日语文学作品赏析《海のほとり》
作者:芥川龍之介
来源:青空文库
2010-01-06 00:00
一
……雨はまだ降りつづけていた。僕等は午飯 をすませた後 、敷島 を何本も灰にしながら、東京の友だちの噂 などした。
僕等のいるのは何もない庭へ葭簾 の日除 けを差しかけた六畳二間 の離れだった。庭には何もないと言っても、この海辺 に多い弘法麦 だけは疎 らに砂の上に穂 を垂れていた。その穂は僕等の来た時にはまだすっかり出揃 わなかった。出ているのもたいていはまっ青 だった。が、今はいつのまにかどの穂も同じように狐色 に変り、穂先ごとに滴 をやどしていた。
「さあ、仕事でもするかな。」
Mは長ながと寝ころんだまま、糊 の強い宿の湯帷子 の袖に近眼鏡 の玉を拭っていた。仕事と言うのは僕等の雑誌へ毎月何か書かなければならぬ、その創作のことを指 すのだった。
Mの次の間 へ引きとった後 、僕は座蒲団 を枕にしながら、里見八犬伝 を読みはじめた。きのう僕の読みかけたのは信乃 、現八 、小文吾 などの荘助 を救いに出かけるところだった。「その時蜑崎照文 は懐 ろより用意の沙金 を五包 みとり出 しつ。先ず三包 みを扇にのせたるそがままに、……三犬士 、この金 は三十両 をひと包みとせり。もっとも些少 の東西 なれども、こたびの路用を資 くるのみ。わが私 の餞別 ならず、里見殿 の賜 ものなるに、辞 わで納め給えと言う。」――僕はそこを読みながら、おととい届 いた原稿料の一枚四十銭だったのを思い出した。僕等は二人ともこの七月に大学の英文科を卒業していた。従って衣食の計 を立てることは僕等の目前に迫っていた。僕はだんだん八犬伝を忘れ、教師 になることなどを考え出した。が、そのうちに眠ったと見え、いつかこう言う短い夢を見ていた。
――それは何 でも夜更 けらしかった。僕はとにかく雨戸 をしめた座敷にたった一人横になっていた。すると誰か戸を叩 いて「もし、もし」と僕に声をかけた。僕はその雨戸の向うに池のあることを承知していた。しかし僕に声をかけたのは誰だか少しもわからなかった。
「もし、もし、お願いがあるのですが、……」
雨戸の外の声はこう言った。僕はその言葉を聞いた時、「ははあ、Kのやつだな」と思った。Kと言うのは僕等よりも一年後 の哲学科にいた、箸 にも棒にもかからぬ男だった。僕は横になったまま、かなり大声 に返事をした。
「哀 れっぽい声を出したって駄目 だよ。また君、金 のことだろう?」
「いいえ、金のことじゃありません。ただわたしの友だちに会わせたい女があるんですが、……」
その声はどうもKらしくなかった。のみならず誰か僕のことを心配してくれる人らしかった。僕は急にわくわくしながら、雨戸をあけに飛び起きて行った。実際庭は縁先 からずっと広い池になっていた。けれどもそこにはKは勿論、誰も人かげは見えなかった。
僕はしばらく月の映 った池の上を眺めていた。池は海草 の流れているのを見ると、潮入 りになっているらしかった。そのうちに僕はすぐ目の前にさざ波のきらきら立っているのを見つけた。さざ波は足もとへ寄って来るにつれ、だんだん一匹の鮒 になった。鮒は水の澄んだ中に悠々と尾鰭 を動かしていた。
「ああ、鮒が声をかけたんだ。」
僕はこう思って安心した。――
僕の目を覚ました時にはもう軒先 の葭簾 の日除 けは薄日の光を透 かしていた。僕は洗面器を持って庭へ下り、裏の井戸 ばたへ顔を洗いに行った。しかし顔を洗った後 でも、今しがた見た夢の記憶は妙に僕にこびりついていた。「つまりあの夢の中の鮒は識域下 の我 と言うやつなんだ。」――そんな気も多少はしたのだった。
二
……一時間ばかりたった後 、手拭 を頭に巻きつけた僕等は海水帽に貸下駄 を突っかけ、半町ほどある海へ泳 ぎに行った。道は庭先をだらだら下りると、すぐに浜へつづいていた。
「泳げるかな?」
「きょうは少し寒いかも知れない。」
