日语文学作品赏析《きりしとほろ上人伝》
作者:芥川龍之介
来源:青空文库
2010-01-06 00:00
小序
これは予が嘗 て三田文学誌上に掲載した「奉教人の死」と同じく、予が所蔵の切支丹版「れげんだ・おうれあ」の一章に、多少の潤色を加へたものである。但し「奉教人の死」は本邦西教徒の逸事であつたが、「きりしとほろ上人伝 」は古来洽 く欧洲天主教国に流布 した聖人行状記の一種であるから、予の「れげんだ・おうれあ」の紹介も、彼是 相俟 つて始めて全豹 を彷彿 する事が出来るかも知れない。
伝中殆ど滑稽に近い時代錯誤や場所錯誤が続出するが、予は原文の時代色を損ふまいとした結果、わざと何等の筆削 をも施さない事にした。大方の諸君子にして、予が常識の有無を疑はれなければ幸甚である。
一 山ずまひのこと
遠い昔のことでおぢやる。「しりあ」の国の山奥に、「れぷろぼす」と申す山男がおぢやつた。その頃「れぷろぼす」ほどな大男は、御主 の日輪の照らさせ給ふ天 が下はひろしと云へ、絶えて一人もおりなかつたと申す。まづ身の丈は三丈あまりもおぢやらうか。葡萄蔓 かとも見ゆる髪の中には、いたいけな四十雀 が何羽とも知れず巣食うて居つた。まいて手足はさながら深山 の松檜にまがうて、足音は七つの谷々にも谺 するばかりでおぢやる。さればその日の糧 を猟 らうにも、鹿熊なんどのたぐひをとりひしぐは、指の先の一ひねりぢや。又は折ふし海べに下り立つて、すなどらうと思ふ時も、海松房 ほどな髯 の垂れた顋 をひたと砂につけて、ある程の水を一吸ひ吸へば、鯛 も鰹 も尾鰭 をふるうて、ざはざはと口へ流れこんだ。ぢやによつて沖を通る廻船さへ、時ならぬ潮のさしひきに漂はされて、水夫 楫取 の慌 てふためく事もおぢやつたと申し伝へた。
なれど「れぷろぼす」は、性得 心根 のやさしいものでおぢやれば、山ずまひの杣 猟夫 は元より、往来の旅人にも害を加へたと申す事はおりない。反 つて杣 の伐 りあぐんだ樹は推し倒し、猟夫 の追ひ失うた毛物 はとつておさへ、旅人の負ひなやんだ荷は肩にかけて、なにかと親切をつくいたれば、遠近 の山里でもこの山男を憎まうずものは、誰一人おりなかつた。中にもとある一村では、羊飼のわらんべが行き方知れずになつた折から、夜さりそのわらんべの親が家の引き窓を推し開くものがあつたれば、驚きまどうて上を見たに、箕 ほどな「れぷろぼす」の掌 が、よく眠入 つたわらんべをかいのせて、星空の下から悠々と下りて来たこともおぢやると申す。何と山男にも似合ふまじい、殊勝な心映えではおぢやるまいか。
されば山賤 たちも「れぷろぼす」に出合へば、餅や酒などをふるまうて、へだてなく語らふことも度々おぢやつた。さるほどにある日のこと、杣 の一むれが樹を伐らうずとて、檜山 ふかくわけ入つたに、この山男がのさのさと熊笹の奥から現れたれば、もてなし心に落葉を焚 いて、徳利の酒を暖めてとらせた。その滴 ほどな徳利の酒さへ、「れぷろぼす」は大きに悦 んだけしきで、頭の中に巣食うた四十雀にも、杣たちの食 み残いた飯をばらまいてとらせながら、大あぐらをかいて申したは、
「それがしも人間と生れたれば、あつぱれ功名手がらをも致いて、末は大名ともならうずる。」と云へば、杣たちも打ち興じて、
「道理 かな。おぬしほどの力量があれば、城の二つ三つも攻め落さうは、片手業 にも足るまじい。」と云うた。その時「れぷろぼす」が、ちともの案ずる体 で申すやうは、
「なれどここに一つ、難儀なことがおぢやる。それがしは日頃山ずまひのみ致いて居れば、どの殿の旗下 に立つて、合戦を仕 らうやら、とんと分別を致さうやうもござない。就いては当今天下無双の強者 と申すは、いづくの国の大将でござらうぞ。誰にもあれそれがしは、その殿の馬前に馳 せ参じて、忠節をつくさうずる。」と問うたれば、
「さればその事でおぢやる。まづわれらが量見にては、今天 が下に『あんちおきや』の帝 ほど、武勇に富んだ大将もおぢやるまい。」と答へた。山男はそれを聞いて、斜 ならず悦びながら、
「さらばすぐさま、打ち立たうず。」とて、小山のやうな身を起 いたが、ここに不思議がおぢやつたと申すは、頭の中に巣食うた四十雀 が、一時にけたたましい羽音を残いて、空に網を張つた森の梢 へ、雛 も余さず飛び立つてしまうた事ぢや。それが斜に枝を延 いた檜のうらに上つたれば、とんとその樹は四十雀が実のつたやうぢやとも申さうず。「れぷろぼす」はこの四十雀のふるまひを、訝 しげな眼で眺めて居つたが、やがて又初一念を思ひ起いた顔色で、足もとにつどうた杣 たちにねんごろな別をつげてから、再び森の熊笹を踏み開いて、元来たやうにのしのしと、山奥へ独り往 んでしまうた。
