日语文学作品赏析《温泉だより》
作者:芥川龍之介
来源:青空文库
2010-01-06 00:00
……わたしはこの温泉宿 にもう一月 ばかり滞在 しています。が、肝腎 の「風景」はまだ一枚も仕上 げません。まず湯にはいったり、講談本を読んだり、狭い町を散歩したり、――そんなことを繰り返して暮らしているのです。我ながらだらしのないのには呆 れますが。(作者註。この間 に桜の散っていること、鶺鴒 の屋根へ来ること、射的 に七円五十銭使ったこと、田舎芸者 のこと、安来節 芝居に驚いたこと、蕨狩 りに行ったこと、消防の演習を見たこと、蟇口 を落したことなどを記 せる十数行 あり。)それから次手 に小説じみた事実談を一つ報告しましょう。もっともわたしは素人 ですから、小説になるかどうかはわかりません。ただこの話を聞いた時にちょうど小説か何か読んだような心もちになったと言うだけのことです。どうかそのつもりで読んで下さい。
何 でも明治三十年代に萩野半之丞 と言う大工 が一人、この町の山寄 りに住んでいました。萩野半之丞と言う名前だけ聞けば、いかなる優男 かと思うかも知れません。しかし身の丈 六尺五寸、体重三十七貫と言うのですから、太刀山 にも負けない大男だったのです。いや、恐らくは太刀山も一籌 を輸 するくらいだったのでしょう。現に同じ宿 の客の一人、――「な」の字さんと言う(これは国木田独歩 の使った国粋的 省略法に従ったのです。)薬種問屋 の若主人は子供心にも大砲 よりは大きいと思ったと言うことです。同時にまた顔は稲川 にそっくりだと思ったと言うことです。
半之丞は誰に聞いて見ても、極 人の好 い男だった上に腕も相当にあったと言うことです。けれども半之丞に関する話はどれも多少可笑 しいところを見ると、あるいはあらゆる大男並 に総身 に智慧 が廻り兼ねと言う趣 があったのかも知れません。ちょっと本筋へはいる前にその一例を挙げておきましょう。わたしの宿の主人の話によれば、いつか凩 の烈 しい午後にこの温泉町を五十戸 ばかり焼いた地方的大火のあった時のことです。半之丞はちょうど一里ばかり離れた「か」の字村のある家へ建前 か何かに行っていました。が、この町が火事だと聞くが早いか、尻を端折 る間 も惜しいように「お」の字街道 へ飛び出したそうです。するとある農家の前に栗毛 の馬が一匹繋 いである。それを見た半之丞は後 で断 れば好 いとでも思ったのでしょう。いきなりその馬に跨 って遮二無二 街道を走り出しました。そこまでは勇ましかったのに違いありません。しかし馬は走り出したと思うと、たちまち麦畑へ飛びこみました。それから麦畑をぐるぐる廻る、鍵 の手に大根畑 を走り抜ける、蜜柑山 をまっ直 に駈 け下 りる、――とうとうしまいには芋 の穴の中へ大男の半之丞を振り落したまま、どこかへ行ってしまいました。こう言う災難に遇 ったのですから、勿論火事などには間 に合いません。のみならず半之丞は傷だらけになり、這 うようにこの町へ帰って来ました。何 でも後 で聞いて見れば、それは誰も手のつけられぬ盲馬 だったと言うことです。
ちょうどこの大火のあった時から二三年後 になるでしょう、「お」の字町の「た」の字病院へ半之丞の体を売ったのは。しかし体を売ったと云っても、何も昔風に一生奉公 の約束をした訣 ではありません。ただ何年かたって死んだ後 、死体の解剖 を許す代りに五百円の金を貰 ったのです。いや、五百円の金を貰ったのではない、二百円は死後に受けとることにし、差し当りは契約書 と引き換えに三百円だけ貰ったのです。ではその死後に受けとる二百円は一体誰の手へ渡るのかと言うと、何 でも契約書の文面によれば、「遺族または本人の指定したるもの」に支払うことになっていました。実際またそうでもしなければ、残金二百円云々 は空文 に了 るほかはなかったのでしょう、何しろ半之丞は妻子は勿論、親戚さえ一人 もなかったのですから。
