次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。

日本文化は、ある意味で「日本食」によく象徴されているような気がする。まず、日本という国土を離れると、たちまちにして材料の限界につきあたり、料理法が単純なだけに、材料の限界は救いようもないものである。例えば、インド米で作ったおすしなどそのよい例である。あんなにインドカレーとすばらしくマッチするお米が、みるも無残な食べ物となるのである。その意味で日本式クッキングというのは、風土、文化の制約がきわめて強く、中国料理やフランス料理に比して、ひどく国際性がないのである。
人にもある程度同じことがあてはまるといえよう。異なる文化に対応するわれわれの側の文化の制約がきわめて大きいのである。 ① 、外に出るとどうしてもひよわなのである。そのために、いっそう内向的となり、日本文化の断片にしがみつこうとすることになる。自分たちのためにも日本のやりかたに自信をもつ以外なくなるので、それは何よりもよい方法だということになり、これで現地の人々と接していくことになる。その結果は、現地の人々にうとんぜられ、現地の人々を仲間に入れることもできず、現地社会から浮き上がった島のような日本人コミュニティが形成される。そこでは現地の人々の接触(必要不可欠の部分においてのみされる)においては、日本のシステムがそのまま適用され、それが善意であろうと、悪意であろうと、往々にして相手のシステムにさからうことになり、こちら側もまた相手側も大変苦しむことになる。

(「適応の条件」による)

問1 ①に入る最も適当な言葉はどれか。
1 一方  2 だって  3 しかし  4 したがって

問2 この文章のまとめとして最も適当なものはどれか。
1 日本文化は日本料理と同様、日本という国土に依存しており、国際性に欠けている。
2 日本文化は日本料理と同様、単純である。
3 日本料理は中国料理・フランス料理ほど美味しくない。
4 日本人は外国のシステムにさからうべきではない。

答案:41
翻译:我总觉得日本饮食在某种意义上象征着日本文化。首先,离开日本国土后,马上就会遇到材料的限制。正因为烹饪法简单,因此材料的局限性无法弥补。比如用印度的米来做寿司就是一个很好的例子。与印度咖喱那么相称的米饭,做成寿司却惨不忍睹。从这个意义上来说,日式烹饪受水土和文化的制约很大,与中国菜和法国菜相比,国际性极其缺乏。
可以说人在某种程度上也是如此。相对于其他文化,我们自己的文化有很大的制约。于是,到了外部世界后就显得十分纤弱。因此就变得更加内向,只想紧紧抓住日本文化的一些皮毛。为了自己,只能对日本式的做法抱有自信,相信那是最好的,用这样的方法来处事接物。其结果就是被当地的人们疏远,无法融入当地的社会,于是在当地的社会中形成孤岛般的日本人群体。所以在当地的人们进行接触的时候(仅在必须时)便会原封不动地照搬日本的体系,而不管是善意还是恶意,这往往会与当地的体系发生冲突,无论给自己还是对方都会带来很大的麻烦。

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