されば「れぷろぼす」が大名にならうず願望がことは、間もなく遠近 の山里にも知れ渡つたが、ほど経て又かやうな噂 が、風のたよりに伝はつて参つた。と申すは国ざかひの湖で、大ぜいの漁夫 たちが泥に吸はれた大船をひきなづんで居つた所に、怪しげな山男がどこからか現れて、その船の帆柱をむずとつかんだと見てあれば、苦もなく岸へひきよせて、一同の驚き呆れるひまに、早くも姿をかくしたと云ふ噂ぢや。ぢやによつて「れぷろぼす」を見知つたほどの山賤 たちは、皆この情ぶかい山男が、愈 「しりや」の国中から退散したことを悟つたれば、西空に屏風 を立てまはした山々の峰を仰ぐ毎に、限りない名残りが惜しまれて、自 らため息がもれたと申す。まいてあの羊飼のわらんべなどは、夕日が山かげに沈まうず時は、必 村はづれの一本杉にたかだかとよぢのぼつて、下につどうた羊のむれも忘れたやうに、「れぷろぼす」恋しや、山を越えてどち行つたと、かなしげな声で呼びつづけた。さてその後「れぷろぼす」が、如何なる仕合せにめぐり合うたか、右の一条を知らうず方々はまづ次のくだりを読ませられい。
二 俄大名のこと
さるほどに「れぷろぼす」は、難なく「あんちおきや」の城裡 に参つたが、田舎 の山里とはこと変り、この「あんちおきや」の都と申すは、この頃天 が下に並びない繁華の土地がらゆゑ、山男が巷 へはいるや否や、見物の男女 夥 しうむらがつて、はては通行することも出来まじいと思はれた。されば「れぷろぼす」もとんと行かうず方角を失うて、人波に腰を揉 まれながら、とある大名小路の辻に立ちすくんでしまうたに、折よくそこへ来かかつたは、帝 の御輦 をとりまいた、侍たちの行列ぢや。見物の群集 はこれに先を追はれて、山男を一人残いた儘 、見る見る四方へ遠のいてしまうた。ぢやによつて「れぷろぼす」は、大象の足にまがはうずしたたかな手を大地について、御輦の前に頭を下げながら、
「これは『れぷろぼす』と申す山男でござるが、唯今『あんちおきや』の帝は、天下無双の大将と承り、御奉公申さうずとて、はるばるこれまでまかり上つた。」と申し入れた。これよりさき、帝の同勢も、「れぷろぼす」の姿に胆 をけして、先手は既に槍 薙刀 の鞘 をも払はうずけしきであつたが、この殊勝な言 を聞いて、異心もあるまじいものと思ひつらう、とりあへず行列をそこに止めて、供頭 の口からその趣をしかじかと帝へ奏聞 した。帝はこれを聞 し召されて、
「かほどの大男のことなれば、一定 武勇も人に超えつらう。召し抱へてとらせい。」と、仰せられたれば、格別の詮議とあつて、すぐさま同勢の内へ加へられた。「れぷろぼす」の悦びは申すまでもあるまじい。ぢやによつて帝の行列の後から、三十人の力士もえ舁 くまじい長櫃 十棹 の宰領を承つて、ほど近い御所の門まで、鼻たかだかと御供仕つた。まことこの時の「れぷろぼす」が、山ほどな長櫃を肩にかけて、行列の人馬を目の下に見下しながら、大手をふつてまかり通つた異形 奇体の姿こそ、目ざましいものでおぢやつたらう。
さてこれより「れぷろぼす」は、漆紋 の麻裃 に朱鞘の長刀 を横たへて、朝夕「あんちおきや」の帝の御所を守護する役者の身となつたが、幸 ここに功名手がらを顕 さうず時節が到来したと申すは、ほどなく隣国の大軍がこの都を攻めとらうと、一度に押し寄せて参つたことぢや。元来この隣国の大将は、獅子王をも手打ちにすると聞えた、万夫不当 の剛の者でおぢやれば、「あんちおきや」の帝とても、なほざりの合戦はなるまじい。ぢやによつて今度の先手 は、今まゐりながら「れぷろぼす」に仰せつけられ、帝は御自 ら本陣に御輦 をすすめて、号令を司 られることとなつた。この采配を承つた「れぷろぼす」が、悦び身にあまりて、足の踏みども覚えなんだは、毛頭無理もおぢやるまい。
