日语文学作品赏析《子供の病気 一游亭に》
作者:芥川龍之介
来源:青空文库
2010-01-06 00:00
夏目先生は書の幅 を見ると、独り語 のように「旭窓 だね」と云った。落款 はなるほど旭窓外史 だった。自分は先生にこう云った。「旭窓は淡窓 の孫でしょう。淡窓の子は何と云いましたかしら?」先生は即座に「夢窓 だろう」と答えた。
――すると急に目がさめた。蚊帳 の中には次の間 にともした電燈の光がさしこんでいた。妻は二つになる男の子のおむつを取り換えているらしかった。子供は勿論 泣きつづけていた。自分はそちらに背を向けながら、もう一度眠りにはいろうとした。すると妻がこう云った。「いやよ。多加 ちゃん。また病気になっちゃあ」自分は妻に声をかけた。「どうかしたのか?」「ええ、お腹が少し悪いようなんです」この子供は長男に比 べると、何かに病気をし勝ちだった。それだけに不安も感じれば、反対にまた馴 れっこのように等閑 にする気味もないではなかった。「あした、Sさんに見て頂 けよ」「ええ、今夜見て頂こうと思ったんですけれども」自分は子供の泣きやんだ後 、もとのようにぐっすり寝入ってしまった。
翌朝 目をさました時にも、夢のことははっきり覚えていた。淡窓 は広瀬淡窓 の気だった。しかし旭窓 だの夢窓 だのと云うのは全然架空 の人物らしかった。そう云えば確 か講釈師に南窓 と云うのがあったなどと思った。しかし子供の病気のことは余り心にもかからなかった。それが多少気になり出したのはSさんから帰って来た妻の言葉を聞いた時だった。「やっぱり消化不良ですって。先生も後 ほどいらっしゃいますって」妻は子供を横抱きにしたまま、怒ったようにものを云った。「熱は?」「七度六分ばかり、――ゆうべはちっともなかったんですけれども」自分は二階の書斎へこもり、毎日の仕事にとりかかった。仕事は不相変 捗 どらなかった。が、それは必ずしも子供の病気のせいばかりではなかった。その中 に、庭木を鳴らしながら、蒸暑 い雨が降り出した。自分は書きかけの小説を前に、何本も敷島 へ火を移した。
Sさんは午前に一度、日の暮に一度診察 に見えた。日の暮には多加志 の洗腸 をした。多加志は洗腸されながら、まじまじ電燈の火を眺めていた。洗腸の液はしばらくすると、淡黒 い粘液 をさらい出した。自分は病を見たように感じた。「どうでしょう? 先生」
「何、大したことはありません。ただ氷を絶やさずに十分頭を冷やして下さい。――ああ、それから余りおあやしにならんように」先生はそう云って帰って行った。
自分は夜も仕事をつづけ、一時ごろやっと床 へはいった。その前に後架 から出て来ると、誰かまっ暗な台所に、こつこつ音をさせているものがあった。「誰?」「わたしだよ」返事をしたのは母の声だった。「何をしているんです?」「氷を壊 しているんだよ」自分は迂闊 を恥 じながら、「電燈をつければ好 いのに」と云った。「大丈夫だよ。手探 りでも」自分はかまわずに電燈をつけた。細帯一つになった母は無器用 に金槌 を使っていた。その姿は何だか家庭に見るには、余りにみすぼらしい気のするものだった。氷も水に洗われた角には、きらりと電燈の光を反射していた。
けれども翌朝の多加志の熱は九度よりも少し高いくらいだった。Sさんはまた午前中に見え、ゆうべの洗腸を繰り返した。自分はその手伝いをしながら、きょうは粘液 の少ないようにと思った。しかし便器をぬいてみると、粘液はゆうべよりもずっと多かった。それを見た妻は誰にともなしに、「あんなにあります」と声を挙げた。その声は年の七つも若い女学生になったかと思うくらい、はしたない調子を帯びたものだった。自分は思わずSさんの顔を見た。「疫痢 ではないでしょうか?」「いや、疫痢じゃありません。疫痢は乳離 れをしない内には、――」Sさんは案外落ち着いていた。