当時の三百円は大金 だったでしょう。少くとも田舎大工 の半之丞には大金だったのに違いありません。半之丞はこの金を握るが早いか、腕時計 を買ったり、背広 を拵 えたり、「青ペン」のお松 と「お」の字町へ行ったり、たちまち豪奢 を極 め出しました。「青ペン」と言うのは亜鉛 屋根に青ペンキを塗った達磨茶屋 です。当時は今ほど東京風にならず、軒 には糸瓜 なども下っていたそうですから、女も皆田舎 じみていたことでしょう。が、お松は「青ペン」でもとにかく第一の美人になっていました。もっともどのくらいの美人だったか、それはわたしにはわかりません。ただ鮨屋 に鰻屋 を兼ねた「お」の字亭のお上 の話によれば、色の浅黒い、髪の毛の縮 れた、小がらな女だったと言うことです。
わたしはこの婆さんにいろいろの話を聞かせて貰いました。就中 妙に気の毒だったのはいつも蜜柑 を食っていなければ手紙一本書けぬと言う蜜柑中毒の客の話です。しかしこれはまたいつか報告する機会を待つことにしましょう。ただ半之丞の夢中になっていたお松の猫殺しの話だけはつけ加えておかなければなりません。お松は何でも「三太 」と云う烏猫 を飼っていました。ある日その「三太」が「青ペン」のお上 の一張羅 の上へ粗忽 をしたのです。ところが「青ペン」のお上と言うのは元来猫が嫌いだったものですから、苦情を言うの言わないのではありません。しまいには飼い主のお松にさえ、さんざん悪態 をついたそうです。するとお松は何も言わずに「三太」を懐 に入れたまま、「か」の字川の「き」の字橋へ行き、青あおと澱 んだ淵 の中へ烏猫を抛 りこんでしまいました。それから、――それから先は誇張かも知れません。が、とにかく婆さんの話によれば、発頭人 のお上は勿論「青ペン」中 の女の顔を蚯蚓腫 れだらけにしたと言うことです。
半之丞の豪奢を極 めたのは精々 一月 か半月 だったでしょう。何しろ背広は着て歩いていても、靴 の出来上って来た時にはもうその代 も払えなかったそうです。下 の話もほんとうかどうか、それはわたしには保証出来ません。しかしわたしの髪を刈りに出かける「ふ」の字軒の主人の話によれば、靴屋は半之丞の前に靴を並べ、「では棟梁 、元値 に買っておくんなさい。これが誰にでも穿 ける靴ならば、わたしもこんなことを言いたくはありません。が、棟梁、お前 さんの靴は仁王様 の草鞋 も同じなんだから」と頭を下 げて頼んだと言うことです。けれども勿論半之丞は元値にも買うことは、出来なかったのでしょう。この町の人々には誰に聞いて見ても、半之丞の靴をはいているのは一度も見かけなかったと言っていますから。
けれども半之丞は靴屋の払いに不自由したばかりではありません。それから一月とたたないうちに今度はせっかくの腕時計や背広までも売るようになって来ました。ではその金はどうしたかと言えば、前後の分別 も何もなしにお松につぎこんでしまったのです。が、お松も半之丞に使わせていたばかりではありません。やはり「お」の字のお上 の話によれば、元来この町の達磨茶屋 の女は年々夷講 の晩になると、客をとらずに内輪 ばかりで三味線 を弾 いたり踊ったりする、その割 り前 の算段さえ一時はお松には苦しかったそうです。しかし半之丞もお松にはよほど夢中になっていたのでしょう。何しろお松は癇癪 を起すと、半之丞の胸 ぐらをとって引きずり倒し、麦酒罎 で擲 りなどもしたものです。けれども半之丞はどう言う目に遇 っても、たいていは却 って機嫌 をとっていました。もっとも前後にたった一度、お松がある別荘番の倅 と「お」の字町へ行ったとか聞いた時には別人のように怒 ったそうです。これもあるいは幾分か誇張があるかも知れません。けれども婆 さんの話したままを書けば、半之丞は(作者註。田園的 嫉妬 の表白としてさもあらんとは思わるれども、この間 に割愛せざるべからざる数行 あり)と言うことです。
前に書いた「な」の字さんの知っているのはちょうどこの頃の半之丞でしょう。当時まだ小学校の生徒だった「な」の字さんは半之丞と一しょに釣に行ったり、「み」の字峠 へ登ったりしました。勿論半之丞がお松に通 いつめていたり、金に困っていたりしたことは全然「な」の字さんにはわからなかったのでしょう。「な」の字さんの話は本筋にはいずれも関係はありません。ただちょっと面白かったことには「な」の字さんは東京へ帰った後 、差出し人萩野半之丞 の小包みを一つ受けとりました。嵩 は半紙 の一しめくらいある、が、目かたは莫迦 に軽い、何かと思ってあけて見ると、「朝日」の二十入りの空 き箱に水を打ったらしい青草がつまり、それへ首筋の赤い蛍 が何匹もすがっていたと言うことです。もっともそのまた「朝日」の空き箱には空気を通わせるつもりだったと見え、べた一面に錐 の穴をあけてあったと云うのですから、やはり半之丞らしいのには違いないのですが。