僕等は弘法麦 の茂みを避 け避け、(滴 をためた弘法麦の中へうっかり足を踏み入れると、ふくら脛 の痒 くなるのに閉口したから。)そんなことを話して歩いて行った。気候は海へはいるには涼し過ぎるのに違いなかった。けれども僕等は上総 の海に、――と言うよりもむしろ暮れかかった夏に未練 を持っていたのだった。
海には僕等の来た頃 は勿論 、きのうさえまだ七八人の男女 は浪乗 りなどを試みていた。しかしきょうは人かげもなければ、海水浴区域を指定する赤旗 も立っていなかった。ただ広びろとつづいた渚 に浪の倒れているばかりだった。葭簾囲 いの着もの脱 ぎ場にも、――そこには茶色の犬が一匹、細 かい羽虫 の群 れを追いかけていた。が、それも僕等を見ると、すぐに向うへ逃げて行ってしまった。
僕は下駄だけは脱いだものの、とうてい泳ぐ気にはなれなかった。しかしMはいつのまにか湯帷子 や眼鏡 を着もの脱ぎ場へ置き、海水帽の上へ頬 かぶりをしながら、ざぶざぶ浅瀬 へはいって行った。
「おい、はいる気かい?」
「だってせっかく来たんじゃないか?」
Mは膝ほどある水の中に幾分 か腰をかがめたなり、日に焼けた笑顔 をふり向けて見せた。
「君もはいれよ。」
「僕は厭 だ。」
「へん、『嫣然 』がいりゃはいるだろう。」
「莫迦 を言え。」
「嫣然」と言うのはここにいるうちに挨拶 ぐらいはし合うようになったある十五六の中学生だった。彼は格別美少年ではなかった。しかしどこか若木 に似た水々しさを具えた少年だった。ちょうど十日ばかり以前のある午後、僕等は海から上 った体を熱い砂の上へ投げ出していた。そこへ彼も潮 に濡れたなり、すたすた板子 を引きずって来た。が、ふと彼の足もとに僕等の転 がっているのを見ると、鮮 かに歯を見せて一笑した。Mは彼の通り過ぎた後 、ちょっと僕に微苦笑 を送り、
「あいつ、嫣然 として笑ったな。」と言った。それ以来彼は僕等の間 に「嫣然」と言う名を得ていたのだった。
「どうしてもはいらないか?」
「どうしてもはいらない。」
「イゴイストめ!」
Mは体を濡 らし濡らし、ずんずん沖 へ進みはじめた。僕はMには頓着 せず、着もの脱ぎ場から少し離れた、小高い砂山の上へ行った。それから貸下駄を臀 の下に敷き、敷島 でも一本吸おうとした。しかし僕のマツチの火は存外強い風のために容易に巻煙草に移らなかった。
「おうい。」
Mはいつ引っ返したのか、向うの浅瀬に佇 んだまま、何か僕に声をかけていた。けれども生憎 その声も絶え間 のない浪 の音のためにはっきり僕の耳へはいらなかった。
「どうしたんだ?」
僕のこう尋ねた時にはMはもう湯帷子 を引っかけ、僕の隣に腰を下ろしていた。
「何、水母 にやられたんだ。」
海にはこの数日来、俄 に水母が殖 えたらしかった。現に僕もおとといの朝、左の肩から上膊 へかけてずっと針の痕 をつけられていた。
「どこを?」
「頸 のまわりを。やられたなと思ってまわりを見ると、何匹も水の中に浮いているんだ。」
「だから僕ははいらなかったんだ。」
「□ をつけ。――だがもう海水浴もおしまいだな。」
渚 はどこも見渡す限り、打ち上げられた海草 のほかは白 じらと日の光に煙っていた。そこにはただ雲の影の時々大走 りに通るだけだった。僕等は敷島を啣 えながら、しばらくは黙ってこう言う渚に寄せて来る浪を眺めていた。
「君は教師の口はきまったのか?」
Mは唐突 とこんなことを尋ねた。
「まだだ。君は?」
「僕か? 僕は……」
Mの何か言いかけた時、僕等は急に笑い声やけたたましい足音に驚かされた。それは海水着に海水帽をかぶった同年輩 の二人 の少女だった。彼等はほとんど傍若無人 に僕等の側を通り抜けながら、まっすぐに渚へ走って行った。僕等はその後姿 を、――一人 は真紅 の海水着を着、もう一人はちょうど虎 のように黒と黄とだんだらの海水着を着た、軽快な後姿を見送ると、いつか言い合せたように微笑していた。