自分はSさんの帰った後 、毎日の仕事にとりかかった。それは「サンデイ毎日」の特別号に載せる小説だった。しかも原稿の締切 りはあしたの朝に迫っていた。自分は気乗 のしないのを、無理にペンだけ動かしつづけた。けれども多加志の泣き声はとかく神経にさわり勝ちだった。のみならず多加志が泣きやんだと思うと、今度は二つ年上の比呂志 も思い切り、大声に泣き出したりした。
神経にさわることはそればかりではなかった。午後には見知らない青年が一人、金の工面 を頼みに来た。「僕は筋肉労働者ですが、C先生から先生に紹介状を貰 いましたから」青年は無骨 そうにこう云った。自分は現在蟇口 に二三円しかなかったから、不用の書物を二冊渡し、これを金に換 え給えと云った。青年は書物を受け取ると、丹念 に奥附 を検 べ出した。「この本は非売品と書いてありますね。非売品でも金になりますか?」自分は情 ない心もちになった。が、とにかく売れるはずだと答えた。「そうですか? じゃ失敬します。」青年はただ疑わしそうに、難有 うとも何とも云わずに帰って行った。
Sさんは日の暮にも洗腸をした。今度は粘液もずっと減 っていた。「ああ、今晩は少のうございますね」手洗いの湯をすすめに来た母はほとんど手柄顔 にこう云った。自分も安心をしなかったにしろ、安心に近い寛 ぎを感じた。それには粘液の多少のほかにも、多加志の顔色や挙動などのふだんに変らないせいもあったのだった。「あしたは多分熱が下 るでしょう。幸い吐 き気 も来ないようですから」Sさんは母に答えながら、満足そうに手を洗っていた。
翌朝 自分の眼をさました時、伯母 はもう次の間 に自分の蚊帳 を畳 んでいた。それが蚊帳の環 を鳴らしながら、「多加ちゃんが」何とか云ったらしかった。まだ頭のぼんやりしていた自分は「多加志が?」と好 い加減に問い返した。「多加ちゃんが悪いんだよ。入院させなければならないんだとさ」自分は床 の上に起き直った。きのうのきょうだけに意外な気がした。「Sさんは?」「先生ももう来ていらっしゃるんだよ、さあさあ、早くお起きなさい」伯母は感情を隠すように、妙にかたくなな顔をしていた。自分はすぐに顔を洗いに行った。不相変 雲のかぶさった、気色 の悪い天気だった。風呂場 の手桶 には山百合 が二本、無造作 にただ抛 りこんであった。何だかその匂 や褐色の花粉がべたべた皮膚 にくっつきそうな気がした。
多加志はたった一晩のうちに、すっかり眼が窪 んでいた。今朝 妻が抱き起そうとすると、頭を仰向 けに垂らしたまま、白い物を吐 いたとか云うことだった。欠伸 ばかりしているのもいけないらしかった。自分は急にいじらしい気がした。同時にまた無気味 な心もちもした。Sさんは子供の枕もとに黙然 と敷島 を啣 えていた。それが自分の顔を見ると、「ちとお話したいことがありますから」と云った。自分はSさんを二階に招じ、火のない火鉢をさし挟 んで坐った。「生命に危険はないと思いますが」Sさんはそう口を切った。多加志はSさんの言葉によれば、すっかり腸胃を壊 していた。この上はただ二三日の間 、断食 をさせるほかに仕かたはなかった。「それには入院おさせになった方が便利ではないかと思うんです」自分は多加志の容体 はSさんの云っているよりも、ずっと危 いのではないかと思った。あるいはもう入院させても、手遅れなのではないかとも思った。しかしもとよりそんなことにこだわっているべき場合ではなかった。自分は早速Sさんに入院の運びを願うことにした。「じゃU病院にしましょう。近いだけでも便利ですから」Sさんはすすめられた茶も飲まずに、U病院へ電話をかけに行った。自分はその間に妻を呼び、伯母にも病院へ行って貰うことにした。
