日语文学作品赏析《解嘲》
作者:芥川龍之介
来源:青空文库
2010-01-06 00:00
一
中村武羅夫 君
これは君の「随筆流行の事」に対する答である。僕は暫 く君と共に天下の文芸を論じなかつた為めか、君の文を読んだ時に一撃を加へたい欲望を感じた。乃 ち一月ばかり遅れたものの、聊 か君の論陣へ返し矢を飛ばせる所以 である。どうかふだんの君のやうに、怒髪 を天に朝 せしめると同時に、内心は君の放つた矢は確かに手答へのあつたことを満足に思つてくれ給へ。
君は「凡 そ芸術と云ふ芸術で、清閑 の所産でないものはない筈だ」と云つてゐる。又「芸術などといふものはその本来の性質からして、清閑の所産であるべきものだとは思ふ」と云つてゐる。僕も亦 君の駁 した文の中に、「随筆は清閑の所産である。少くとも僅かに清閑の所産を誇 つてゐた文芸の形式である」と云つた。これは勿論随筆以外に清閑は入らんと云つた訣 ではない。「僅かに清閑の所産を誇つてゐた」と云ふのも事実上の問題に及んだだけである。まことに清閑は芸術の鑑賞並びにその創作の上には必要条件の一つに数へられなければならぬ。少くとも好都合 の条件の一つに数へられなければならぬ筈である。この点は僕も君の説に少しも異議を述 べる必要はない。同時に又君も僕の説に異議を述べる必要はない筈である。
次に中村 君はかう云つてゐる。「芥川 氏は清閑は金 の所産だと言ふ。が(中略)金のあるなしにかかはらず、現在のやうな社会的環境の中では清閑なんか得られないのである。金があればあるで忙 しからう。金がなければないで忙しからう。清閑を得られる得られないは、金の有無 よりも、寧 ろ各自の心境の問題だと思ふ。」すると清閑なんか得られないと云つたのは必 しも君の説の全部ではない。心境は兎 に角 金以外に多少の清閑を与へるのである。これも亦 僕には異存はない。僕は君の駁 した文の中にも、「清閑を得る前には先づ金を持たなければならない。或は金を超越しなければならない」とちやんと断 つてある筈である。
しかし中村君は不幸にも清閑を可能ならしめる心境以外に、清閑を不可能ならしめる他の原因を認めてゐる。「しかしもつと根本的なことは、社会的環境だと思ふ。電車や自動車や、飛行機の響きを聞き、新聞雑誌の中に埋 もれながら、たとへ金があつたところで、昔の人人が浸 つた「清閑」の境地なんか、とても得られるわけがない。」これは中村君のみならず、屡 識者の口から出た、山嶽よりも古い誤謬 である。古往今来 社会的環境などは一度も清閑を容易にしたことはない。二十世紀の中村君は自動車の音を気にしてゐる。しかし十九世紀のシヨウペンハウエルは馭者 の鞭 の音を気にしてゐる。更に又大昔のホメエロスなどは轣轆 たる戦車の音か何かを気にしてゐたのに違ひない。つまり古人も彼等のゐた時代を一番騒がしいと信じてゐたのである。いや、事実はそれ所ではない。自動車だの電車だの飛行機だのの音は、――或は現代の社会的環境は寧 ろ清閑を得る為の必要条件の一つである。かう云ふ社会的環境の中に人となつた君や僕はかう云ふ社会的環境の外 に安住の天地のある訣 はない。寂寞 も清閑を破壊することは全然喧騒 と同じことである。もし□ だと思ふならば、アフリカの森林に抛 り出された君や僕を想像して見給へ。勇敢なる君はホツテントツトの尊長 の王座に登るかも知れない。が、ひと月とたたないうちに不幸なる尊長中村武羅夫 の発狂することも亦 明らかである。
中村君は更に「それでは清閑の無いやうな現代の生活からは、芸術を望むことは出来ないかと云ふと、私 は必 しもさうではないと思ふのである。芸術なんか、その内容でも形式でも、どんな時代のどんな境地からでも生れるやうに、流通自在のものである。(中略)時代時代に依つてどしどし変つて行つて、一向 差支 へないのである」と云つてゐる。芸術は御裁可 に及ばずとも、変遷してしまふのに違ひない。その点は君に同感である。が、同感であると云ふ意味は必 しも各時代の芸術を、いづれもその時代の芸術であるから、平等に認めると云ふ意味ではない。レオナルド・ダ・ヴインチの作品は十五世紀の伊太利 の芸術である、未来派の画家の作品は二十世紀の伊太利の芸術である。しかしどちらも同様に尊敬するなどと云ふことは、――これは勿論断 らずとも、当然中村君も同感であらう。
しかし又君はかう云つてゐる。「それと同じやうに、随筆だつて、やつぱり「枕の草紙」とか、「つれづれ草」とか、清少納言 や兼好法師 の生きた時代には、ああした随筆が生れ、また現在の時代には、現在の時代に適応した随筆の出現するのは已 むを得ない。(僕曰 、勿論である)夏目漱石 の「硝子戸の中」なども、芸術的小品として、随筆の上乗 なるものだと思ふ。(僕曰 、頗 る僕も同感である)ああ云ふのはなかなか容易に望めるものではない。観潮楼 や、断腸亭 や、漱石 や、あれはあれで打ち留 めにして置いて、岡栄一郎 氏、佐佐木味津三 氏などの随筆でも、それはそれで新らしい時代の随筆で結構ではないか。」君の言に賛成する為にはまづ「硝子戸の中」と岡、佐佐木両氏の随筆との差を時代の差ばかりにしてしまはなければならぬ。それはまあ日ごろ敬愛する両氏のことでもあるしするから、時代の差ばかりにしても差支 へはない。が、大義の存する所、親 を滅するを顧みなければ、必 しもさうばかりは云はれぬやうである。況 や両氏の作品にもはるかに及ばない随筆には如何 に君に促 されたにもせよ、到底 讃辞を奉ることは出来ない。(次手 にちよつとつけ加へれば、中村君は古人の随筆の佳所と君の所謂 「古来の風趣 」とを同一視してゐるやうである。が、僕の「枕の草紙」を愛するのは「古来の風趣」を愛するのではない。少くとも「古来の風趣」ばかりを愛してゐないのは確かである。)
