にした1997年のバンド解散、そのわずか5ヵ月後にギタリストHIDEの死、初期メンバーTAIJIの死…。解散後の空白の10年間なども含め、まさに封印された歴史を紐解く作品だ。今回、どのような話で映画化に至ったのか。

电影《WE ARE X》是从YOSHIKI童年时父亲的死亡,以及他与摇滚的相遇开始,讲述了X JAPAN在日本登上音乐领域的顶峰后进军海外的故事与挫折,以Toshl的洗脑骚动为开端而引发的1997年乐队解散,此后仅时隔5个月吉他手·HIDE的死亡、初期成员TAIJI的死亡……包括解散后的10年空白期在内,这正是一部揭开X JAPAN被封印历史的作品。这次,到底是怎样的故事被电影化了呢?

「実は、20年以上前から、X JAPANのドキュメンタリーを作るべきだと多くの方から言われていたんです。今回の映画は、7~8年くらい前かな…アメリカの僕のエージェントであり友人でもある人から、映画を作るべきだと言われました。ドキュメンタリーなのか、誰かが演じるドラマなのかは置いておいて、とにかく作るべきだと。興味はあったんですが、あまりにも悲しく苦しい過去があったので、やはり無理だと断ったんです。

“实际上,从20多年前开始,就有许多人来跟我说应该制作X JAPAN的纪录片。这次的电影,是7~8年前吧……是我在美国的代理人兼友人跟我说,应该制作成电影。是拍摄成纪录片呢,还是谁来演的戏剧呢,这一点先暂且不管,总而言之就是应该要拍出来。我虽然有兴趣,但这毕竟是一段过于悲苦的过往,所以觉得果然还是没办法吧,于是就拒绝了。

1997年、東京ドームの解散ラストライブは30台を超える数のカメラで記録していました。当時のレーベルの人たちがライブ1年後くらいに「なんでラストライブの作品をリリースしないのか?」と、言いに来たこともありました。でも、見られないんです。悲しくて。最初の数分で涙が出てしまう。一部を切り取るだけでも過去を振り返ることができないのに、バンド全体のストーリーなんて無理に決まっている。そんな風に、何年もいろいろな人と「映画化はできない」という会話をしてきたんです。

1997年,我们在东京巨蛋举行的最终解散演唱会上,有超过30台摄像机记录了现场模样。当时的唱片公司的人们曾在演唱会举办约1年后过来跟我说,‘为什么不发行最终演唱会的作品呢?’。但是,这影像根本看不下去啊。因为太悲伤了,最初的几分钟就能让人流泪。就算只截取一部分也无法回顾过去,所以作为乐队整体的故事绝对是不行的。就像这样,多年来我都跟各种各样的人聊到‘无法电影化’这样的对话。

ですが、最近になって、「X JAPAN」のストーリーは人の命を助けることもできるんじゃないか、心に傷を負った人を救うことができるんじゃないか、という意見を聞くようになりました。僕たちは進行形で活動をしていますし、そういう趣旨の作品なら作ってみようという方向に変わってきたんです」

但是,直到最近,我听到了‘X JAPAN’的故事也许可以救人性命,也许可以让心受伤的人获得救赎,诸如这样的的意见。我们也正以‘进行时’而活动着,因此如果是这种宗旨的作品的话,倒是可以予以制作,(我的想法)朝着这个方向改变了”。

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苦しみ、悲しみは乗り越えずに「共存」していく

无法跨越悲苦,便与之“共存”下去

劇中では、これまでにどのメディアでも語られていなかった部分まで、YOSHIKI本人へのインタビューと密着取材によって描かれている。20数年間断り続けていたほどの、過去を振り返るというつらく悲しい作業をYOSHIKIはどうやって乗り越えたのか。

在《WE ARE X》片中,至今为止与所有媒体都未曾公开的部分,通过向YOSHIKI本人采访和贴身取材而被描绘出来。让YOSHIKI几乎20多年来不断推辞的“回顾过去”这项难过悲伤的作业,他是怎么跨越的呢?