その日は客に会う日だった。客は朝から四人ばかりあった。自分は客と話しながら、入院の支度 を急いでいる妻や伯母を意識していた。すると何か舌の先に、砂粒 に似たものを感じ出した。自分はこのごろ齲歯 につめたセメントがとれたのではないかと思った。けれども指先に出して見ると、ほんとうの歯の欠けたのだった。自分は少し迷信的になった。しかし客とは煙草 をのみのみ、売り物に出たとか噂のある抱一 の三味線の話などをしていた。
そこへまた筋肉労働者と称する昨日 の青年も面会に来た。青年は玄関に立ったまま、昨日貰った二冊の本は一円二十銭にしかならなかったから、もう四五円くれないかと云う掛け合いをはじめた。のみならずいかに断 っても、容易に帰るけしきを見せなかった。自分はとうとう落着きを失い、「そんなことを聞いている時間はない。帰って貰おう」と怒鳴 りつけた。青年はまだ不服そうに、「じゃ電車賃だけ下さい。五十銭貰えば好 いんです」などと、さもしいことを並べていた。が、その手も利 かないのを見ると、手荒に玄関の格子戸 をしめ、やっと門外に退散した。自分はこの時こう云う寄附には今後断然応ずまいと思った。
四人の客は五人になった。五人目の客は年の若い仏蘭西 文学の研究者だった。自分はこの客と入れ違いに、茶の間 の容子 を窺 いに行った。するともう支度の出来た伯母は着肥 った子供を抱きながら、縁側をあちこち歩いていた。自分は色の悪い多加志の額 へ、そっと唇 を押しつけて見た。額はかなり火照 っていた。しおむきもぴくぴく動いていた。「車は?」自分は小声にほかのことを云った。「車? 車はもう来ています」伯母はなぜか他人のように、叮嚀 な言葉を使っていた。そこへ着物を更 めた妻も羽根布団 やバスケットを運んで来た。「では行って参ります」妻は自分の前へ両手をつき、妙に真面目 な声を出した。自分はただ多加志の帽子 を新しいやつに換えてやれと云った。それはつい四五日前 、自分の買って来た夏帽子だった。「もう新しいのに換えて置きました」妻はそう答えた後 、箪笥 の上の鏡を覗 き、ちょいと襟もとを掻 き合せた。自分は彼等を見送らずに、もう一度二階へ引き返した。
自分は新たに来た客とジョルジュ・サンドの話などをしていた。その時庭木の若葉の間に二つの車の幌 が見えた。幌は垣の上にゆらめきながら、たちまち目の前を通り過ぎた。「一体十九世紀の前半の作家はバルザックにしろサンドにしろ、後半の作家よりは偉いですね」客は――自分ははっきり覚えている。客は熱心にこう云っていた。
午後にも客は絶えなかった。自分はやっと日の暮に病院へ出かける時間を得た。曇天はいつか雨になっていた。自分は着物を着換えながら、女中に足駄 を出すようにと云った。そこへ大阪のN君が原稿を貰いに顔を出した。N君は泥まみれの長靴 をはき、外套 に雨の痕 を光らせていた。自分は玄関に出迎えたまま、これこれの事情のあったために、何も書けなかったと云う断 りを述べた。N君は自分に同情した。「じゃ今度はあきらめます」とも云った。自分は何だかN君の同情を強 いたような心もちがした。同時に体 の好 い口実に瀕死 の子供を使ったような気がした。
N君の帰ったか帰らないのに、伯母も病院から帰って来た。多加志は伯母の話によれば、その後 も二度ばかり乳を吐いた。しかし幸い脳にだけは異状も来ずにいるらしかった。伯母はまだこのほかに看護婦は気立ての善さそうなこと、今夜は病院へ妻の母が泊 りに来てくれることなどを話した。「多加ちゃんがあすこへはいると直 に、日曜学校の生徒からだって、花を一束 貰ったでしょう。さあ、お花だけにいやな気がしてね」そんなことも話していた。自分はけさ話をしている内に、歯の欠けたことを思い出した。が、何とも云わなかった。
家を出た時はまっ暗だった。その中に細かい雨が降っていた。自分は門を出ると同時に、日和下駄 をはいているのに心づいた。しかもその日和下駄は左の前鼻緒 がゆるんでいた。自分は何だかこの鼻緒が切れると、子供の命も終りそうな気がした。しかしはき換えに帰るのはとうてい苛立 たしさに堪えなかった。自分は足駄 を出さなかった女中の愚 を怒 りながら、うっかり下駄 を踏み返さないように、気をつけ気をつけ歩いて行った。
