日语文学作品赏析《古千屋》
作者:芥川龍之介
来源:青空文库
2010-01-06 00:00
一
樫井 の戦いのあったのは元和 元年 四月二十九日だった。大阪勢 の中でも名を知られた塙団右衛門直之 、淡輪六郎兵衛重政 等はいずれもこの戦いのために打ち死した。殊に塙団右衛門直之は金 の御幣 の指 し物 に十文字 の槍 をふりかざし、槍の柄 の折れるまで戦った後 、樫井の町の中に打ち死した。
四月三十日の未 の刻 、彼等の軍勢を打ち破った浅野但馬守長晟 は大御所 徳川家康 に戦いの勝利を報じた上、直之の首を献上 した。(家康は四月十七日以来、二条 の城にとどまっていた。それは将軍秀忠 の江戸から上洛 するのを待った後 、大阪の城をせめるためだった。)この使に立ったのは長晟の家来 、関宗兵衛 、寺川左馬助 の二人だった。
家康は本多佐渡守正純 に命じ、直之の首を実検しようとした。正純は次ぎの間 に退いて静に首桶 の蓋 をとり、直之の首を内見した。それから蓋の上に卍 を書き、さらにまた矢の根を伏せた後 、こう家康に返事をした。
「直之 の首は暑中の折から、頬 たれ首 になっております。従って臭気も甚だしゅうございますゆえ、御検分 はいかがでございましょうか?」
しかし家康は承知しなかった。
「誰も死んだ上は変りはない。とにかくこれへ持って参るように。」
正純 はまた次ぎの間 へ退き、母布 をかけた首桶を前にいつまでもじっと坐っていた。
「早うせぬか。」
家康は次ぎの間 へ声をかけた。遠州 横須賀 の徒士 のものだった塙団右衛門直之はいつか天下に名を知られた物師 の一人に数えられていた。のみならず家康の妾 お万 の方 も彼女の生んだ頼宣 のために一時は彼に年ごとに二百両の金を合力 していた。最後に直之は武芸のほかにも大竜和尚 の会下 に参じて一字不立 の道を修めていた。家康のこういう直之の首を実検したいと思ったのも必ずしも偶然ではないのだった。……
しかし正純は返事をせずに、やはり次ぎの間に控 えていた成瀬隼人正正成 や土井大炊頭利勝 へ問わず語りに話しかけた。
「とかく人と申すものは年をとるに従って情 ばかり剛 くなるものと聞いております。大御所 ほどの弓取もやはりこれだけは下々 のものと少しもお変りなさりませぬ。正純も弓矢の故実だけは聊 かわきまえたつもりでおります。直之の首は一つ首でもあり、目を見開いておればこそ、御実検をお断り申し上げました。それを強 いてお目通りへ持って参れと御意 なさるのはその好 い証拠ではございませぬか?」
家康は花鳥 の襖越 しに正純の言葉を聞いた後 、もちろん二度と直之の首を実検しようとは言わなかった。
二
すると同じ三十日の夜 、井伊掃部頭直孝 の陣屋 に召し使いになっていた女が一人俄 に気の狂ったように叫び出した。彼女はやっと三十を越した、古千屋 という名の女だった。
「塙団右衛門 ほどの侍 の首も大御所 の実検には具 えおらぬか? 某 も一手 の大将だったものを。こういう辱 しめを受けた上は必ず祟 りをせずにはおかぬぞ。……」
古千屋はつづけさまに叫びながら、その度に空中へ踊 り上ろうとした。それはまた左右の男女 たちの力もほとんど抑えることの出来ないものだった。凄 じい古千屋の叫び声はもちろん、彼等の彼女を引据えようとする騒ぎも一かたならないのに違いなかった。
井伊の陣屋の騒 がしいことはおのずから徳川家康 の耳にもはいらない訣 には行 かなかった。のみならず直孝は家康に謁 し、古千屋に直之 の悪霊 の乗り移ったために誰も皆恐れていることを話した。
「直之の怨 むのも不思議はない。では早速実検しよう。」
家康は大蝋燭 の光の中にこうきっぱり言葉を下 した。
夜 ふけの二条 の城の居間に直之の首を実検するのは昼間 よりも反 ってものものしかった。家康は茶色の羽織を着、下括 りの袴 をつけたまま、式通りに直之の首を実検した。そのまた首の左右には具足をつけた旗本 が二人いずれも太刀 の柄 に手をかけ、家康の実検する間 はじっと首へ目を注 いでいた。直之の首は頬たれ首ではなかった。が、赤銅色 を帯びた上、本多正純 のいったように大きい両眼を見開いていた。
「これで塙団右衛門も定めし本望 でございましょう。」
旗本の一人、――横田甚右衛門 はこう言って家康に一礼した。