「まず、“人に希望を与えられるものにしたい”ということがこの映画の“芯”だったので、単純なミュージックドキュメンタリーにして欲しくはなかった。ここまでの事件、壮絶なドラマを体験してしまった以上、それらをしっかりと描くということが僕らに与えられた使命ということで始まりました。ですが、インタビューにしても、最初はなかなか過去のことをしゃべれない。聞かれても黙ってしまって中断を繰り返して…なかなか核心を話せませんでした。制作期間はとても長かったので、1カ月くらいをおいて再度映画のインタビューを受けた時に、自分の中のある変化に気づいたんです。

“首先,‘想要给人予希望’是这部电影的‘中心’,所以我不想拍摄成单纯的音乐纪录片。在体验了至今为止的事件、壮烈的故事的基础上,将这些内容好好地描绘出来,正是我们决定制作这部电影后被赋予的使命,因此我们开始了这次的制作。尽管如此,即使向我进行了采访,但我最初还是不怎么能够说出过去的事。被问到问题,也是以沉默中断对话,在这之间循环往复……很难说到核心的内容。制作期间非常地长,搁置约1个月后再度接受电影采访时,我发现了自己心中的某些变化。

HIDEが亡くなった時に、僕はリーダーとして日本に帰ってきてファンの人を励ます役をしたんです。その後ロスに帰ったら心が完全にぶっ壊れてしまって、精神科の医師のセラピーを受けていました。「生きていたくない」と。当時は医師に「分かるよ」なんて言われると頭にきて帰ったりしていました。「俺の気持ちなんて誰にも分かるわけがない!」って。

HIDE死亡的时候,我作为X JAPAN队长回到日本,成为了鼓励粉丝的角色。此后我一回到洛杉矶,内心便完全崩溃了,接受了精神科医生的治疗。我说‘我不想活了’,当时医生跟我说‘我能理解哦’,我一气之下就回去了。我觉得‘我的心情谁都理解不了!’”。

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「ですが…今回の劇中インタビューの後半は「こうやってお医者さんに話していたな」っていうことを思い出していました。自分が語りたくないことと向き合うことで、それを乗り越えらるんじゃないかと思うように変化していきました。この映画の制作自体が自分にとってのセラピーのような…浄化してくれるような感じです。「今日はもう話したくない」とインタビューを中断したことが何回もありましたが、最終的には映画の制作協力を通じて、自分の中の過去に通じるドアを全部開けてしまった。精神的にも裸になりました。映画は完成しましたが、悲しみを乗り越えたわけじゃないと思うんです。心の傷は一生消えない。でも共存していく何かをこの映画で見つけられたような気がします」

“然而……在此次电影的后半段采访中,我想起了‘像这样跟医生说过话呢’的事。与自己不想说的事面对面,这应该算是一种跨越吧,我变得会这样想了。这部电影的制作,本身对我而言,就是一种如同治疗般……让我得以净化的感觉。尽管有过好几次因为‘今天已经不想再说了’而中断采访的情况,但最终我还是通过协助电影制作,把自己内心中过去通过的门全部给打开了,精神上也达到了坦诚相见的状态。虽然电影完成了,但我觉得这并不是跨越了悲伤。心中的伤是一生都不会消失的,但是与之一路共存下去这一点,我想在这部电影中应该能被看到点什么”。

「誰かを救えるような映画にしてほしい」。その映画が救ったのは、YOSHIKI自身でもあった。

“想要拍摄成救赎他人的电影”。这样的一部电影,它所救赎的人中,也有YOSHIKI自己。

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ライブ直後の楽屋の様子や、Toshl本人と洗脳事件の当時のことを語り合ったりと、長期間に及ぶ密着取材を受けたYOSHIKI。ドキュメンタリー映画制作を受けるにあたり、譲れない条件があったという。