やがて味方も整へば、帝は、「れぷろぼす」をまつさきに、貝金 陣太鼓の音も勇しう、国ざかひの野原に繰り出された。かくと見た敵の軍勢は、元より望むところの合戦ぢやによつて、なじかは寸刻もためらはう。野原を蔽 うた旗差物が、俄 に波立つたと見てあれば、一度にどつと鬨 をつくつて、今にも懸け合はさうずけしきに見えた。この時「あんちおきや」の人数の中より、一人悠々と進み出 いたは、別人でもない「れぷろぼす」ぢや。山男がこの日の出 で立ちは、水牛の兜 に南蛮鉄の鎧 を着下 いて、刃渡り七尺の大薙刀 を柄 みじかにおつとつたれば、さながら城の天主に魂が宿つて、大地も狭しと揺ぎ出 いた如くでおぢやる。さるほどに「れぷろぼす」は両軍の唯中に立ちはだかると、その大薙刀をさしかざいて、遙 に敵勢を招きながら、雷 のやうな声で呼 はつたは、
「遠からんものは音にも聞け、近くばよつて目にも見よ。これは『あんちおきや』の帝が陣中に、さるものありと知られたる『れぷろぼす』と申す剛の者ぢや。辱 くも今日は先手の大将を承り、ここに軍を出 いたれば、われと思はうずるものどもは、近う寄つて勝負せよやつ。」と申した。その武者ぶりの凄じさは、昔「ぺりして」の豪傑に「ごりあて」と聞えたが、鱗綴 の大鎧に銅 の矛 を提 げて、百万の大軍を叱陀 したにも、劣るまじいと見えたれば、さすが隣国の精兵たちも、しばしがほどは鳴 を静めて、出で合うずものもおりなかつた。ぢやによつて敵の大将も、この山男を討たいでは、かなふまじいと思ひつらう。美々しい物の具に三尺の太刀をぬきかざいて、竜馬 に泡を食 ませながら、これも大音に名乗りをあげて、まつしぐらに「れぷろぼす」へ打つてかかつた。なれどもこなたはものともせいで、大薙刀をとりのべながら、二太刀三太刀あしらうたが、やがて得物をからりと捨てて、猿臂 をのばいたと見るほどに、早くも敵の大将を鞍壺 からひきぬいて、目もはるかな大空へ、礫 の如く投げ飛ばいた。その敵の大将がきりきりと宙に舞ひながら、味方の陣中へどうと落ちて、乱離骨灰 になつたのと、「あんちおきや」の同勢が鯨波 の声を轟かいて、帝の御輦 を中にとりこめ、雪崩 の如く攻めかかつたのとが、間 に髪 をも入れまじい、殆ど同時の働きぢや。されば隣国の軍勢は、一たまりもなく浮き足立つて、武具馬具のたぐひをなげ捨てながら、四分五裂に落ち失 せてしまうた。まことや「あんちおきや」の帝がこの日の大勝利は、味方の手にとつた兜首 の数ばかりも、一年の日数よりは多かつたと申すことでおぢやる。
ぢやによつて帝は御悦び斜ならず、目でたく凱歌の裡 に軍 をめぐらされたが、やがて「れぷろぼす」には大名の位を加へられ、その上諸臣にも一々勝利の宴を賜つて、ねんごろに勲功をねぎらはれた。その勝利の宴を賜つた夜のことと思召 されい。当時国々の形儀 とあつて、その夜も高名 な琵琶法師が、大燭台の火の下に節面白う絃 を調じて、今昔 の合戦のありさまを、手にとる如く物語つた。この時「れぷろぼす」は、かねての大願を成就したことでおぢやれば、涎 も垂れようずばかり笑み傾いて、余念もなく珍陀 の酒を酌 みかはいてあつた所に、ふと酔うた眼にもとまつたは、錦の幔幕 を張り渡いた正面の御座にわせられる帝 の異な御ふるまひぢや。何故と申せば、検校 のうたふ物語の中に、悪魔 と云ふ言葉がおぢやると思へば、帝はあわただしう御手をあげて、必ず十字の印 を切らせられた。その御ふるまひが怪 しからずものものしげに見えたれば、「れぷろぼす」は同席の侍に、
「何として帝は、あのやうに十字の印を切らせられるぞ。」と、卒爾 ながら尋ねて見た所がその侍の答へたは、
「総じて悪魔 と申すものは、天 が下の人間をも掌 にのせて弄 ぶ、大力量のものでおぢやる。ぢやによつて帝も、悪魔 の障碍 を払はうずと思召され、再三十字の印を切つて、御身を守らせ給ふのぢや。」と申した。「れぷろぼす」はこれを聞いて、迂論 げに又問ひ返したは、
「なれど今『あんちおきや』の帝は、天 が下に並びない大剛の大将と承つた。されば悪魔 も帝の御身には、一指をだに加へまじい。」と申したが、侍は首をふつて、
「いや、いや、帝も、悪魔 ほどの御威勢はおぢやるまい。」と答へた。山男はこの答を聞くや否や、大いに憤つて申したは、
「それがしが帝に随身し奉つたは、天下無双の強者 は帝ぢやと承つた故でおぢやる。しかるにその帝さへ、悪魔 には腰を曲げられるとあるなれば、それがしはこれよりまかり出でて、悪魔 の臣下と相成らうず。」と喚 きながら、ただちに珍陀の盃を抛 つて、立ち上らうと致いたれば、一座の侍はさらいでも、「れぷろぼす」が今度の功名を妬 ましう思うて居つたによつて、