「彼女たちもまだ帰らなかったんだな。」
Mの声は常談 らしい中にも多少の感慨を託 していた。
「どうだ、もう一ぺんはいって来ちゃ?」
「あいつ一人ならばはいって来るがな。何しろ『ジンゲジ』も一しょじゃ、……」
僕等は前の「嫣然 」のように彼等の一人に、――黒と黄との海水着を着た少女に「ジンゲジ」と言う諢名 をつけていた。「ジンゲジ」とは彼女の顔だち(ゲジヒト)の肉感的(ジンリッヒ)なことを意味するのだった。僕等は二人ともこの少女にどうも好意を持ち悪 かった。もう一人の少女にも、――Mはもう一人の少女には比較的興味を感じていた。のみならず「君は『ジンゲジ』にしろよ。僕はあいつにするから」などと都合 の好 いことを主張していた。
「そこを彼女のためにはいって来いよ。」
「ふん、犠牲的 精神を発揮してか?――だがあいつも見られていることはちゃんと意識しているんだからな。」
「意識していたって好いじゃないか。」
「いや、どうも少し癪 だね。」
彼等は手をつないだまま、もう浅瀬へはいっていた。浪 は彼等の足もとへ絶えず水吹 きを打ち上げに来た。彼等は濡れるのを惧 れるようにそのたびにきっと飛び上った。こう言う彼等の戯 れはこの寂しい残暑の渚と不調和に感ずるほど花やかに見えた。それは実際人間よりも蝶 の美しさに近いものだった。僕等は風の運んで来る彼等の笑い声を聞きながら、しばらくまた渚から遠ざかる彼等の姿を眺めていた。
「感心に中々勇敢だな。」
「まだ背 は立っている。」
「もう――いや、まだ立っているな。」
彼等はとうに手をつながず、別々に沖へ進んでいた。彼等の一人は、――真紅 の海水着を着た少女は特にずんずん進んでいた。と思うと乳ほどの水の中に立ち、もう一人の少女を招きながら、何か甲高 い声をあげた。その顔は大きい海水帽のうちに遠目 にも活 き活 きと笑っていた。
「水母 かな?」
「水母かも知れない。」
しかし彼等は前後したまま、さらに沖へ出て行くのだった。
僕等は二人の少女の姿が海水帽ばかりになったのを見、やっと砂の上の腰を起した。それから余り話もせず、(腹も減っていたのに違いなかった。)宿の方へぶらぶら帰って行った。
三
……日の暮も秋のように涼しかった。僕等は晩飯をすませた後 、この町に帰省中のHと言う友だちやNさんと言う宿の若主人ともう一度浜へ出かけて行った。それは何も四人とも一しょに散歩をするために出かけたのではなかった。HはS村の伯父 を尋ねに、Nさんはまた同じ村の籠屋 へ庭鳥 を伏せる籠を註文 しにそれぞれ足を運んでいたのだった。
浜伝 いにS村へ出る途 は高い砂山の裾 をまわり、ちょうど海水浴区域とは反対の方角に向っていた。海は勿論砂山に隠れ、浪の音もかすかにしか聞えなかった。しかし疎 らに生 え伸びた草は何か黒い穂 に出ながら、絶えず潮風 にそよいでいた。
「この辺 に生えている草は弘法麦 じゃないね。――Nさん、これば何と言うの?」
僕は足もとの草をむしり、甚平 一つになったNさんに渡した。
「さあ、蓼 じゃなし、――何と言いますかね。Hさんは知っているでしょう。わたしなぞとは違って土地っ子ですから。」
僕等もNさんの東京から聟 に来たことは耳にしていた。のみならず家附 の細君は去年の夏とかに男を拵 えて家出したことも耳にしていた。
「魚 のこともHさんはわたしよりはずっと詳 しいんです。」
「へええ、Hはそんなに学者かね。僕はまた知っているのは剣術ばかりかと思っていた。」
HはMにこう言われても、弓の折れの杖を引きずったまま、ただにやにや笑っていた。
「Mさん、あなたも何かやるでしょう?」
「僕? 僕はまあ泳ぎだけですね。」
Nさんはバットに火をつけた後 、去年水泳中に虎魚 に刺 された東京の株屋の話をした。その株屋は誰が何と言っても、いや、虎魚 などの刺す訣 はない、確かにあれは海蛇 だと強情を張っていたとか言うことだった。