YOSHIKI在演唱会后于休息室的样子,与Toshl本人对谈洗脑事件当时的事,长时间接受贴身取材。这样的他,在制作纪实电影这件事上,有着不能让步的条件。

「まず最初にスタッフに伝えたのは、「僕は制作に関わらない」「関われない」ということです。僕が関わるとこの作品はダメになってしまう。ただ、プロデューサーと監督は選ばせていただきました。僕が制作陣に出した条件は1つ「監督もプロデューサーもX JAPANのことを知らない人」であること。先入観をもっていない方であること。

“首先,我最初就向工作人员传达的,就是‘我不会参与(幕后)制作’、‘不会插手(幕后)’这件事。如果我插手的话,这部作品就变得不好了。但是,制作人和导演要由我来选。我向制作组提出的条件之一,就是‘导演和制作人,都必须是不了解X JAPAN的人’。也就是对X JAPAN没有先入之见的人。

大量のリストの中から、1人、『シュガーマン 奇跡に愛された男』というアカデミー賞受賞映画のプロデューサーと知り合いました。とても素晴らしい映画だったので、彼にプロデューサーとして入っていただいて、彼と映画監督を選びました。色々な監督の作品を見ていく中でスティーブン・キジャックがとてもセンスがよくて。やはり趣旨は…自分もファンの人に救われたように、この映画も誰かを救えるようなものにしてほしいと。キーワードはそれくらいのものですね。彼らも納得してくれました」

在大量的候选名单中,我认识其中一人,那就是《寻找小糖人》这部奥斯卡获奖电影的制作人。那是一部非常精彩的电影,所以我让他以制作人的身份参与进来,选择了他和电影导演。在观看各种导演的作品时,Stephen Kijak导演(的作品)感觉非常好。果然,我希望此次电影的宗旨是……让自己和粉丝们都能获得救赎,让这部电影能够使他人获得救赎。关键词就是这样,(制作人和导演)他们也理解了这一点”。

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完成作品はYOSHIKI本人の目にどう映ったのだろうか。

电影成品在YOSHIKI本人眼里是什么样貌呢?

「言葉が出なかったですね。最初は途中から涙で見えなくて。過去のできごとの一つ一つは覚えているんですが、それがまとめてこられると…もうワケが分からなかったです。ハンマーで頭を後ろから殴られたみたいでした。2~3回見ていくうちにいろいろと気づいてくることがありました。あれだけの事件が起こると、どこか頭が変になっている部分もあって。そう思いたい気持ちがそうさせたのか、「本当はHIDEは死んでいないんじゃないか」「ある日急に現れるんじゃいか」、そう思っている自分がいました。でも、この映画を見て、やっぱりこれは本当の事だったんだ、ありえないことがたくさん起こったけれど、やっぱりすべて本当のことだったんだ。なんなんだこのドラマは。だれがこんな脚本を書いたんだ…!って。逆にこの後どんな人生が待っているのかと怖くもなりました」

“我无法用言语来形容呢。第一次看时中途就哭得看不下去。虽然过去经历的一点一滴我都记得,但是将它们都汇聚到一起后……就让我不知道如何是好了。就像被人拿着锤子敲了后脑勺一般。看2~3回的时候,我注意到了各种各样的事。历经了那些发生过的事之后,我的头脑中也有些变得奇怪的部分。也许是有想让自己这么想的心情吧,‘其实HIDE并没有死吧?’、‘哪天他应该会突然出现吧?’,存在着想这些问题的我。但是,看了这部电影,我知道果然这些事是真的,尽管发生了许多让人难以置信的事,但果然这些事全部都是真的。这戏剧到底是怎么回事?究竟是谁写了这样的剧本……!像这样,这之后会有怎样的人生在等待着我,(看完电影后)我反而也变得害怕了”。