「すは、山男が謀叛 するわ。」と異口同音に罵 り騒いで、やにはに四方八方から搦 めとらうと競ひ立つた。もとより「れぷろぼす」も日頃ならば、さうなくこの侍だちに組みとめられう筈もあるまじい。なれどもその夜は珍陀の酔 に前後も不覚の体 ぢやによつて、しばしがほどこそ多勢を相手に、組んづほぐれつ、揉 み合うても居つたが、やがて足をふみすべらいて、思はずどうとまろんだれば、えたりやおうと侍だちは、いやが上にも折り重つて、怒り狂ふ「れぷろぼす」を高手小手に括 り上げた。帝もことの体 たらくを始終残らず御覧 ぜられ、
「恩を讐 で返すにつくいやつめ。□々 土の牢へ投げ入れい。」と、大いに逆鱗 あつたによつて、あはれや「れぷろぼす」はその夜の内に、見るもいぶせい地の底の牢舎へ、禁獄せられる身の上となつた。さてこの「あんちおきや」の牢内に囚 はれとなつた「れぷろぼす」が、その後如何なる仕合せにめぐり合うたか、右の一条を知らうず方々は、まづ次のくだりを読ませられい。
三 魔往来のこと
さるほどに「れぷろぼす」は、未 だ繩目もゆるされいで、土の牢の暗 の底へ、投げ入れられたことでおぢやれば、しばしがほどは赤子のやうに、唯おうおうと声を上げて、泣き喚 くより外はおりなかつた。その時いづくよりとも知らず、緋 の袍 をまとうた学匠 が、忽然 と姿を現 いて、やさしげに問ひかけたは、
「如何 に『れぷろぼす』。おぬしは何として、かやうな所に居るぞ。」とあつたれば、山男は今更ながら、滝のやうに涙を流いて、
「それがしは、帝に背 き奉つて、悪魔 に仕へようずと申したれば、かやうに牢舎致されたのでおぢやる。おう、おう、おう。」と歎き立てた。学匠はこれを聞いて、再びやさしげに尋ねたは、
「さらばおぬしは、今もなほ悪魔 に仕へようず望がおりやるか。」と申すに、「れぷろぼす」は頭 を竪 に動かいて、
「今もなほ、仕へようずる。」と答へた。学匠は大いにこの返事を悦んで、土の牢も鳴りどよむばかり、からからと笑ひ興じたが、やがて三度やさしげに申したは、
「おぬしの所望は、近頃殊勝千万ぢやによつて、これよりただちに牢舎を赦 いてとらさうずる。」とあつて、身にまとうた緋の袍を、「れぷろぼす」が上に蔽うたれば、不思議や総身の縛 めは、悉 くはらりと切れてしまうた。山男の驚きは申すまでもあるまじい。されば恐る恐る身を起いて、学匠の顔を見上げながら、慇懃 に礼を為 いて申したは、
「それがしが繩目を赦いてたまはつた御恩は、生々世々 忘却つかまつるまじい。なれどもこの土の牢をば、何として忍び出で申さうずる。」と云うた。学匠はこの時又えせ笑ひをして、
「かうすべいに、なじかは難からう。」と申しも果 ず、やにはに緋の袍の袖をひらいて、「れぷろぼす」を小脇に抱 いたれば、見る見る足下が暗うなつて、もの狂ほしい一陣の風が吹き起つたと思ふほどに、二人は何時 か宙を踏んで、牢舎を後に飄々 と「あんちおきや」の都の夜空へ、火花を飛 いて舞ひあがつた。まことやその時は学匠の姿も、折から沈まうず月を背負うて、さながら怪しげな大蝙蝠 が、黒雲の翼を一文字に飛行 する如く見えたと申す。
されば「れぷろぼす」は愈 胆を消 いて、学匠もろとも中空を射る矢のやうに翔 りながら、戦 く声で尋ねたは、
「そもそもごへんは、何人でおぢやらうぞ。ごへんほどな大神通 の博士は、世にも又とあるまじいと覚ゆる。」と申したに、学匠は忽ち底気味悪いほくそ笑みを洩しながら、わざとさりげない声で答へたは、
「何を隠さう、われらは、天 が下の人間を掌 にのせて弄 ぶ、大力量の剛の者ぢや。」とあつたによつて、「れぷろぼす」は始めて学匠の本性が、悪魔 ぢやと申すことに合点 が参つた。さるほどに悪魔 はこの問答の間さへ、妖霊星の流れる如く、ひた走りに宙を走つたれば、「あんちおきや」の都の燈火 も、今ははるかな闇の底に沈みはてて、やがて足もとに浮んで参つたは、音に聞く「えじつと」の沙漠でおぢやらう。幾百里とも知れまじい砂の原が、有明の月の光の中に、夜目にも白々と見え渡つた。この時学匠は爪長な指をのべて、下界をゆびさしながら申したは、
「かしこの藁屋 には、さる有験 の隠者が住居 致いて居ると聞いた。まづあの屋根の上に下らうずる。」とあつて、「れぷろぼす」を小脇に抱いた儘 、とある沙山 陰のあばら家の棟 へ、ひらひらと空から舞ひ下つた。
