日语文学作品赏析《鸚鵡 大震覚え書の一つ》
作者:芥川龍之介
来源:青空文库
2010-01-06 00:00
これは御覧の通り覚え書に過ぎない。覚え書を覚え書のまま発表するのは時間の余裕 に乏しい為である。或は又その外にも気持の余裕に乏しい為である。しかし覚え書のまま発表することに多少は意味のない訣 でもない。大正十二年九月十四日記。
本所 横網町 に住める一中節 の師匠 。名は鐘大夫 。年は六十三歳。十七歳の孫娘と二人暮らしなり。
家は地震にも潰 れざりしかど、忽ち近隣に出火あり。孫娘と共に両国 に走る。携 へしものは鸚鵡 の籠 のみ。鸚鵡の名は五郎 。背は鼠色、腹は桃色。芸は錺屋 の槌 の音と「ナアル」(成程 の略)といふ言葉とを真似 るだけなり。
両国 より人形町 へ出 づる間 にいつか孫娘と離れ離れになる。心配なれども探してゐる暇 なし。往来 の人波。荷物の山。カナリヤの籠を持ちし女を見る。待合 の女将 かと思はるる服装。「こちとらに似たものもあると思ひました」といふ。その位の余裕はあるものと見ゆ。
鎧橋 に出づ。町の片側は火事なり。その側 に面せるに顔、焼くるかと思ふほど熱かりし由。又何か落つると思へば、電線を被 へる鉛管 の火熱 の為に熔 け落つるなり。この辺 より一層人に押され、度 たび鸚鵡 の籠も潰 れずやと思ふ。鸚鵡は始終狂ひまはりて已 まず。
丸 の内 に出づれば日比谷 の空に火事の煙の揚 がるを見る。警視庁、帝劇などの焼け居りしならん。やつと楠 の銅像のほとりに至る。芝の上に坐りしかど、孫娘のことが気にかかりてならず。大声に孫娘の名を呼びつつ、避難民の間 を探しまはる。日暮 。遂に松のかげに横はる。隣りは店員数人をつれたる株屋。空は火事の煙の為、どちらを見てもまつ赤 なり。鸚鵡、突然「ナアル」といふ。
翌日も丸の内一帯より日比谷迄 、孫娘を探しまはる。「人形町なり両国なりへ引つ返さうといふ気は出ませんでした」といふ。午 ごろより饑渇 を覚ゆること切なり。やむを得ず日比谷の池の水を飲む。孫娘は遂に見つからず。夜は又丸の内の芝の上に横はる。鸚鵡の籠を枕べに置きつつ、人に盗 まれはせぬかと思ふ。日比谷の池の家鴨 を食 らへる避難民を見たればなり。空にはなほ火事の明 りを見る。
三日 は孫娘を断念し、新宿 の甥 を尋 ねんとす。桜田 より半蔵門 に出づるに、新宿も亦 焼けたりと聞き、谷中 の檀那寺 を手頼 らばやと思ふ。饑渇 愈 甚だし。「五郎を殺すのは厭 ですが、おちたら食はうと思ひました」といふ。九段上 へ出づる途中、役所の小使らしきものにやつと玄米 一合余りを貰ひ、生 のまま噛 み砕 きて食す。又つらつら考へれば、鸚鵡の籠を提 げたるまま、檀那寺 の世話にはなられぬやうなり。即ち鸚鵡に玄米の残りを食はせ、九段上の濠端 よりこれを放つ。薄暮 、谷中の檀那寺に至る。和尚 、親切に幾日でもゐろといふ。
五日 の朝、僕の家に来 る。未 だ孫娘の行 く方 を知らずといふ。意気な平生のお師匠 さんとは思はれぬほど憔悴 し居たり。
附記。新宿の甥の家は焼けざりし由。孫娘は其処 に避難し居りし由。
家は地震にも
翌日も丸の内一帯より日比谷
附記。新宿の甥の家は焼けざりし由。孫娘は
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