同じ「来れば」でも発音が違う(愛知)

同是“来れば”但发音不一样(爱知)

6歳ごろからずっと横浜に住んでいるのですが、母親が豊橋市出身で三河弁のなまりがあります。

6岁左右开始一直住在横滨,但是母亲是丰桥市出身,讲的是三河方言。

たとえば、「来れば」と文字では一見共通語に思えますが、私はこれをずっと「これば」と言っていました。高校生の時に友人に「くれば、でしょ?」と言われて衝撃を受けた記憶があります。その日、母親や豊橋の親戚に話したところ、全員驚いていました。

举个例子,“来れば”就文字看的话觉得是标准语,我一直是说“koreba”。高中的时候被朋友吐槽“是kureba吧?”当时受到了很大的打击。那一天,和母亲还有丰桥的亲戚说了说,大家都震惊了。

地方に住んでいなくても、親の影響でなまることもあるんです!(笑)(神奈川県・20代女性)

即使不是住在外地,被父母影响会带有方言口音!(笑)(神奈川县·二十几岁的女性)

とっつく、とっつかん(岐阜)

tottuku、tottukann(岐阜)

届く、届かないの方言です。

是届く、届かない的方言。

会社で社員さんに「とっつかん?」と聞いて、「はあっ? とっつかん?」と聞き直されたときに、「あっ、方言なんだ!」と気づきました(笑)。(岐阜県・40代女性)

在公司的时候和员工说“とっつかん?”,对方反问“哈? とっつかん?”这才意识到“啊,这是方言啊”(笑)。(岐阜县·四十几岁的女性)

「舌ベロ」って「舌舌」じゃん(静岡)

舌bero不就是舌舌吗

私は幼少期神奈川県に住んでいたのですが、父が静岡出身だったので「舌ベロ」は普通に使っていました。でも、神奈川で「舌ベロ」と言うと、「『舌』か『ベロ』でしょ!」と笑われてしまうのです。

我小时候住在神奈川县,不过父亲是静冈出身的,所以一直使用“舌ベロ”。但如果在神奈川说“舌ベロ”的话,会被人笑说“舌就是ベロ啊!”

(「舌(した)」和「ベロ」都是“舌头”的意思)

なぜ我が家では「舌ベロ」なのか不思議ですが、静岡に越してきてようやく方言だったと理解。

为什么我家都说“舌ベロ”感觉很不可思议,不过搬到静冈之后才知道这是方言。

今、静岡県民に「舌ベロだと、関東で笑われるよ」と言っても、みんな首をかしげます。私もそうですが、舌ベロ=舌舌(ベロベロ)っていう感覚、ないんですよね!(静岡県・20代女性)

现在,即使跟静冈县的居民说“舌ベロ会被关东的人笑死的”,大家都表示不理解。我也是,根本没有舌ベロ=舌舌(ベロベロ)这种感觉啊!(静冈县·二十几岁的女性)

以上、9つの言葉を紹介した。

以上,介绍了9个词汇。

ケッタ(=自転車)、放課(=学校の休み時間)は名古屋方言として有名なので、ご存じだった方も多いはず。それにしても「放課」の意味に引きずられて、「放課後」という言葉の意味も勘違いしていた、というのはちょっと驚きだ。

Ketta(=自行车)、放课(=学校的休息时间)这两个作为名古屋方言十分有名,知道的人估计也不少。但是被“放课”的意思所影响,误解了“放课后”这个词的意思,还是有点惊讶的。

「米をかす」は平安時代から使われている言葉で、水につけて米に水分を含ませる、というニュアンスも持っている。愛知県に限らず、広い地域で散発的に用いられていて、「うるかす」という表現もあるが、この場合は研ぐより「水分を含ませる」の意味の方が強くなる。「お値打ち」も全国区の言葉だが、愛知県内では特に「お得」という意味合いが強調され、他地方よりも好んで使われる傾向があるという。

“米をかす(淘米)”是平安时代以来使用的词汇,有加水让米包含水分这种细微的差别。不只局限于爱知县,已经将使用范围扩散到了更大的地域了。也有“うるかす”这种表达,这种场合比起淘米的淘更强调“含有水分”这个意思。“お値打ち(物美价廉)”是全国通用的的词汇,但是只是在爱知县特别强调了“划算”的意思,比其他地方更喜欢使用。

「とっつく」は「とっつきにくい」などと同じ「取りつく」の変化形だろう。三河地域や北陸地方の一部で、岐阜と同じ「届く」の意味で使っているところがあるらしい。

“とっつく”和“とっつきにくい”等一样,是“取りつく(抱住;着手)”的变化形。但是三河地区、北陆地区的一部分是和岐阜一样,是按“届く(达到;收到)”的意思来使用。

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