こなたはそのあばら家に行ひすまいて居つた隠者の翁 ぢや。折から夜のふけたのも知らず、油火 のかすかな光の下で、御経 を読誦 し奉つて居つたが、忽 ちえならぬ香風が吹き渡つて、雪にも紛 はうず桜の花が紛々と飜 り出 いたと思へば、いづくよりともなく一人の傾城 が、鼈甲 の櫛 笄 を円光の如くさしないて、地獄絵を繍 うた襠 の裳 を長々とひきはえながら、天女のやうな媚 を凝 して、夢かとばかり眼の前へ現れた。翁はさながら「えじつと」の沙漠が、片時の内に室神崎 の廓 に変つたとも思ひつらう。あまりの不思議さに我を忘れて、しばしがほどは惚々 と傾城 の姿を見守つて居つたに、相手はやがて花吹雪 を身に浴びながら、につこと微笑 んで申したは、
「これは『あんちおきや』の都に隠れもない遊びでおぢやる。近ごろ御僧のつれづれを慰めまゐらせうと存じたれば、はるばるこれまでまかり下つた。」とあつた。その声ざまの美しさは、極楽に棲 むとやら承つた伽陵頻伽 にも劣るまじい。さればさすがに有験 の隠者もうかとその手に乗らうとしたが、思へばこの真夜中に幾百里とも知らぬ「あんちおきや」の都から、傾城 などの来よう筈もおぢやらぬ。さては又しても悪魔 めの悪巧みであらうずと心づいたによつて、ひたと御経に眼を曝 しながら、専念に陀羅尼 を誦 し奉つて居つたに、傾城はかまへてこの隠者の翁を落さうと心にきはめつらう。蘭麝 の薫を漂はせた綺羅 の袂を弄 びながら、嫋々 としたさまで、さも恨めしげに歎いたは、
「如何 に遊びの身とは申せ、千里の山河も厭 はいで、この沙漠までまかり下つたを、さりとは曲 もない御方かな。」と申した。その姿の妙 にも美しい事は、散りしく桜の花の色さへ消えようずると思はれたが、隠者の翁は遍身 に汗を流いて、降魔の呪文を読みかけ読みかけ、かつふつその悪魔 の申す事に耳を借さうず気色 すらおりない。されば傾城もかくてはなるまじいと気を苛 つたか、つと地獄絵の裳 を飜 して、斜に隠者の膝へとすがつたと思へば、
「何としてさほどつれないぞ。」と、よよとばかりに泣い口説 いた。と見るや否や隠者の翁は、蝎 に刺されたやうに躍り上つたが、早くも肌身につけた十字架 をかざいて、霹靂 の如く罵 つたは、
「業畜 、御主 『えす・きりしと』の下部 に向つて無礼 あるまじいぞ。」と申しも果てず、てうと傾城の面 を打つた。打たれた傾城は落花の中に、なよなよと伏しまろんだが、忽ちその姿は見えずなつて、唯一むらの黒雲が湧き起つたと思ふほどに、怪しげな火花の雨が礫 の如く乱れ飛んで、
「あら、痛や。又しても十字架 に打たれたわ。」と唸 く声が、次第に家の棟 にのぼつて消えた。もとより隠者はかうあらうと心に期 して居つたによつて、この間も秘密の真言 を絶えず声高 に誦 し奉つたに、見る見る黒雲も薄れれば、桜の花も降らずなつて、あばら家の中には又もとの如く、油火ばかりが残つたと申す。
なれど隠者は悪魔 の障碍 が猶 もあるべいと思うたれば、夜もすがら御経の力にすがり奉つて、目蓋 も合はさいで明 いたに、やがてしらしら明けと覚しい頃、誰やら柴の扉 をおとづれるものがあつたによつて、十字架 を片手に立ち出でて見たれば、これは又何ぞや、藁屋の前に蹲 つて、恭 しげに時儀 を致いて居つたは、天から降つたか、地から湧いたか、小山のやうな大男ぢや。それが早くも朱 を流いた空を黒々と肩にかぎつて、隠者の前に頭を下げると、恐る恐る申したは、
「それがしは『れぷろぼす』と申す『しりや』の国の山男でおぢやる。ちかごろふつと悪魔 の下部 と相成つて、はるばるこの『えじつと』の沙漠まで参つたれど、悪魔 も御主 『えす・きりしと』とやらんの御威光には叶ひ難く、それがし一人を残し置いて、いづくともなく逐天 致いた。自体それがしは今天が下に並びない大剛の者を尋ね出いて、その身内に仕へようずる志がおぢやるによつて、何とぞこれより後は不束 ながら、御主『えす・きりしと』の下部の数へ御加へ下されい。」と云うた。隠者の翁はこれを聞くと、あばら家の門に佇 みながら、俄に眉をひそめて答へたは、
「はてさて、せんない仕宜 になられたものかな。総じて悪魔 の下部となつたものは、枯木に薔薇の花が咲かうずるまで、御主『えす・きりしと』に知遇し奉る時はござない。」とあつたに、「れぷろぼす」は又ねんごろに頭を下げて、
「たとへ幾千歳を経ようずるとも、それがしは初一念を貫かうずと決定 致いた。さればまづ御主『えす・きりしと』の御意 に叶ふべい仕業の段々を教へられい。」と申した。所で隠者の翁と山男との間には、かやうな問答がしかつめらしうとり交されたと申す事でおぢやる。
