日语文学作品赏析《じゅりあの・吉助》
作者:芥川龍之介
来源:青空文库
2010-01-06 00:00
一
じゅりあの・吉助 は、肥前国 彼杵郡 浦上村 の産であった。早く父母に別れたので、幼少の時から、土地の乙名三郎治 と云うものの下男 になった。が、性来愚鈍 な彼は、始終朋輩の弄 り物にされて、牛馬同様な賤役 に服さなければならなかった。
その吉助が十八九の時、三郎治 の一人娘の兼 と云う女に懸想 をした。兼は勿論この下男の恋慕の心などは顧みなかった。のみならず人の悪い朋輩は、早くもそれに気がつくと、いよいよ彼を嘲弄 した。吉助は愚物ながら、悶々 の情に堪えなかったものと見えて、ある夜私 に住み慣れた三郎治の家を出奔 した。
それから三年の間、吉助の消息は杳 として誰も知るものがなかった。
が、その後 彼は乞食 のような姿になって、再び浦上村 へ帰って来た。そうして元の通り三郎治に召使われる事になった。爾来 彼は朋輩の軽蔑も意としないで、ただまめまめしく仕えていた。殊に娘の兼 に対しては、飼犬よりもさらに忠実だった。娘はこの時すでに婿を迎えて、誰も羨むような夫婦仲であった。
こうして一二年の歳月は、何事もなく過ぎて行った。が、その間 に朋輩は吉助の挙動に何となく不審 な所のあるのを嗅 ぎつけた。そこで彼等は好奇心に駆られて、注意深く彼を監視し始めた。すると果して吉助は、朝夕 一度ずつ、額に十字を劃して、祈祷を捧げる事を発見した。彼等はすぐにその旨を三郎治に訴えた。三郎治も後難を恐れたと見えて、即座に彼を浦上村の代官所へ引渡した。
彼は捕手 の役人に囲まれて、長崎の牢屋 へ送られた時も、さらに悪びれる気色 を示さなかった。いや、伝説によれば、愚物の吉助の顔が、その時はまるで天上の光に遍照 されたかと思うほど、不思議な威厳に満ちていたと云う事であった。
二
奉行 の前に引き出された吉助 は、素直に切支丹宗門 を奉ずるものだと白状した。それから彼と奉行との間には、こう云う問答が交換された。
奉行「その方どもの宗門神 は何と申すぞ。」
吉助「べれんの国の御若君 、えす・きりすと様、並に隣国の御息女 、さんた・まりや様でござる。」
奉行「そのものどもはいかなる姿を致して居 るぞ。」
吉助「われら夢に見奉るえす・きりすと様は、紫の大振袖 を召させ給うた、美しい若衆 の御姿 でござる。まったさんた・まりや姫は、金糸銀糸の繍 をされた、襠 の御姿 と拝 み申す。」
奉行「そのものどもが宗門神となったは、いかなる謂 れがあるぞ。」
吉助「えす・きりすと様、さんた・まりや姫に恋をなされ、焦 れ死 に果てさせ給うたによって、われと同じ苦しみに悩むものを、救うてとらしょうと思召し、宗門神となられたげでござる。」
奉行「その方はいずこの何ものより、さような教を伝授 されたぞ。」
吉助「われら三年の間、諸処を経めぐった事がござる。その折さる海辺 にて、見知らぬ紅毛人 より伝授を受け申した。」
奉行「伝授するには、いかなる儀式を行うたぞ。」
吉助「御水 を頂戴致いてから、じゅりあのと申す名を賜 ってござる。」
奉行「してその紅毛人は、その後いずこへ赴いたぞ。」
吉助「されば稀有 な事でござる。折から荒れ狂うた浪を踏んで、いず方へか姿を隠し申した。」
奉行「この期 に及んで、空事 を申したら、その分にはさし置くまいぞ。」
吉助「何で偽 などを申上ぎょうず。皆紛 れない真実でござる。」
奉行は吉助の申し条を不思議に思った。それは今まで調べられた、どの切支丹門徒 の申し条とも、全く変ったものであった。が、奉行が何度吟味 を重ねても、頑として吉助は、彼の述べた所を飜 さなかった。
三
じゅりあの・吉助は、遂に天下の大法 通り、磔刑 に処せられる事になった。
その日彼は町中 を引き廻された上、さんと・もんたにの下の刑場で、無残にも磔 に懸けられた。
磔柱 は周囲の竹矢来 の上に、一際 高く十字を描いていた。彼は天を仰ぎながら、何度も高々と祈祷を唱えて、恐れげもなく非人 の槍 を受けた。その祈祷の声と共に、彼の頭上の天には、一団の油雲 が湧き出でて、ほどなく凄じい大雷雨が、沛然 として刑場へ降り注いだ。再び天が晴れた時、磔柱の上のじゅりあの・吉助は、すでに息が絶えていた。が、竹矢来 の外にいた人々は、今でも彼の祈祷の声が、空中に漂っているような心もちがした。
それは「べれんの国の若君様、今はいずこにましますか、御褒 め讃 え給え」と云う、簡古素朴 な祈祷だった。
彼の死骸を磔柱から下した時、非人は皆それが美妙な香 を放っているのに驚いた。見ると、吉助の口の中からは、一本の白い百合 の花が、不思議にも水々しく咲き出ていた。
これが長崎著聞集 、公教遺事 、瓊浦把燭談 等に散見する、じゅりあの・吉助の一生である。そうしてまた日本の殉教者中、最も私 の愛している、神聖な愚人の一生である。
じゅりあの・
その吉助が十八九の時、
それから三年の間、吉助の消息は
が、その
こうして一二年の歳月は、何事もなく過ぎて行った。が、その
彼は
二
奉行「その方どもの
吉助「べれんの国の
奉行「そのものどもはいかなる姿を致して
吉助「われら夢に見奉るえす・きりすと様は、紫の
奉行「そのものどもが宗門神となったは、いかなる
吉助「えす・きりすと様、さんた・まりや姫に恋をなされ、
奉行「その方はいずこの何ものより、さような教を
吉助「われら三年の間、諸処を経めぐった事がござる。その折さる
奉行「伝授するには、いかなる儀式を行うたぞ。」
吉助「
奉行「してその紅毛人は、その後いずこへ赴いたぞ。」
吉助「されば
奉行「この
吉助「何で
奉行は吉助の申し条を不思議に思った。それは今まで調べられた、どの
三
じゅりあの・吉助は、遂に天下の
その日彼は
それは「べれんの国の若君様、今はいずこにましますか、
彼の死骸を磔柱から下した時、非人は皆それが美妙な
これが
(大正八年八月)
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