「海蛇なんてほんとうにいるの?」
しかしその問に答えたのはたった一人 海水帽をかぶった、背の高いHだった。
「海蛇か? 海蛇はほんとうにこの海にもいるさ。」
「今頃もか?」
「何、滅多 にゃいないんだ。」
僕等は四人とも笑い出した。そこへ向うからながらみ取りが二人 、(ながらみと言うのは螺 の一種である。)魚籃 をぶら下 げて歩いて来た。彼等は二人とも赤褌 をしめた、筋骨 の逞 しい男だった。が、潮 に濡れ光った姿はもの哀れと言うよりも見すぼらしかった。Nさんは彼等とすれ違う時、ちょっと彼等の挨拶 に答え、「風呂 にお出 で」と声をかけたりした。
「ああ言う商売もやり切れないな。」
僕は何か僕自身もながらみ取りになり兼ねない気がした。
「ええ、全くやり切れませんよ。何しろ沖へ泳いで行っちゃ、何度も海の底へ潜 るんですからね。」
「おまけに澪 に流されたら、十中八九は助からないんだよ。」
Hは弓の折れの杖を振り振り、いろいろ澪の話をした。大きい澪は渚から一里半も沖へついている、――そんなことも話にまじっていた。
「そら、Hさん、ありゃいつでしたかね、ながらみ取りの幽霊 が出るって言ったのは?」
「去年――いや、おととしの秋だ。」
「ほんとうに出たの?」
HさんはMに答える前にもう笑い声を洩 らしていた。
「幽霊じゃなかったんです。しかし幽霊が出るって言ったのは磯 っ臭い山のかげの卵塔場 でしたし、おまけにそのまたながらみ取りの死骸 は蝦 だらけになって上 ったもんですから、誰でも始めのうちは真 に受けなかったにしろ、気味悪がっていたことだけは確かなんです。そのうちに海軍の兵曹上 りの男が宵のうちから卵塔場に張りこんでいて、とうとう幽霊を見とどけたんですがね。とっつかまえて見りゃ何のことはない。ただそのながらみ[#「ながらに」に傍点]取りと夫婦約束をしていたこの町の達磨茶屋 の女だったんです。それでも一時は火が燃えるの人を呼ぶ声が聞えるのって、ずいぶん大騒 ぎをしたもんですよ。」
「じゃ別段その女は人を嚇 かす気で来ていたんじゃないの?」
「ええ、ただ毎晩十二時前後にながらみ取りの墓の前へ来ちゃ、ぼんやり立っていただけなんです。」
Nさんの話はこう言う海辺 にいかにもふさわしい喜劇だった。が、誰も笑うものはなかった。のみならず皆なぜともなしに黙って足ばかり運んでいた。
「さあこの辺 から引っ返すかな。」
僕等はMのこう言った時、いつのまにかもう風の落ちた、人気 のない渚 を歩いていた。あたりは広い砂の上にまだ千鳥 の足跡 さえかすかに見えるほど明るかった。しかし海だけは見渡す限り、はるかに弧 を描 いた浪打ち際に一すじの水沫 を残したまま、一面に黒ぐろと暮れかかっていた。
「じや失敬。」
「さようなら。」
HやNさんに別れた後 、僕等は格別急ぎもせず、冷びえした渚を引き返した。渚には打ち寄せる浪の音のほかに時々澄み渡った蜩 の声も僕等の耳へ伝わって来た。それは少くとも三町は離れた松林に鳴いている蜩だった。
「おい、M!」
僕はいつかMより五六歩あとに歩いていた。
「何だ?」
「僕等ももう東京へ引き上げようか?」
「うん、引き上げるのも悪くはないな。」
それからMは気軽そうにティッペラリイの口笛を吹きはじめた。
……雨はまだ降りつづけていた。僕等は
僕等のいるのは何もない庭へ
「さあ、仕事でもするかな。」
Mは長ながと寝ころんだまま、
Mの次の
――それは
「もし、もし、お願いがあるのですが、……」
雨戸の外の声はこう言った。僕はその言葉を聞いた時、「ははあ、Kのやつだな」と思った。Kと言うのは僕等よりも一年
「
「いいえ、金のことじゃありません。ただわたしの友だちに会わせたい女があるんですが、……」
その声はどうもKらしくなかった。のみならず誰か僕のことを心配してくれる人らしかった。僕は急にわくわくしながら、雨戸をあけに飛び起きて行った。実際庭は
僕はしばらく月の
「ああ、鮒が声をかけたんだ。」