「ごへんは御経 の文句を心得られたか。」
「生憎 一字半句の心得もござない。」
「ならば断食は出来申さうず。」
「如何 なこと、それがしは聞えた大飯食ひでおぢやる。中々断食などはなるまじい。」
「難儀かな。夜もすがら眠らいで居る事は如何あらう。」
「如何なこと、それがしは聞えた大寝坊でおぢやる。中々眠らいでは居られまじい。」
それにはさすがの隠者の翁も、ほとほと言 のつぎ穂さへおぢやらなんだが、やがて掌 をはたと打つて、したり顔に申したは、
「ここを南に去ること一里がほどに、流沙河 と申す大河がおぢやる。この河は水嵩 も多く、流れも矢を射る如くぢやによつて、日頃から人馬の渡りに難儀致すとか承つた。なれどごへんほどの大男には、容易 く徒渉 りさへならうずる。さればごへんはこれよりこの河の渡し守となつて、往来の諸人を渡させられい。おのれ人に篤 ければ、天主も亦おのれに篤からう道理 ぢや。」とあつたに、大男は大いに勇み立つて、
「如何にも、その流沙河とやらの渡し守になり申さうずる。」と云うた。ぢやによつて隠者の翁も、「れぷろぼす」が殊勝な志をことの外悦 んで、
「然 らば唯今、御水 を授け申さうずる。」とあつて、おのれは水瓶 をかい抱きながら、もそもそと藁家の棟へ這ひ上つて、漸 く山男の頭の上へその水瓶の水を注ぎ下いた。ここに不思議がおぢやつたと申すは、得度 の御儀式が終りも果てず、折からさし上つた日輪の爛々 と輝いた真唯中から、何やら雲気がたなびいたかと思へば、忽ちそれが数限りもない四十雀 の群となつて、空に聳 えた「れぷろぼす」が叢 ほどな頭の上へ、ばらばらと舞ひ下つたことぢや。この不思議を見た隠者の翁は、思はず御水を授けようず方角さへも忘れはてて、うつとりと朝日を仰いで居つたが、やがて恭 しく天上を伏し拝むと、家の棟から「れぷろぼす」をさし招いて、
「勿体 なくも御水を頂かれた上からは、向後 『れぷろぼす』を改めて、『きりしとほろ』と名のらせられい。思ふに天主もごへんの信心を深う嘉 させ給ふと見えたれば、万一勤行 に懈怠 あるまじいに於ては、必定 遠からず御主『えす・きりしと』の御尊体をも拝み奉らうずる。」と云うた。さて「きりしとほろ」と名を改めた「れぷろぼす」が、その後如何なる仕合せにめぐり合うたか、右の一条を知らうず方々はまづ次のくだりを読ませられい。
四 往生のこと
さるほどに「きりしとほろ」は隠者の翁に別れを告げて、流沙河のほとりに参つたれば、まことに濁流滾々 として、岸べの青蘆 を戦 がせながら、百里の波を翻すありさまは、容易 く舟さへ通ふまじい。なれど山男は身の丈凡 そ三丈あまりもおぢやるほどに、河の真唯中を越す時さへ、水は僅に臍 のあたりを渦巻きながら流れるばかりぢや。されば「きりしとほろ」はこの河べに、ささやかながら庵 を結んで、時折渡りに難 むと見えた旅人の影が眼に触れれば、すぐさまそのほとりへ歩み寄つて、「これはこの流沙河の渡し守でおぢやる。」と申し入れた。もとより並々の旅人は、山男の恐しげな姿を見ると、如何なる天魔波旬 かと始 は胆も消 いて逃げのいたが、やがてその心根のやさしさもとくと合点 行つて、「然らば御世話に相成らうず。」と、おづおづ「きりしとほろ」の背 にのぼるが常ぢや。所で「きりしとほろ」は旅人を肩へゆり上げると、毎時 も汀 の柳を根こぎにしたしたたかな杖をつき立てながら、逆巻く流れをことともせず、ざんざざんざと水を分けて、難なく向うの岸へ渡いた。しかもあの四十雀 は、その間さへ何羽となく、さながら楊花 の飛びちるやうに、絶えず「きりしとほろ」の頭をめぐつて、嬉しげに囀 り交 いたと申す。まことや「きりしとほろ」が信心の辱 さには、無心の小鳥も随喜の思にえ堪へなんだのでおぢやらうず。
かやう致いて「きりしとほろ」は、風雨も厭はず三年が間、渡し守の役目を勤めて居つたが、渡りを尋ねる旅人の数は多うても、御主「えす・きりしと」らしい御姿には、絶えて一度も知遇せなんだ。が、その三年目の或夜のこと、折から凄じい嵐があつて、神鳴りさへおどろと鳴り渡つたに、山男は四十雀と庵を守つて、すぎこし方のことどもを夢のやうに思ひめぐらいて居つたれば、忽ち車軸を流す雨を圧して、いたいけな声が響いたは、