最後に君は「何 うせ随筆である。そんなに難 かしく考へない方が好 い。あんまり出たらめは困るけれども、必しも風格高きを要せず、名文であることを要せず、博識なるを要せず、凝 ることを要しない。素朴 に、天真爛漫 に、おのおのの素質 に依つて、見たり、感じたり、考へたりしたことが書いてあれば、それでよろしい」と云つてゐる。それでよろしいには違ひない。しかし問題は中村君の「あんまり出たらめは困るけれども」と云ふ、その「あんまり」に潜 んでゐる。「あんまり出たらめ」の困ることは僕も亦 君と変りはない。唯君は僕よりも寛容 の美徳に富んでゐるのである。
なほ次手 に枝葉 に亙 れば、中村君は「近来随筆の流行漸く盛んならんとするに当つて、随筆を論ずる者、必ず一方 に永井荷風 氏や、近松秋江 氏を賞揚し、一方に若い人人のそれを嘲笑 する傾向がある。(中略)世間が夙 に認めてゐることを、尻馬 に乗つて、屋上 屋 を架 して見たつて、何 の手柄 にもならない」と云つてゐる。これも同感と云ふ外はない。就中 「若い人人」の中に僕も加へてくれるならば、一層同感することは確かである。
しかし君の「随筆の流行といふことを、人人にはつきり意識させたのは、中戸川吉二 氏の始めた、雑誌「随筆」の発刊が機縁になつて居ると思ふ。(中略)しかし随筆と云ふものが、芥川氏や、その他の諸氏の定義して居るやうに難かしいものだとすると、(中略)到底 随筆専門の雑誌の発刊なんか、思ひも及ばないことになる」と云ふのは聊 か矯激 の言である。雑誌「随筆」は必 しも理想的随筆ばかり掲載せずとも好 い。現に君の主宰 する雑誌「新潮」を読んで見給へ。時には多少の旧潮をも掲載してゐることは事実である。
中村武羅夫 君
僕は大体君の文に答へ尽したと信じてゐる。が、もう一言 つけ加へれば、僕の随筆を論じた文も理路整然としてゐた次第ではない。僕は「清閑を得る前にはまづ金を持たなければならない。或は金を超越しなければならない。これはどちらも絶望である」と云つた。ではなぜどちらも絶望であるか? これは僕の厭世 主義の「かも知れない」を「である」と云ひ切らせたのである。君は僕を憐んだのか、不幸にもこの虚を衝 かなかつた。論敵に憐まれる不愉快は夙 に君も知つてゐる筈である。もし君との論戦の中に少しでも敵意を感じたとすれば、この点だけは実に業腹 だつた。以上。
二
新潮二月号所載藤森淳三 氏の文(宇野浩二 氏の作と人とに関する)によれば、宇野氏は当初軽蔑してゐた里見□ 氏や芥川龍之介 に、色目 を使ふやうになつたさうである。が、里見氏は姑 く問はず、事の僕に関する限り、藤森氏の言は当つてゐない。宇野氏も色目を使つたかも知れぬが、僕も又盛に色目を使つた。いや、僕自身の感じを云へば、寧 ろ色目を使つたのは僕ばかりのやうにも思はれるのである。
藤森氏の文は大家 たる宇野氏に何 の痛痒 も与へぬであらう。だから僕は宇野氏の為にこの文を艸 する必要を見ない。
しかし新らしい観念 や人に色目も使はぬと云ふことは退屈そのものの証拠である。同時に又僕の恥 づるところである。すると色目を使つたと云ふ、常に溌剌たる生活力の証拠は宇野氏の独占に委 すべきではない。僕も亦 分け前に与 るべきである。或は僕一人 に与へらるべきである。然るに偏頗 なる藤森氏は宇野氏にのみかう云ふ名誉を与へた。如何 に脱俗 した僕と雖 も、嫉妬せざるを得ない所以 である。
かたがた僕は小閑を幸ひ、色目の辯を艸 することとした。
これは君の「随筆流行の事」に対する答である。僕は
君は「
次に
しかし中村君は不幸にも清閑を可能ならしめる心境以外に、清閑を不可能ならしめる他の原因を認めてゐる。「しかしもつと根本的なことは、社会的環境だと思ふ。電車や自動車や、飛行機の響きを聞き、新聞雑誌の中に
中村君は更に「それでは清閑の無いやうな現代の生活からは、芸術を望むことは出来ないかと云ふと、
しかし又君はかう云つてゐる。「それと同じやうに、随筆だつて、やつぱり「枕の草紙」とか、「つれづれ草」とか、
最後に君は「
なほ
しかし君の「随筆の流行といふことを、人人にはつきり意識させたのは、
中村
僕は大体君の文に答へ尽したと信じてゐる。が、もう
二
新潮二月号所載
藤森氏の文は
しかし新らしい
かたがた僕は小閑を幸ひ、色目の辯を
(大正十三年四月)
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