「方言」は、一つの言語の中での地域によることばの違いですが、その中のどこに目を向けるかによっていろいろなとらえ方ができます。

“方言”指的是一种语言内地区差异所导致的语言差异,但由于关注点不同,有多种理解方式。

特徴ある一部かことば全体か

方言指的是有特点的部分词还是语言整体呢?

例えば、「『トーキビ』は北海道の方言だ」のように、ある地域に独特の単語を指して「方言」ということがあります(「トーキビ」は「とうもろこし」のことです)。

例如,“Tokibi”是北海道的方言”,这里的“方言”指的是地区独有的单词。(“Tokibi”指的是“玉米”)

しかしどこのことばも、独特の単語だけでできているわけではありません。全国どこでも「木」や「雨」は共通語と同じ「キ」「アメ」ですし(ただし発音やアクセントが違うことはあります)、単語以外にも、アクセント、イントネーション、文法、表現法など、ことばにはいろいろな側面があります。このような面をすべて含めた一つの地域のことば全体もやはり「方言」です。この意味での「方言」に近いのは、「津軽弁」「河内弁」などの「~弁」という言い方です。一方、ある地域のことばに特有の単語のことは、「俚言りげん」と呼ぶことがあります。

但仅靠独特的单词无法构成一种语言。日本全国通用“木”“雨”,同样是“Ki”“Ame”,但发音和语调有所不同。除单词外,重音、声调、语法、表达方式等也有各种区别。包含上述所有方面的地区语言就是“方言”。从这个意义上说,“方言”近似于“津轻腔”“河内腔”等的“~腔”。另一方面,地区特有语言中的特有单词被称为“俚语”。

共通語と比べるかほかの方言と比べるか

是否能与通用语或其他的方言比较?

「方言」を思い浮かべるときには、強くは意識しなくても漠然と、「共通語」や「標準語」と対比していることが多いのではないでしょうか。正式な改まったことばではなく、ふだんのうちうちのことばという感覚です。方言と共通語は本来、どちらかが正しくてどちらかが正しくない、という関係にあるわけではないのですが、規範的あるいは一般的な日本語からずれたことばとして「方言」がとらえられていることがままあります。発音を中心に、どことなく共通語と違った特徴を感じさせる話しぶりのことを「なまり」というのも、同様の見方の反映です。

很多人想到“方言”,并没有意识到是方言,只有一个模糊的印象,往往会将其与“通用语”“标准语”对比。感觉方言不是正式的、全新的语言,而是平时家里常用的语言。方言与通用语本来并无对错,但“方言”仍被认为是偏离规范、普遍日本语的一种语言。以发音为核心将与通用语不同的发音称为“乡音”,这也是这种观点的表现。

一方、方言は「地域によることばの違い」なので、共通語とではなく、他の地域のことばとの比較によってとらえることもできます。「隣(の村)はことばが違う」と感じるときのとらえ方です。全国を見渡すと、例えば、青森と鹿児島ではことばが違うので、それぞれ「青森方言」「鹿児島方言」であり、東京のことばは青森とも鹿児島とも違うので「東京方言」である、ということになります。よく「東京には方言がない」と言われます。確かに東京のことばは共通語に近いのですが、俚言も多少ありますし、この見方によれば、東京という地域のことばは、共通語と近いか遠いかは別にして、「東京方言」であると見なすわけです。

一方面,方言是“因地区而异”,因此可以通过与其他地区的语言进行比较,而非与通用语比较,进而得出方言的结论。当感觉“与相临村语言不一样”,就可以发现方言。放眼全国,例如青森与鹿儿岛语言不同,所以分别是“青森方言”和“鹿儿岛方言”,东京语言和青森以及鹿儿岛不同,那么也可以认为是“东京方言”。人们常说“东京没有方言”,的确东京语言和通用语很像,但还是有一些俚语。从这个观点来看,东京地区的语言无论是否与通用语类似,都可以认定为“东京方言”。

地域の中のことばの多様性

地区内语言的多样性

ある一つの地域で話されていることばは、決して一様ではありません。特に現在では、共通語の浸透によって伝統的方言の衰退と共通語化が進み、全般的には、年齢の若い人のことばほど方言的特徴が薄く共通語に近いという年齢差となって現れています。若い人が新しく使い始めたことばに新たな地域差が見られることもあります。

地区内所说的语言绝对不是单一的。尤其是现在通用语的渗透导致传统方言衰退、通用语化速度加快。从整体来看,方言出现年龄差别,越是年轻人其语言的方言特征越少,越接近通用语。年轻人开始使用的新词汇也会出现新的地区差异。

このような若い人たちのことばもその地域の方言の一つの姿なのですが、「方言」というと、古くからの特徴の豊かな高年層のことばだけを指すと受け取られることもあるようです。そこで、地域で今実際に使われていることば全体を指すということを明確にするために、新たに「地域語」という呼称も用いられ始めています。また、生活に根ざしたことば、という意味で「生活語」と呼ぶ人もいます。

这种年轻人语言也是当地方言的一种,但也有人认为“方言”一词仅指具有丰富历史经历的老年人使用的语言。因此为了明确表示如今地区实际使用的语言,也将这种新语言开始称为“地区语”。也有人认为这是根植于生活的语言,称其为“生活语”。

地域の中のことばの多様性は年齢差に限りません。場面によって方言と共通語を使い分けるのはごく普通のことです。また居住者の出身地は、特に都市においては様々であり、そのような多様な構成員を抱えることは地域のことばに影響を与えています。

地区内语言的多样性并不局限于年龄差异。根据情况适用区分方言和通用语十分普遍。尤其在城市,居民的家乡各不相同,这种由多种成员构成的语言也对地区语言产生影响。

ここでは「方言」を「地域によることばの違い」として見てきました。このほか、日本語の多様性全体を視野に入れて、ここでいう「方言」を「地域方言」とし、話し手や場面などによることばの違いを「社会方言」とする位置付けも行われています。

这时就可以将“方言”认为是“因地区而异的语言”。另外,从日语整体多样性来看,这里所说的“方言”可以认为是“地区方言”,因交谈对象以及情况场合而异的语言则被称为“社会方言”。

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