「如何に渡し守はおりやるまいか。その河一つ渡して給はれい。」と、聞え渡つた。されば「きりしとほろ」は身を起いて、外の闇夜へ揺ぎ出 いたに、如何なこと、河のほとりには、年の頃もまだ十には足るまじい、みめ清らかな白衣 のわらんべが、空をつんざいて飛ぶ稲妻の中に、頭を低 れて唯ひとり、佇んで居つたではおぢやるまいか。山男は稀有 の思をないて、千引 の巌にも劣るまじい大の体をかがめながら、慰めるやうに問ひ尋ねたは、
「おぬしは何としてかやうな夜更けにひとり歩くぞ。」と申したに、わらんべは悲しげな瞳をあげて、
「われらが父のもとへ帰らうとて。」と、もの思はしげな声で返答した。もとより「きりしとほろ」はこの答を聞いても、一向不審は晴れなんだが、何やらその渡りを急ぐ容子 があはれにやさしく覚えたによつて、
「然らば念無う渡さうずる。」と、双手 にわらんべをかい抱いて、日頃の如く肩へのせると、例の太杖をてうとついて、岸べの青蘆を押し分けながら、嵐に狂ふ夜河の中へ、胆太くもざんぶと身を浸 いた。が、風は黒雲を巻き落いて、息もつかすまじいと吹きどよもす。雨も川面 を射白 まいて、底にも徹 らうずばかり降り注いだ。時折闇をかい破る稲妻の光に見てあれば、浪は一面に湧き立ち返つて、宙に舞上る水煙も、さながら無数の天使 たちが雪の翼をはためかいて、飛びしきるかとも思ふばかりぢや。さればさすがの「きりしとほろ」も、今宵はほとほと渡りなやんで、太杖にしかとすがりながら、礎 の朽ちた塔のやうに、幾度 もゆらゆらと立ちすくんだが、雨風よりも更に難儀だつたは、怪 からず肩のわらんべが次第に重うなつたことでおぢやる。始はそれもさばかりに、え堪へまじいとは覚えなんだが、やがて河の真唯中へさしかかつたと思ふほどに、白衣のわらんべが重みは愈 増 いて、今は恰 も大磐石 を負ひないてゐるかと疑はれた。所で遂には「きりしとほろ」も、あまりの重さに圧し伏されて、所詮 はこの流沙河に命を殞 すべいと覚悟したが、ふと耳にはいつて来たは、例の聞き慣れた四十雀の声ぢや。はてこの闇夜に何として、小鳥が飛ばうぞと訝 りながら、頭を擡 げて空を見たれば、不思議やわらんべの面をめぐつて、三日月ほどな金光が燦爛 と円 く輝いたに、四十雀はみな嵐をものともせず、その金光のほとりに近く、紛々と躍り狂うて居つた。これを見た山男は、小鳥さへかくは雄々しいに、おのれは人間と生まれながら、なじかは三年 の勤行 を一夜に捨つべいと思ひつらう。あの葡萄蔓 にも紛はうず髪をさつさつと空に吹き乱いて、寄せては返す荒波に乳のあたりまで洗はせながら、太杖も折れよとつき固めて、必死に目ざす岸へと急いだ。
それが凡そ一時 あまり、四苦八苦の内に続いたでおぢやらう。「きりしとほろ」は漸 く向うの岸へ、戦ひ疲れた獅子王のけしきで、喘 ぎ喘ぎよろめき上ると、柳の太杖を砂にさいて、肩のわらんべを抱き下しながら、吐息をついて申したは、
「はてさて、おぬしと云ふわらんべの重さは、海山 量 り知れまじいぞ。」とあつたに、わらんべはにつこと微笑 んで、頭上の金光を嵐の中に一きは燦然ときらめかいながら、山男の顔を仰ぎ見て、さも懐しげに答へたは、
「さもあらうず。おぬしは今宵と云ふ今宵こそ、世界の苦しみを身に荷 うた『えす・きりしと』を負ひないたのぢや。」と、鈴を振るやうな声で申した。……
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その夜この方流沙河のほとりには、あの渡し守の山男がむくつけい姿を見せずなつた。唯後に残つたは、向うの岸の砂にさいた、したたかな柳の太杖で、これには枯れ枯れな幹のまはりに、不思議や麗 しい紅 の薔薇の花が、薫 しく咲き誇つて居つたと申す。されば馬太 の御経 にも記 いた如く「心の貧しいものは仕合せぢや。一定 天国はその人のものとならうずる。」
これは予が
伝中殆ど滑稽に近い時代錯誤や場所錯誤が続出するが、予は原文の時代色を損ふまいとした結果、わざと何等の
一 山ずまひのこと
遠い昔のことでおぢやる。「しりあ」の国の山奥に、「れぷろぼす」と申す山男がおぢやつた。その頃「れぷろぼす」ほどな大男は、
なれど「れぷろぼす」は、
されば
「それがしも人間と生れたれば、あつぱれ功名手がらをも致いて、末は大名ともならうずる。」と云へば、杣たちも打ち興じて、
「
「なれどここに一つ、難儀なことがおぢやる。それがしは日頃山ずまひのみ致いて居れば、どの殿の
「さればその事でおぢやる。まづわれらが量見にては、今