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恐くなった、と思いながらも歩みを止めることはない。世界の場を広げるYOSHIKI。ワールドツアーも好評を博し、「Born to be free」を英音情報誌「Metal Hammer」のオフィシャルで公開した際、1日で5回もサーバーがダウンする事態になったという。YOSHIKI個人としても「ゴールデングローブ賞」のテーマソングを作曲するなど活躍の場を広げ、バンドは進化を続けている。葛藤を抱えながらも前に進み続けられるのは何故だろうか。

尽管想着自己变得害怕了,但YOSHIKI并没有停下脚步,仍在世界范围内拓展着活动。他的世界巡回演出也获得好评,在《Born to be free》的音源于英国音乐情报杂志《Metal Hammer》官网公开时,1天内便出现了5次服务器瘫痪的情况。对YOSHIKI个人而言,他也通过为“金球奖”创作(颁奖礼)主题曲等而拓宽活跃舞台,X JAPAN乐队持续进化着。内心矛盾却仍能不断前行,这是为什么呢?

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「自分は1回死んでるってことですね。1回どころじゃないですね。父が死んだときは僕も死のうと思っていたし、HIDEの時も…。今いることが奇跡みたいなもので、ファンの人にいただいた第2の人生だと思っています。解散する前、Toshlがああなってしまう前、HIDEがこの世から去る前はどこか僕たちはうぬぼれていた部分があったと思うんです。

“我自己是死过1回的人呢。应该不止1回,父亲去世的时候,我也曾经想死,HIDE的时候也是一样……我现在能够生存着就像是奇迹般,因此我觉得这是从粉丝手中获得了第2次人生。乐队解散前,Toshl变成那样(发生洗脑骚动)前,HIDE离开这个世界前,我们在有些地方是很骄傲自满的。

当たり前のようにメンバーがいて、東京ドームを埋め尽くすお客さんがいて、それがいかにありがたいことだったのかこの10年で学びました。バンドの再結成なんてありえないことだったんです。逆にいうと怖いものは何もない。明日死んでもいいんだと思っています。いただいた人生をちゃんとまっとうしてファンの人たちにお返ししたいという想いがあります。海外進出は、亡くなったHIDEとTAIJIの夢でもありました。その意思を継ぐしかない。目標に向かって走る秘訣というか、「使命感」ですね。どこまでできるのかな…でも、不可能な事なんてきっとない」

成员理所当然地存在着,东京巨蛋里观众座无虚席,这是多么值得庆幸的事,我在这10年学到了这些。乐队的重组是不可能的事。反过来说,也没有什么好畏惧的。我觉得就算明天死了也是可以的。我想我应该认真过好(从粉丝手中)收获到的人生,向粉丝做出回报。进军海外,是过世的HIDE和TAIJI的梦想,所以我只能继承他们的遗志。该说是奔向目标的秘诀吗?应该说是‘使命感’才对吧。可以做到什么程度呢?……不过,一定没有办不到的事。

「さまざまなことを乗り越えて、今の僕たちが最強」と語る。X JAPAN、そしてYOSHIKIを表現するものの一つに30分を超える楽曲「ART OF LIFE」がある。病弱だった少年時代、病室の壁に囲まれて「その壁を自分で打ち破らなければ、自分はその中で死ぬしかない」という思いで作り上げた楽曲だ。今も少年時代と変わらず“やるしかない”という強い想いがYOSHIKIをつき動かしている。

X JAPAN有一首作品,是讲述“跨越各种各样的事,现在的我们是最强的”,也是呈现X JAPAN以及YOSHIKI(模样)的一首超过30分钟的乐曲《ART OF LIFE》。YOSHIKI少年时代体弱多病,被病房所困,这首作品正是他带着对那时“如果自己不打破那道墙,自己就得在墙内死去”的想法而创作出来的乐曲。如今也好,少年时代也罢,这一点都没有改变,“只能去做”这样的强烈想法促使着YOSHIKI去行动。