病院へ着いたのは九時過ぎだった。なるほど多加志の病室の外には姫百合 や撫子 が五六本、洗面器の水に浸 されていた。病室の中の電燈の玉に風呂敷か何か懸っていたから、顔も見えないほど薄暗かった。そこに妻や妻の母は多加志を中に挟 んだまま、帯を解かずに横になっていた。多加志は妻の母の腕を枕に、すやすや寝入っているらしかった。妻は自分の来たのを知ると一人だけ布団 の上に坐り、小声に「どうも御苦労さま」と云った。妻の母もやはり同じことを云った。それは予期していたよりも、気軽い調子を帯びたものだった。自分は幾分かほっとした気になり、彼等の枕もとに腰を下した。妻は乳を飲ませられぬために、多加志は泣くし、乳は張るし、二重に苦しい思いをすると云った。「とてもゴムの乳っ首くらいじゃ駄目なんですもの。しまいには舌を吸わせましたわ」「今はわたしの乳を飲んでいるんですよ」妻の母は笑いながら、萎 びた乳首 を出して見せた。「一生懸命に吸うんでね、こんなにまっ赤になってしまった」自分もいつか笑っていた。「しかし存外好さそうですね。僕はもう今ごろは絶望かと思った」「多加ちゃん? 多加ちゃんはもう大丈夫ですとも。なあに、ただのお腹 下 しなんですよ。あしたはきっと熱が下 りますよ」「御祖師様 の御利益 ででしょう?」妻は母をひやかした。しかし法華経 信者の母は妻の言葉も聞えないように、悪い熱をさますつもりか、一生懸命に口を尖 らせ、ふうふう多加志の頭を吹いた。………
× × ×
多加志 はやっと死なずにすんだ。自分は彼の小康を得た時、入院前後の消息を小品 にしたいと思ったことがある。けれどもうっかりそう云うものを作ると、また病気がぶり返しそうな、迷信じみた心もちがした。そのためにとうとう書かずにしまった。今は多加志も庭木に吊 ったハムモックの中に眠っている。自分は原稿を頼まれたのを機会に、とりあえずこの話を書いて見ることにした。読者にはむしろ迷惑かも知れない。
――すると急に目がさめた。
Sさんは午前に一度、日の暮に一度
「何、大したことはありません。ただ氷を絶やさずに十分頭を冷やして下さい。――ああ、それから余りおあやしにならんように」先生はそう云って帰って行った。
自分は夜も仕事をつづけ、一時ごろやっと
けれども翌朝の多加志の熱は九度よりも少し高いくらいだった。Sさんはまた午前中に見え、ゆうべの洗腸を繰り返した。自分はその手伝いをしながら、きょうは
自分はSさんの帰った
神経にさわることはそればかりではなかった。午後には見知らない青年が一人、金の
Sさんは日の暮にも洗腸をした。今度は粘液もずっと
多加志はたった一晩のうちに、すっかり眼が
その日は客に会う日だった。客は朝から四人ばかりあった。自分は客と話しながら、入院の
そこへまた筋肉労働者と称する
四人の客は五人になった。五人目の客は年の若い
自分は新たに来た客とジョルジュ・サンドの話などをしていた。その時庭木の若葉の間に二つの車の
午後にも客は絶えなかった。自分はやっと日の暮に病院へ出かける時間を得た。曇天はいつか雨になっていた。自分は着物を着換えながら、女中に
N君の帰ったか帰らないのに、伯母も病院から帰って来た。多加志は伯母の話によれば、その
家を出た時はまっ暗だった。その中に細かい雨が降っていた。自分は門を出ると同時に、
病院へ着いたのは九時過ぎだった。なるほど多加志の病室の外には
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(大正十二年七月)
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