しかし家康は頷 いたぎり、何 ともこの言葉に答えなかった。のみならず直孝を呼び寄せると、彼の耳へ口をつけるようにし、「その女の素姓 だけは検 べておけよ」と小声に彼に命令した。
三
家康の実検をすました話はもちろん井伊の陣屋にも伝わって来ずにはいなかった。古千屋 はこの話を耳にすると、「本望 、本望」と声をあげ、しばらく微笑を浮かべていた。それからいかにも疲れはてたように深い眠りに沈んで行った。井伊の陣屋の男女 たちはやっと安堵 の思いをした。実際古千屋の男のように太い声に罵 り立てるのは気味の悪いものだったのに違いなかった。
そのうちに夜 は明けて行った。直孝 は早速 古千屋 を召し、彼女の素姓 を尋ねて見ることにした。彼女はこういう陣屋にいるには余りにか細い女だった。殊に肩の落ちているのはもの哀れよりもむしろ痛々しかった。
「そちはどこで産 れたな?」
「芸州 広島 の御城下 でございます。」
直孝はじっと古千屋を見つめ、こういう問答を重ねた後 、徐 に最後の問を下した。
「そちは塙 のゆかりのものであろうな?」
古千屋ははっとしたらしかった。が、ちょっとためらった後 、存外 はっきり返事をした。
「はい。お羞 しゅうございますが……」
直之 は古千屋の話によれば、彼女に子を一人 生ませていた。
「そのせいでございましょうか、昨夜 も御実検下さらぬと聞き、女ながらも無念に存じますと、いつか正気 を失いましたと見え、何やら口走ったように承わっております。もとよりわたくしの一存 には覚えのないことばかりでございますが。……」
古千屋は両手をついたまま、明かに興奮しているらしかった。それはまた彼女のやつれた姿にちょうど朝日に輝いている薄 ら氷 に近いものを与えていた。
「善 い。善い。もう下 って休息せい。」
直孝は古千屋を退けた後 、もう一度家康の目通 りへ出、一々彼女の身の上を話した。
「やはり塙団右衛門 にゆかりのあるものでございました。」
家康は初めて微笑 した。人生は彼には東海道の地図のように明かだった。家康は古千屋の狂乱の中にもいつか人生の彼に教えた、何ごとにも表裏 のあるという事実を感じない訣 には行 かなかった。この推測は今度も七十歳を越した彼の経験に合 していた。……
「さもあろう。」
「あの女はいかがいたしましょう?」
「善 いわ、やはり召使っておけ。」
直孝はやや苛立 たしげだった。
「けれども上 を欺 きました罪は……」
家康はしばらくだまっていた。が、彼の心の目は人生の底にある闇黒 に――そのまた闇黒の中にいるいろいろの怪物に向っていた。
「わたくしの一存 にとり計 らいましても、よろしいものでございましょうか?」
「うむ、上を欺いた……」
それは実際直孝には疑う余地などのないことだった。しかし家康はいつの間 にか人一倍大きい目をしたまま、何か敵勢にでも向い合ったようにこう堂々と返事をした。――
「いや、おれは欺 かれはせぬ。」
四月三十日の
家康は
「
しかし家康は承知しなかった。
「誰も死んだ上は変りはない。とにかくこれへ持って参るように。」
「早うせぬか。」
家康は次ぎの
しかし正純は返事をせずに、やはり次ぎの間に
「とかく人と申すものは年をとるに従って
家康は
二
すると同じ三十日の
「
古千屋はつづけさまに叫びながら、その度に空中へ
井伊の陣屋の
「直之の
家康は
「これで塙団右衛門も定めし
旗本の一人、――
しかし家康は
三
家康の実検をすました話はもちろん井伊の陣屋にも伝わって来ずにはいなかった。
そのうちに
「そちはどこで
「
直孝はじっと古千屋を見つめ、こういう問答を重ねた
「そちは
古千屋ははっとしたらしかった。が、ちょっとためらった
「はい。お
「そのせいでございましょうか、
古千屋は両手をついたまま、明かに興奮しているらしかった。それはまた彼女のやつれた姿にちょうど朝日に輝いている
「
直孝は古千屋を退けた
「やはり
家康は初めて
「さもあろう。」
「あの女はいかがいたしましょう?」
「
直孝はやや
「けれども
家康はしばらくだまっていた。が、彼の心の目は人生の底にある
「わたくしの
「うむ、上を欺いた……」
それは実際直孝には疑う余地などのないことだった。しかし家康はいつの
「いや、おれは
(昭和二年五月七日)
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