僕はこう思って安心した。――
僕の目を覚ました時にはもう
二
……一時間ばかりたった
「泳げるかな?」
「きょうは少し寒いかも知れない。」
僕等は
海には僕等の来た
僕は下駄だけは脱いだものの、とうてい泳ぐ気にはなれなかった。しかしMはいつのまにか
「おい、はいる気かい?」
「だってせっかく来たんじゃないか?」
Mは膝ほどある水の中に
「君もはいれよ。」
「僕は
「へん、『
「
「嫣然」と言うのはここにいるうちに
「あいつ、
「どうしてもはいらないか?」
「どうしてもはいらない。」
「イゴイストめ!」
Mは体を
「おうい。」
Mはいつ引っ返したのか、向うの浅瀬に
「どうしたんだ?」
僕のこう尋ねた時にはMはもう
「何、
海にはこの数日来、
「どこを?」
「
「だから僕ははいらなかったんだ。」
「
「君は教師の口はきまったのか?」
Mは
「まだだ。君は?」
「僕か? 僕は……」
Mの何か言いかけた時、僕等は急に笑い声やけたたましい足音に驚かされた。それは海水着に海水帽をかぶった
「彼女たちもまだ帰らなかったんだな。」
Mの声は
「どうだ、もう一ぺんはいって来ちゃ?」
「あいつ一人ならばはいって来るがな。何しろ『ジンゲジ』も一しょじゃ、……」
僕等は前の「
「そこを彼女のためにはいって来いよ。」
「ふん、
「意識していたって好いじゃないか。」
「いや、どうも少し
彼等は手をつないだまま、もう浅瀬へはいっていた。
「感心に中々勇敢だな。」
「まだ
「もう――いや、まだ立っているな。」
彼等はとうに手をつながず、別々に沖へ進んでいた。彼等の一人は、――
「
「水母かも知れない。」
しかし彼等は前後したまま、さらに沖へ出て行くのだった。
僕等は二人の少女の姿が海水帽ばかりになったのを見、やっと砂の上の腰を起した。それから余り話もせず、(腹も減っていたのに違いなかった。)宿の方へぶらぶら帰って行った。
三
……日の暮も秋のように涼しかった。僕等は晩飯をすませた
「この
僕は足もとの草をむしり、
「さあ、
僕等もNさんの東京から
「
「へええ、Hはそんなに学者かね。僕はまた知っているのは剣術ばかりかと思っていた。」
HはMにこう言われても、弓の折れの杖を引きずったまま、ただにやにや笑っていた。
「Mさん、あなたも何かやるでしょう?」
「僕? 僕はまあ泳ぎだけですね。」
Nさんはバットに火をつけた
「海蛇なんてほんとうにいるの?」
しかしその問に答えたのはたった
「海蛇か? 海蛇はほんとうにこの海にもいるさ。」
「今頃もか?」
「何、
僕等は四人とも笑い出した。そこへ向うからながらみ取りが
「ああ言う商売もやり切れないな。」
僕は何か僕自身もながらみ取りになり兼ねない気がした。
「ええ、全くやり切れませんよ。何しろ沖へ泳いで行っちゃ、何度も海の底へ
「おまけに
Hは弓の折れの杖を振り振り、いろいろ澪の話をした。大きい澪は渚から一里半も沖へついている、――そんなことも話にまじっていた。
「そら、Hさん、ありゃいつでしたかね、ながらみ取りの
「去年――いや、おととしの秋だ。」
「ほんとうに出たの?」
HさんはMに答える前にもう笑い声を
「幽霊じゃなかったんです。しかし幽霊が出るって言ったのは
「じゃ別段その女は人を
「ええ、ただ毎晩十二時前後にながらみ取りの墓の前へ来ちゃ、ぼんやり立っていただけなんです。」
Nさんの話はこう言う
「さあこの
僕等はMのこう言った時、いつのまにかもう風の落ちた、
「じや失敬。」
「さようなら。」
HやNさんに別れた
「おい、M!」
僕はいつかMより五六歩あとに歩いていた。
「何だ?」
「僕等ももう東京へ引き上げようか?」
「うん、引き上げるのも悪くはないな。」
それからMは気軽そうにティッペラリイの口笛を吹きはじめた。
(大正十四年八月七日)
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