• 2015笹川杯作文大赛二等奖作品赏析 :「友好の隣人になれ」

    る日本人の直接交流の機会を増やすためだ。こうした活動から理解や友情も深まるように思う。 中国と日本は隣国である、たとえ、両国の政治上の矛盾がたくさんあるとしても、一般市民の私達は友好交流ができる。中国には「遠親は近隣に如かず」という言葉がある。日本語では「遠い親戚より近くの他人」と言う。今後、私も日本語科の同級生と一緒にもっと交流会を行い、中日民間交流の小さな力となることを願っている。いつかきっと、中国と日本は真の友好ある隣人となることを信じている。 【創作のインスピレーションと】 2015年笹川作文コンクールで二等賞をいただきまして、本当に嬉しいです。まず、主催団体および全体の関係者たちに感

  • 2015笹川杯作文大赛三等奖作品赏析 :「民間交流と中日関係」

    の仲」のような関係ではないのだ。せめて、この世代の若者たちにこの点を理解してほしいと思う。両国のよりよい明日を構築するために、われわれ青年たちは何をすべきか、何が出来るか、中日友好のために身を投じている諸先輩方の足跡を追い、先人の事業を守り、後に来るものにより広い天地を与えることができたらいいのではないであろうか。「願わくは、草の根の力、発揮しろ!」 【創作のインスピレーションと】 このたび、笹川杯作文コンクール2015の三等賞を受賞しており、まことに光栄に存じます。日本語学習者としての私にとって、自分の作文が『人民中国』に掲載できることは、夢にも思わなかったのです。 去年の夏休みに、北京で

  • 2015笹川杯作文大赛一等奖作品赏析 :「風立ちぬ、いざ生きめやも」

    プレイヤーのライブの通訳を務めたことがある。曲と曲の間に、彼が自分の話を言い始めた。2011年東日本大震災の間中国でツアーをやっていた。電話は通じない、家族の安否もわからない、帰りたくとも帰れない大変な時期だった。そんな時でも、わざわざ自分の音楽を聞きに来る人々のことを考えて、ツアーを中断しなかった。思いもよらなかったことに、ライブ中、客は一緒に不慣れな日本語で「頑張って」「諦めないで」と大声で異国の地で不安と寂しさに襲われる自分を力づけてくれた。それで、4年ぶりの中国で、みなさんに感謝の気持ちを伝えたいという。この話を聞いて私は声が少し震えた。 「上を向いて歩こう」という次の曲の中で、大

  • 2015笹川杯作文大赛二等奖作品赏析 :「交流も力になる」

    二等奖 「交流も力になる」 章盈盈(山東大学〈威海〉翻訳学院) 2012年の夏、私は高校を卒業し、山東大学に入学した。その日、父が言ったことはいまだに記憶に新しい。 「どこでも構わないが、よりによって日本語を勉強するなんて…」 それまでの経験から、確かに父は日本が嫌いだということが分かっていた。「日本産の製品は使うな」と言ったり、家族と食事をする時に日本を非難したりしていた。そういう頑固な態度を叔母に批判されると、すぐ激しく反論していた。理由は戦争のドラマなどから得た知識だった。だから、自分の娘が日本語科に入ると聞いた瞬間、彼が驚いて失望したとは意外ではなかった。 二年生の時、私は日本へ留学

  • 2015笹川杯作文大赛优秀奖作品赏析 :「中 」と「日」の「 道 」

    优秀賞 「中 」と「日」の「 道 」 黄倩倩(合肥学院) 5000余年前、漢字が生まれ、中国にて書道の文化が始まる。 西暦285年、漢字は日本に伝来し、日本も書道が広まる。 2010年、書道の勉強のために、中国にある一人の女性が来た。 2013年、私たちは彼女に書道を習った。 そして2015年、彼女は日本に帰国した。 彼女は私たちの日本語の先生でした。 「先生は中国が好きですか」 「うん、好きですよ。」 「一番好きな文化はなんですか」 「書道ですね。」 私は、先生は中国に来た目的として書道の勉強に励むためということを聞き、少々耳を疑った。どのような情熱を持って家族の反対も顧みず中国に来たのか

  • 2015笹川杯作文大赛优秀奖作品赏析 :「民間交流と中日関係」

    希望である。 中国と日本が一衣帯水の隣国同士であることは永久に変わらない。そんな中で、中国の大学生として何ができるだろうか。何をしなくてはならないのだろうか。私は、日本語科の学生として、今後も日本語と日本文化を勉強し、中日友好の架け橋になれるように一生懸命頑張りたい。 そこで私は、具体的な計画を立てた。2022年には北京で冬季オリンピックが開催されることが決定

  • 2015笹川杯作文大赛优秀奖作品赏析 :「民間交流と中日関係」

    优秀賞 民間交流と中日関係 王宝玲(東華大

  • 2015笹川杯作文大赛优秀奖作品赏析 :「民間交流と中日関係」

    的な日本人だと思う。いつも人に迷惑をかけないように、人の気持ちをよく心掛けている。たとえ何か悪いことがあったとしても何も言わずに済むタイプである。私は大学一年生から二年生まで、彼女は何回も帰国したことがある。天津に戻ったらいつも私も含めて何人の中国人の友達にプレゼントを持ってきった。消しゴムや鉛筆のような文房具、お菓子、アニメのフィギュア、グリーティングカードなどいろんなお土産を連れて私たちにくれた。日本人にとってはこれは常識で些細なことかもしれないが、その中に込めた気持ちはいつも私の胸に深く刻んでいた。今年の2月、りほは名古屋に帰った。しかし、その二年間私達が一緒に笑ったり、悩んだりことはきっ

  • 2015笹川杯作文大赛三等奖作品赏析 :「民間交流と中日関係」

    でした。 ある日、寮に帰ったら、友達が「浦上先生は、この作文は君が書けると言っている」と言いました。実は当時多かれ少なかれ嫌だと感じました、自分の実力に疑いを抱いていましたから。しかし、「とにかく、やってみよう」と思って、書き始めました。 夜11時半から次の日2時まで書いて、頭が冴え渡ると感じました。これまで考えていた日中関係についての感想を、すっかり書きました。 未来を擬人化するのは幼いかもしれませんが、相手に自分の気持ちを洗いざらい打ち明けたいと思いました。日本語科に入る前に、日中関係のことを考えることはほとんどありませんでした。ですから、今頃日中関係の大切さを気に着くのは、どうも恥ずかしいように思います。そして、日本語を学ぶ中国人として、日本をもっと詳しく知りつつ、ナショナリストになるのはいけないと強く感じます。 未来さんに何か言いたい一言があったら、それは架け橋というと大袈裟ですが、私はできるだけ力を尽くして日中関係が良くなるために、毎日頑張ります。