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「皮肉なことに、父が亡くならなければ僕はロックをやっていなかったと思うし、クラシックしかやっていなかったかもしれません。事故死ではなくて命を自分で断った、その時の怒りと悲しみと苦しみが行き場がなくなって、どんどん内に向かってしまった。そんな時にロックと出会った。ロックって泣きわめいても暴れてもぶっ壊してもいいんだと思えた。父の死により僕はロックミュージシャンになった。そういう苦しみがあったから悲しみの曲を書くようになった。すべては今につながっています」

“令人啼笑皆非的是,如果我父亲没有过世的话,我想我不会做摇滚,大概只弹古典音乐。父亲并非因事故身亡,而是自己了却了性命,那时我的愤怒、悲伤、痛苦都无处可发泄,而是统统堆积到内心中。就在那时,我遇到了摇滚。它让我认识到,玩摇滚玩到哭天喊地、乱蹦乱跳、整个人都坏了都可以。通过父亲的死,我成为了摇滚音乐人。正因为有那样的痛苦,我才能写出悲伤的歌曲。这些全部与现在联系在一起”。

強烈な個性を持つメンバーをまとめる力強いリーダーであるYOSHIKI。苦悩し、悲しみを共存するYOSHIKI。どちらも本当の姿だ。

YOSHIKI是汇聚了X JAPAN拥有强烈个性的成员们、拥有强大力量的队长,也是与苦恼、悲伤共存的YOSHIKI。哪一面都是他真正的模样。

「死の瞬間、僕は自分に問うだろう
     すべてをやり切ったか?と」(YOSHIKI)

「死的瞬间,我应该会这样问自己吧
     所有的事情都完成了吗?」(YOSHIKI)

自分の道を突き進むために必要な、自分を信じる力――「自信」はどこからくるのだろうか。

为了朝着自己的道路奋勇向前而必备的、相信自己的力量——“自信”,是从哪里来的呢?

「一つは、音楽的な自信です。僕は、“音楽的には”絶対の自信があります。それ以外の部分というのは、気にしていないわけじゃないですが、最終的に音楽で勝負すればいいと思っている。ビジュアルやいろいろな面を楽しんじゃおうというか。ある種の反骨精神です。当時の僕らの行動も過激だったと思いますが、デビューした頃はまさに“総攻撃”を食らったわけです。「こんな格好して…音楽をもっとちゃんとやりなさい」と。でも、もっとロックって自由なものだってところから始まっています」

“一方面是音乐上的自信。我觉得,我‘在音乐方面’拥有绝对的自信。除此之外的部分呢,倒也不是不在意,只是觉得最终通过音乐来一决胜负就行。在视觉以及其他各种方面是以享受的态度来对待吧,这是某种意义上的反骨精神。我想当时我们的行动也有些过激,但这恰恰是因为我们自出道以来就走‘总攻’路线(所以才这样)。(被劝诫)‘做那种打扮……请好好做音乐’之类的。但是,我们正是从更加摇滚、自由之处出发迈进着”。

もう一つは、YOSHIKI流の自信の捉え方。それは人生をポジティブに変換するコツでもあった。

还有一个,就是YOSHIKI流的自信取得法。这也是让人生变得积极的秘诀。

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「ヒトは、みんな不安と自信の境界線を行ったり来たりしていると思います。そんな中0.01%でも、自信側にもっていければ、それはもう自信につながる。何が自信につながっているかというと…やっぱり努力はしていますね。努力を人に見てもらうのかというのはおいておいて、日々やっていることの積み重ねは自信につながっていると思います。

“我觉得,无论是谁,人们都在不安与自信的边界线来来回回。这其中哪怕只有0.01%的机会,能够朝着自信那一面迈进的话,那就能与自信联系起来。说起什么能够与自信联系起来的话……果然还是要努力吧。姑且不说让别人看到你的努力,将每天所做的事累积起来,我觉得也可以与自信联系起来。