「な」の字さんは翌年 の夏にも半之丞と遊ぶことを考えていたそうです。が、それは不幸にもすっかり当 が外 れてしまいました。と言うのはその秋の彼岸 の中日 、萩野半之丞は「青ペン」のお松に一通の遺書 を残したまま、突然風変 りの自殺をしたのです。ではまたなぜ自殺をしたかと言えば、――この説明はわたしの報告よりもお松宛 の遺書に譲ることにしましょう。もっともわたしの写したのは実物の遺書ではありません。しかしわたしの宿の主人が切抜帖 に貼 っておいた当時の新聞に載っていたものですから、大体間違いはあるまいと思います。
「わたくし儀 、金がなければお前様 とも夫婦になれず、お前様の腹の子の始末 も出来ず、うき世がいやになり候間 、死んでしまいます。わたくしの死がいは「た」の字病院へ送り、(向うからとりに来てもらってもよろしく御座 候。)このけい約書とひきかえに二百円おもらい下され度 、その金で「あ」の字の旦那 〔これはわたしの宿の主人です。〕のお金を使いこんだだけはまどう〔償 う?〕ように頼み入り候。「あ」の字の旦那にはまことに、まことに面目 ありません。のこりの金はみなお前様のものにして下され。一人旅うき世をあとに半之丞。〔これは辞世 でしょう。〕おまつどの。」
半之丞の自殺を意外 に思ったのは「な」の字さんばかりではありません。この町の人々もそんなことは夢にも考えなかったと言うことです。若し少しでもその前に前兆 らしいことがあったとすれば、それはこう言う話だけでしょう。何 でも彼岸前のある暮れがた、「ふ」の字軒の主人は半之丞と店の前の縁台 に話していました。そこへふと通りかかったのは「青ペン」の女の一人です。その女は二人の顔を見るなり、今しがた「ふ」の字軒の屋根の上を火の玉が飛んで行ったと言いました。すると半之丞は大真面目 に「あれは今おらが口から出て行っただ」と言ったそうです。自殺と言うことはこの時にもう半之丞の肚 にあったのかも知れません。しかし勿論 「青ペン」の女は笑って通り過ぎたと言うことです。「ふ」の字軒の主人も、――いや、「ふ」の字軒の主人は笑ううちにも「縁起 でもねえ」と思ったと言っていました。
それから幾日もたたないうちに半之丞は急に自殺したのです。そのまた自殺も首を縊 ったとか、喉 を突いたとか言うのではありません。「か」の字川の瀬の中に板囲 いをした、「独鈷 の湯」と言う共同風呂がある、その温泉の石槽 の中にまる一晩沈んでいた揚句 、心臓痲痺 を起して死んだのです。やはり「ふ」の字軒の主人の話によれば、隣 の煙草屋の上 さんが一人、当夜かれこれ十二時頃に共同風呂へはいりに行きました。この煙草屋の上さんは血の道か何かだったものですから、宵のうちにもそこへ来ていたのです。半之丞はその時も温泉の中に大きな体を沈めていました。が、今もまだはいっている、これにはふだんまっ昼間 でも湯巻 一つになったまま、川の中の石伝 いに風呂へ這 って来る女丈夫 もさすがに驚いたと言うことです。のみならず半之丞は上さんの言葉にうんだともつぶれたとも返事をしない、ただ薄暗い湯気 の中にまっ赤になった顔だけ露 わしている、それも瞬 き一つせずにじっと屋根裏の電燈を眺めていたと言うのですから、無気味 だったのに違いありません。上さんはそのために長湯 も出来ず、□々 風呂を出てしまったそうです。
共同風呂のまん中には「独鈷 の湯」の名前を生じた、大きい石の独鈷があります。半之丞はこの独鈷の前にちゃんと着物を袖 だたみにし、遺書は側 の下駄 の鼻緒 に括 りつけてあったと言うことです。何しろ死体は裸のまま、温泉の中に浮いていたのですから、若しその遺書でもなかったとすれば、恐らくは自殺かどうかさえわからずにしまったことでしょう。わたしの宿の主人の話によれば、半之丞がこう言う死にかたをしたのは苟 くも「た」の字病院へ売り渡した以上、解剖 用の体に傷をつけてはすまないと思ったからに違いないそうです。もっともこれがあの町の定説と言う訣 ではありません。口の悪い「ふ」の字軒の主人などは、「何、すむやすまねえじゃねえ。あれは体に傷をつけては二百両 にならねえと思ったんです。」と大いに異説を唱 えていました。
