“学生自治”の歴史 終わるのか

“学生自治”的历史即将终结

吉田寮の寮費は、水道光熱費を含め月に約2500円。京都大学に学籍を持つ学生は誰でも入寮資格がある。高校を卒業したばかりの学部生から大学院生、留学生、聴講生……。年齢、性別、国籍とも多種多様だ。

吉田寮的宿舍费每月大约2500日元,包含水电煤气费,京都大学的学生都可以入住这里。有刚刚高中毕业的大学生,还有研究生、留学生、旁听生......。不问年龄、不同性别、各个国家的学生汇聚于此。

吉田寮は、自分たちのことは自分たちで決める「自治理念」によって運営されてきた。共同生活に必要なことは全員で分担。大掃除や建物の補修なども自ら担う。「対等な立場」を実現するため、上下関係をつくらず、敬語を使わない文化も根付いているという。

吉田寮的运营基于自己的事情自己决定的“自治理念”。共同生活所需的东西大家共同负担,大扫除和房屋修补也是自己来做。为了实现“平等”,这里没有上下关系,说话不用敬语的文化已经根深蒂固。

そんな寮生たちに対し、大学側は昨年12月、「建物の老朽化が深刻」などとして、「新たな寮生を募集しない」「今年9月末までに全員立ち退きを」と求めた。寮生たちは、これに反対。話し合いによって撤回を求めているが、双方の溝は埋まっていない。

与此相对,校方则从去年12月起,就以“建筑老化严重”为由,称“不再召集新的住宿生”,并要求“所有学生到今年9月末前全部离开”。而这里的学生却反对这一要求。商讨后他们希望校方能够撤回要求,但至今双方依旧有着深刻的隔阂。

日本の大学にはかつて、たくさんの学生自治寮があった。ただ、建物の老朽化や個室を望む学生の増加、寮が学生運動の拠点になっていたことなどから、東京大学の駒場寮など多くの自治寮が廃止されたり、大学側の管理になったりした。

过去,日本的大学有很多学生自治寮。但是,由于建筑老化、要求单人房间的学生增加,以及寮容易成为学生 运动的据点,因此东京大学的驹场寮等很多自治寮都被废止或由校方统一管理。

現在、「学生自治寮」として残っているのは、東北大学の明善寮、北海道大学の恵迪(けいてき)寮などいくつかしかない。同じ「自治寮」でも、寮の持つ雰囲気や寮費などはさまざまだ。以前と違って、自治寮に住んでいても個室を希望したり、共同での活動を拒んだりする学生もいるという。

如今,只有东北大学的明善寮、北海道大学的恵迪寮等几个“学生自治寮”留了下来,数量寥寥无几。不过,“自治寮”也用不同的氛围和费用,与以前不同,也有学生即使住在自治寮中,也希望独自生活,拒绝共同活动。

“個性派”の面々、寮を語る

“个性派”学生评价吉田寮

熊谷恵一さんは山形大学出身の寮外生だった。彼のように、寮生でなくても一時的な滞在者として寮にいる人は少なくない。

熊谷恵一是一位就读于山形大学的寮外生,像他一样没有正式入住却暂时住在这里的学生在这里也有很多。

熊谷さんの話。

熊谷说:

「山形大学での廃寮反対運動で、吉田寮生にも応援に来てもらったことがあって、それが縁で吉田寮に遊びに来るようになりました」

“山形大学发起反对废寮运动时,吉田寮的学生曾经前来帮助所以才有机会到这里玩。”

吉田寮で会うとき、なぜか、熊谷さんはいつもグラブを持っていた。初めて会った時もそう。この写真を撮影した時は「与那国島のサトウキビ畑での労働を終えたばかりだ」と言い、ポケットから黒砂糖を取り出し、「お礼です」とくれた。与那国島では子供たちとキャッチボールを楽しんだという。

不知为何,在吉田寮遇到他时总是戴着棒球手套,第一次见面时也是如此。拍下这张照片时,熊谷说他“刚刚结束了在与那国岛甘蔗地的劳作”,然后从口袋里拿出黑糖,说是“礼物”送给了笔者。还说他和与那国岛上的孩子们玩接抛球玩得很开心。

のちに新宿で再会した時も、彼はグラブと硬球を持ち、野球帽をかぶっていた。

之后笔者和他在新宿见面时,他还是拿着棒球和手套,头上戴着棒球帽。

吉田寮に住むことを切望し、1年間予備校に通った人もいる。文学部4年、井上敏満さん。出身は広島県だ。

也有人因为希望入住吉田寮,所以读了一年预备学校,他就是文学专业大四学生井上敏满,来自广岛县。

最初の受験で京大に足を踏み入れた際、少しだけ吉田寮が見えた。試験が終わり、改めて吉田寮へ。そこで建物の古さ、たたずまいなどに魅了されたという。

第一次到京都大学参加入学考试时看过一眼吉田寮,考完后他再次探访了这里,然后被它古老的建筑和氛围所深深吸引。

大学では応援団に所属している。「上下関係が厳しい体育会と上下関係がない吉田寮、二つの違った環境にいるのも有意義ですよ」。カントの研究をするため大学院に進学するつもりだという。

大学期间,他加入了应援团,认为“能够同时待在有着严格上下关系的体育会和没有上下关系的吉田寮是一件很有意义的事情”。为了继续研究康德(伊曼努尔·康德,德国哲学家、天文学家),他准备继续学习考研究生。

家族の後押しもあって吉田寮の一員になったのは、総合人間学部3年の松村主承(かずのり)さんだ。神奈川県出身。漠然と京都に憧れ、受験の時に吉田寮を知った。

综合人类专业三年生松村主承则是在家人的鼓舞下入住吉田寮的。他来自神奈川县,因为向往京都所以来到这里,考试时了解到了吉田寮。

合格後に吉田寮を訪問すると、同行していた父は「古くて汚いが、空気は澱んでいない」と語ったという。

考试合格后他和父亲再次来到吉田寮,父亲说这里“虽然又破又脏,但空气很清新”。

松村さんは中学生のころからドラムを始めた。流行のバンドのコピーではなく、「古風なロック少年」として高校まで過ごし、吉田寮の食堂でもドラムを叩き続けている。

松村从中学开始练习太鼓,后来没有成为流行乐队的一员,而是在高中成为了一个“古风摇滚少年”,如今也在吉田寮的食堂里打鼓。

演劇、ライブ、映画上映…… 文化の発信地

戏剧、音乐会、电影......这里是文化发祥地

3年前に補修された吉田寮食堂では、演劇や音楽ライブ、映画上映などが行われ、寮生以外の人々も多く集う。ここは文化の発信地であり続け、個性派の文化人も巣立った。

3年前,吉田寮食堂曾进行修补,之后在这里演过戏剧、举办过音乐会、放过电影,也有很多外面的学生来到这里观看。这里是文化的发祥地,个性文人的汇聚所。

そのためか、学外にも「吉田寮の存続」を支持する声はある。築100年以上という建物の歴史ではなく、何代にもわたって蓄積された個性。それが今なお、積み重なっているからかもしれない。

因此,外界也有支持“吉田寮继续保留”的声音。它不仅仅是一栋有着一百多年历史的建筑,更蕴含着几代人留存至今的个性,而如今,这些历史和个性也依旧在不断累积和融合。

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