僕の人生は苦しみに満ちている人生ですからね。人生を楽しむコツなんてものは言えないですが…。でも一つ言えることは、努力することって楽しいんです。作曲は、1カ月かけても何も出てこないことがあります。ですが、例えば英語の勉強をしたら、1カ月前よりも進歩しているはずですよね。その進歩を人間は楽しむべきなんだと思います。きっと、色々なことが努力で楽しくなる。バンドも進化(努力)の歴史でした。中途半端に打ち込むと、中途半端な結果しか返ってこないので、僕はいつも全身全霊で飛び込むようにしています。失敗って、自分が決めるまでは失敗じゃないんです」

我的人生是充满痛苦的人生呢。虽然不能告诉大家享受人生的秘诀是什么……但是有一点我可以说的是,努力这件事很快乐。作曲方面,我曾经花费1个月但却什么也没写出来。尽管如此,比如学习英语,(学习1个月的话)应该会比1个月前有所进步吧。我觉得人类应该享受这样的进步,人们一定能够在各种各样的努力中快乐生活下去。我们的乐队也有进化(努力)的历史。陷入半途而废的话,自然只会获得半途而废的结果,所以我一直都全身心地在努力跳出这种状态。所谓的失败,是在自己这样认定(它是失败)前都不算是失败的”。

自分と向き合うことが芸術家として必要なこと。自らのことを「YOSHIKIという強い人間を作って演じているのかもしれない」と語るYOSHIKI。49.99%の不安と50.01%の自信でもいいんだと明かすYOSHIKI。どちらも本当の姿だが、ほんの0.01%でもいい、ポジティブな方向に向けて自分を奮い立たせている。

面对自我,这对艺术家而言是一种必须。YOSHIKI形容自己说,“也许是我将YOSHIKI这个强大的人类创造并演绎出来的”。拥有49.99%的不安与50.01%的自信也是好的,YOSHIKI坦言道。哪一面都是他真正的模样,但仅仅是0.01%也好,他朝着积极的方向激发着自己。

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世界を飛び回り、「起きると違う国にいる」とよく語っているYOSHIKI。ネットの発達において、現地に足を運ばなくても打ち合わせができる環境にあるが、対人のコミュニケーションにこだわる。そこに、バンドのリーダーとして気を付けている大事なポイントがあった。

YOSHIKI在世界各地来回飞,常说自己“醒来后便在其他国家”。随着网络的发达,现在有了即使不到当地也能够商讨事情的环境(条件),但他很讲究与人当面交流。在此,作为乐队的队长,YOSHIKI有着很注重的要点。

「誰に対してもそうなんですが、僕は必ず相手に対して、自分よりも頭が良いと思って接しています。理屈で固めたって何も伝わらない。ありのままの自分をぶつける。僕は自分の感情を出すことを大事に、ある意味とりつくろわずに、むき出しにして人と接しています」

“无论对谁都是如此,我对于与我说话的人,我都会认为对方是比我头脑好的人,想着这一点来与之接触。固执己见是什么都无法传达的,去碰撞那个真实的自己。我很看重把自己的感情表现出来,从某种意义上来说,就是不掩饰自己,用真实的自己与人接触”。

これまでも、自分の内面から生まれたさまざまな感情を楽曲に乗せて、リスナーの心を動かしてきた。人とのやりとりにおいても、ストレートに自分の気持ちでぶつかるのがYOSHIKI流だ。そうして人を動かし、数々の既成概念を打ち破り、記録を打ち立ててきた。さまざまものを“倒してきた”X JAPANはシン・ゴジラの次に何を倒すのだろうか?

至今为止,YOSHIKI也曾将自己内心萌生的各种感情,通过乐曲来打动听众的心。就算是在与人的对话中,他也喜欢以直球的方式直接呈现自己的想法,这就是YOSHIKI流。他就是像这样获得人心,打破许多既成概念,创下记录。“打倒了”各种事物的X JAPAN,在(第67届红白歌会上)打倒新·哥斯拉之后,下一个将打倒的是什么?