「さらばすぐさま、打ち立たうず。」とて、小山のやうな身を
されば「れぷろぼす」が大名にならうず願望がことは、間もなく
二 俄大名のこと
さるほどに「れぷろぼす」は、難なく「あんちおきや」の
「これは『れぷろぼす』と申す山男でござるが、唯今『あんちおきや』の帝は、天下無双の大将と承り、御奉公申さうずとて、はるばるこれまでまかり上つた。」と申し入れた。これよりさき、帝の同勢も、「れぷろぼす」の姿に
「かほどの大男のことなれば、
さてこれより「れぷろぼす」は、
やがて味方も整へば、帝は、「れぷろぼす」をまつさきに、
「遠からんものは音にも聞け、近くばよつて目にも見よ。これは『あんちおきや』の帝が陣中に、さるものありと知られたる『れぷろぼす』と申す剛の者ぢや。
ぢやによつて帝は御悦び斜ならず、目でたく凱歌の
「何として帝は、あのやうに十字の印を切らせられるぞ。」と、
「総じて
「なれど今『あんちおきや』の帝は、
「いや、いや、帝も、
「それがしが帝に随身し奉つたは、天下無双の
「すは、山男が
「恩を
三 魔往来のこと
さるほどに「れぷろぼす」は、
「
「それがしは、帝に
「さらばおぬしは、今もなほ
「今もなほ、仕へようずる。」と答へた。学匠は大いにこの返事を悦んで、土の牢も鳴りどよむばかり、からからと笑ひ興じたが、やがて三度やさしげに申したは、
「おぬしの所望は、近頃殊勝千万ぢやによつて、これよりただちに牢舎を
「それがしが繩目を赦いてたまはつた御恩は、
「かうすべいに、なじかは難からう。」と申しも
されば「れぷろぼす」は
「そもそもごへんは、何人でおぢやらうぞ。ごへんほどな
「何を隠さう、われらは、
「かしこの
こなたはそのあばら家に行ひすまいて居つた隠者の
「これは『あんちおきや』の都に隠れもない遊びでおぢやる。近ごろ御僧のつれづれを慰めまゐらせうと存じたれば、はるばるこれまでまかり下つた。」とあつた。その声ざまの美しさは、極楽に
「
「何としてさほどつれないぞ。」と、よよとばかりに泣い
「
「あら、痛や。又しても
なれど隠者は
「それがしは『れぷろぼす』と申す『しりや』の国の山男でおぢやる。ちかごろふつと
「はてさて、せんない
「たとへ幾千歳を経ようずるとも、それがしは初一念を貫かうずと
「ごへんは
「
「ならば断食は出来申さうず。」
「
「難儀かな。夜もすがら眠らいで居る事は如何あらう。」
「如何なこと、それがしは聞えた大寝坊でおぢやる。中々眠らいでは居られまじい。」
それにはさすがの隠者の翁も、ほとほと
「ここを南に去ること一里がほどに、
「如何にも、その流沙河とやらの渡し守になり申さうずる。」と云うた。ぢやによつて隠者の翁も、「れぷろぼす」が殊勝な志をことの外
「
「
四 往生のこと
さるほどに「きりしとほろ」は隠者の翁に別れを告げて、流沙河のほとりに参つたれば、まことに濁流
かやう致いて「きりしとほろ」は、風雨も厭はず三年が間、渡し守の役目を勤めて居つたが、渡りを尋ねる旅人の数は多うても、御主「えす・きりしと」らしい御姿には、絶えて一度も知遇せなんだ。が、その三年目の或夜のこと、折から凄じい嵐があつて、神鳴りさへおどろと鳴り渡つたに、山男は四十雀と庵を守つて、すぎこし方のことどもを夢のやうに思ひめぐらいて居つたれば、忽ち車軸を流す雨を圧して、いたいけな声が響いたは、
「如何に渡し守はおりやるまいか。その河一つ渡して給はれい。」と、聞え渡つた。されば「きりしとほろ」は身を起いて、外の闇夜へ揺ぎ
「おぬしは何としてかやうな夜更けにひとり歩くぞ。」と申したに、わらんべは悲しげな瞳をあげて、
「われらが父のもとへ帰らうとて。」と、もの思はしげな声で返答した。もとより「きりしとほろ」はこの答を聞いても、一向不審は晴れなんだが、何やらその渡りを急ぐ
「然らば念無う渡さうずる。」と、
それが凡そ
「はてさて、おぬしと云ふわらんべの重さは、
「さもあらうず。おぬしは今宵と云ふ今宵こそ、世界の苦しみを身に
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その夜この方流沙河のほとりには、あの渡し守の山男がむくつけい姿を見せずなつた。唯後に残つたは、向うの岸の砂にさいた、したたかな柳の太杖で、これには枯れ枯れな幹のまはりに、不思議や
(大正八年四月)
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