半之丞の話はそれだけです。しかしわたしは昨日 の午後、わたしの宿の主人や「な」の字さんと狭苦しい町を散歩する次手 に半之丞の話をしましたから、そのことをちょっとつけ加えましょう。もっともこの話に興味を持っていたのはわたしよりもむしろ「な」の字さんです。「な」の字さんはカメラをぶら下げたまま、老眼鏡 をかけた宿の主人に熱心にこんなことを尋 ねていました。
「じゃそのお松 と言う女はどうしたんです?」
「お松ですか? お松は半之丞の子を生んでから、……」
「しかしお松の生んだ子はほんとうに半之丞の子だったんですか?」
「やっぱり半之丞の子だったですな。瓜 二つと言っても好 かったですから。」
「そうしてそのお松と言う女は?」
「お松は「い」の字と言う酒屋に嫁 に行ったです。」
熱心になっていた「な」の字さんは多少失望したらしい顔をした。
「半之丞の子は?」
「連れっ子をして行ったです。その子供がまたチブスになって、……」
「死んだんですか?」
「いいや、子供は助かった代りに看病 したお松が患 いついたです。もう死んで十年になるですが、……」
「やっぱりチブスで?」
「チブスじゃないです。医者は何とか言っていたですが、まあ看病疲れですな。」
ちょうどその時我々は郵便局の前に出ていました。小さい日本建 の郵便局の前には若楓 が枝を伸 ばしています。その枝に半ば遮 られた、埃 だらけの硝子 窓の中にはずんぐりした小倉服 の青年が一人、事務を執 っているのが見えました。
「あれですよ。半之丞の子と言うのは。」
「な」の字さんもわたしも足を止めながら、思わず窓の中を覗 きこみました。その青年が片頬 に手をやったなり、ペンが何かを動かしている姿は妙に我々には嬉しかったのです。しかしどうも世の中はうっかり感心も出来ません、二三歩先に立った宿の主人は眼鏡 越しに我々を振り返ると、いつか薄笑いを浮かべているのです。
「あいつももう仕かたがないのですよ。『青ペン』通いばかりしているのですから。」
我々はそれから「き」の字橋まで口をきかずに歩いて行 きました。……
半之丞は誰に聞いて見ても、
ちょうどこの大火のあった時から二三年
当時の三百円は
わたしはこの婆さんにいろいろの話を聞かせて貰いました。
半之丞の豪奢を
けれども半之丞は靴屋の払いに不自由したばかりではありません。それから一月とたたないうちに今度はせっかくの腕時計や背広までも売るようになって来ました。ではその金はどうしたかと言えば、前後の
前に書いた「な」の字さんの知っているのはちょうどこの頃の半之丞でしょう。当時まだ小学校の生徒だった「な」の字さんは半之丞と一しょに釣に行ったり、「み」の字
「な」の字さんは
「わたくし
半之丞の自殺を
それから幾日もたたないうちに半之丞は急に自殺したのです。そのまた自殺も首を
共同風呂のまん中には「
半之丞の話はそれだけです。しかしわたしは
「じゃそのお
「お松ですか? お松は半之丞の子を生んでから、……」
「しかしお松の生んだ子はほんとうに半之丞の子だったんですか?」
「やっぱり半之丞の子だったですな。
「そうしてそのお松と言う女は?」
「お松は「い」の字と言う酒屋に
熱心になっていた「な」の字さんは多少失望したらしい顔をした。
「半之丞の子は?」
「連れっ子をして行ったです。その子供がまたチブスになって、……」
「死んだんですか?」
「いいや、子供は助かった代りに
「やっぱりチブスで?」
「チブスじゃないです。医者は何とか言っていたですが、まあ看病疲れですな。」
ちょうどその時我々は郵便局の前に出ていました。小さい
「あれですよ。半之丞の子と言うのは。」
「な」の字さんもわたしも足を止めながら、思わず窓の中を
「あいつももう仕かたがないのですよ。『青ペン』通いばかりしているのですから。」
我々はそれから「き」の字橋まで口をきかずに歩いて
(大正十四年四月)
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