「いつどんなタイミングでも、僕が戦っている相手は自分自身です。これからも不安を抱いている自分を倒していきたいですね。不安を抱いている自分を倒せれば、この世で倒せないものなんてないと思っています」

“无论是哪个时候,我所对战的对象都是我自己自身。今后,我也想继续打倒那个怀抱不安的自己呢。如果能打倒那个怀抱不安的自己,我想这个世上也没有什么是打不倒的了”。

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LIMP BIZKITのウェス・ボーランドなど、世界的なアーティストとも交流があるYOSHIKI。その存在感は世界的なアーティストからも一目置かれている。

YOSHIKI与LIMP BIZKIT前任成员Wes Borland等世界级艺术家也有所交流。他的存在感,在世界级艺术家那里也获得了评价。

「彼らが英語圏で生まれ、
    英語で歌っていたら、世界一になっていたと思う」
-ジーン・シモンズ(KISS)

「如果他们生在英语圈、
    用英语来演唱歌曲的话,我想他们会成为世界第一。」
-Gene Simmons(KISS乐队成员)

「レベルが違うロック・スター
    ストーンズやエアロスミス、そして俺たちを超えている」
-リチャード・フォータス(GUNS N’ ROSES)

「级别不同的摇滚巨星
    超过了The Rolling Stones、Aerosmith还有我们。」
-Richard Fortus(GUNS N’ ROSES前成员)

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「日本での映画公開の翌日、3月4日には英ウェンブリーアリーナのライブがあります。これは『WE ARE X』の公開記念公演に近い位置づけです。特別編集バージョンの映画を上映した後にライブが始まります。映画でXを体験してもらってからライブに移る。今までのライブとはまったく違った、映像と音楽がコラボレーションした空間になると思います。

“《WE ARE X》在日本上映次日的3月4日,我在英国温布利竞技场(Wembley Arena)有演唱会。这是被作为相当于《WE ARE X》上映纪念公演而安排的一场演出。在特别编辑版的电影上映后,演唱会将紧接着开始。(观众)在电影中体验过X之后,又移动到演唱会舞台上。这场演唱会与至今为止的其他演唱会都有所不同,将成为影像与音乐结合的空间。

この映画はファンのためだけの映画ではありません。心に傷を負った人に希望を与える映画でもあると思います。このバンドのストーリーは実際に起こったことです。生きる意味や自分の存在する意味を問いかけられるような映画になっていると思います。この映画はファンのみなさんの気持ちも籠められています。決して僕たちだけのストーリーじゃない。タイトルの『WE ARE X』にはそういう意味が込められています。みんなでできたストーリーだと思っています。「X JAPAN」を支えてくださったみなさんと一緒に作った映画なんです」

这部电影并非是光为粉丝而打造的电影,我想它也是会为内心受伤的人带来希望的电影。这个乐队的故事是实际发生过的。我觉得,这部电影也成为了拷问生存意义和自己存在意义的电影。这部电影也包含了粉丝们的心情,绝不是我们X JAPAN自己的故事而已。标题的《WE ARE X》也包含着这层意义,这是大家一起完成的故事,是支持‘X JAPAN’的诸位一起创作出来的电影”。

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2017年には新アルバムリリースも予定されており、昨年末のオリコンのインタビューでは「自分でも(出ると)信じていないです」と笑っていたYOSHIKI。“これまでの”「X JAPAN」を描いたのが本作品だが、バンドはこれからも続いていく進行形だ。『WE ARE X』のパート2の制作の可能性について問いかけてみた。

2017年,X JAPAN预计还将发行新专辑,在去年末Oricon的采访中,YOSHIKI曾笑着表示,“我也没想到(能够推出新专辑)”。尽管这部电影描绘的是“至今为止”的“X JAPAN”,但X JAPAN乐队今后还将继续以“进行时”活动下去。采访者询问了YOSHIKI关于《WE ARE X》PART2的制作可能性,他是这样说的:

「これから僕らが世界という壁にどれだけ立ち向かえるかどうかによって決まるんでしょうね。楽しみにしていてください」

“接下来,我们将与世界这道墙对战到何种程度,这由某些因素决定吧。敬请期待!”。