1913年(大正2年)の建築というから、京都大学「吉田寮」の建物は今年で築105年になる。現存する学生寮としては日本最古でありながら、今も200人ほどの学生が生活している。庭にはニワトリが放し飼いにされ、クジャクやヤギの姿も見える。玄関には鍵もない。小説家の故・梶井基次郎、ノーベル物理学賞受賞者の赤崎勇氏など、個性豊かな文化人や学者もここで育った。今はいったい、どんな「個性」が暮らしているのだろうか。建物が古くなりすぎたとして、大学側は9月末までの全員退寮を求め、寮生と対立を続けているが、そうした話はしばし休題。きょうは、時代に逆行するかのような寮生たちを紹介しよう。

京都大学的“吉田寮”建于1913年(大正2年),至今已有105年的房龄。这是日本现存学生宿舍中最古老的一个,如今却依旧有200名左右的学生生活在这里。庭院中不仅放养着鸡群,还能看到孔雀和山羊。而且这里的大门都不上锁。这里曾走出已故小说家梶井基次郎、诺贝尔物理学奖获得者赤崎勇等个性十足的文人学者。那么如今,又居住着怎样“个性”的学生呢?由于建筑古旧,大学方面要求学生在9月末之前全部离开,与住在这里的学生产生的对立持续至今,但今天先暂且不提,先向大家介绍一下这群“逆时代潮流”的住宿生们。

イチョウ並木の奥に和装の男子

银杏林中的和服男子

筆者が初めて訪問したのは、夜だった。

笔者首次来到这里是一个夜晚。

イチョウ並木のずっと奥に廃屋のような屋敷が見える。うっそうとした雰囲気の向こうに玄関。扉は開けっ放しで、蛍光灯の光が漏れている。たくさんの自転車が並木に沿って乱雑に止めてある。傍らには壊れたバイクや廃車。それらもまた、無造作に置かれていた。

银杏林深处,一座废弃了一般的房子。郁郁葱葱的尽头就是大门,门开着,里面亮着星星点点的灯光。林间小路凌乱地停放着许多自行车,还有一些坏掉的摩托和废车也杂乱地堆放在这里。

いかにも怪しい人が住んでいそうだ。

怎么看这里住着的都是奇奇怪怪的人。

玄関まで歩く。他人の家に勝手に入るような後ろめたさを感じ、並木の中ほどで引き返したが、後に友人から教わった。ここが、あの「吉田寮」だ、と。

我们朝着大门走去。突然有种私闯民宅的愧疚感,走到一半回了头,才被朋友告知,这里就是“吉田寮”。

それから吉田寮が気になり、イチョウの葉が落ちる頃、再訪した。下の写真は2008年秋。あれから10年ほどが過ぎた今もこの雰囲気は変わらない。そしてこの間、カメラを持って吉田寮に通い詰めた。

那之后笔者就留意起了吉田寮,等到银杏叶落的时候,笔者再次来到了这里。这张照片拍摄于2008年秋天。自那之后过了十年,那里的氛围却依旧没变。期间,笔者经常带着相机来访吉田寮。

中庭に行くと、和装の学生がいた。山口龍英さん。鹿児島県出身。理学部に在籍しているという。

里院中有个穿和服的学生,他叫山口龙英,来自鹿儿岛县,就读于京都大学理学专业。

授業に出る時も街へ出かける時も着物姿。周囲にも「着物を着てはどうですか」と勧める。その影響か、吉田寮には他にも着物姿の学生がいる。

无论是上课还是逛街,他都是这么一身装扮,还推荐身边人“也穿穿和服怎么样”。受他影响,吉田寮中出现了几位穿和服的学生。

山口さんの髪は長く、腰まで届く。きれいに手入れされており、時には三つ編みに。「寮でのんびりしていたため、卒業まで時間がかかってしまった。なるべく働きたくないなあ」と言う。アルバイトはコンビニと病院の宿直。車を購入し、ハンドルを握って着物姿で遠出もするという。

山口有着一头及腰长发,保养的也很好,有时会梳一个三股辫。他说:“这里的生活十分悠闲,毕业前在这里度过了很长时间,所以可以的话不想工作呢”。他平时靠便利店打工和医院值夜生活,还买了车,经常一身和服开着车出门游玩。

染みついた歴史と「人間くささ」

深远的历史感和“人气味儿”

寮の建物に足を踏み入れると、長い廊下が続いている。昼間でも薄暗い。散らかった段ボール箱、汚れた布団。少し時間が経った食べ物や汗、タバコの吸い殻の匂いなどが混じり合って漂っている。

走进宿舍,是一条长长的走廊,尽管在白天依旧昏暗。里面散落着纸箱和脏被子,空气中混合着有些腐烂的食物味道以及汗味、烟蒂味。

この「におい」こそ、吉田寮の特徴かもしれない。

这个“味道”,或许才是吉田寮的特征。

木の廊下や畳に染み込んだ皮脂のにおい、湿気のにおい。廊下だけではない。居室をのぞかせてもらうと、ちゃぶ台や布団が無造作に置かれ、そこにも「におい」がある。確かに人が暮らしているという「人間のにおい」だ。

浸透木制走廊和榻榻米的人气味儿和湿气。这种味道不只在走廊能够闻到。走进起居室一看,小矮桌和被子随意摆放,也散发着一种“味道”,那是人真正生活在这里的“人气味儿”。

吉田寮は京都大学吉田キャンパス(京都市左京区)にある。現存する日本最古の学生寮だ。

吉田寮位于京都大学吉田校区(位于京都市左京区),是日本现存最古老的学生宿舍。

1897年(明治30年)、京都帝国大学創設とほぼ同時に学生寄宿舎として設立され、1913年(大正2年)にその寄宿舎を解体し、再構築された。これが今の吉田寮だ。

1897年(明治30年),京都帝国大学创立,同时在这里设立了一个学生寄宿宿舍。1913年(大正2年)寄宿宿舍拆除并重建,这就是如今的吉田寮。

木造2階建てで、「北」「中」「南」の3棟から成る。2015年完成の西寮新棟も含めると、現在も200人ほどが生活している。

这座木建筑共有两层,分“北”“中”“南”三栋,2015年,又新建了一栋西寮,现在共有200人生活在这里。

「自由に鳥を飼いたくて」

“想要自由地养鸡”

今の感覚からすれば、決して「快適な住環境」とは思えない。それなのに、学生たちはどうして入寮するのだろうか。

在如今看来,这里绝不是一个“舒适的居住环境”。为什么学生们还会入住这里呢?

「もっと自由に鳥を飼うため吉田寮に移住してきました」と話すのは、農学部の高本悠介さんだ。

“想要自由地养鸡,所以转到了吉田寮生活”——农学专业的高本悠介说。

これまでにニワトリ、ホロホロ鳥、烏骨鶏(うこっけい)、七面鳥、ウズラ、アヒル、クジャクなどを飼い、しかも卵から孵(かえ)した経験を持つ。

他曾经饲养过鸡、珍珠鸡、乌鸡、火鸡、鹌鹑、家鸭、孔雀等动物,甚至有过成功孵化这些动物的经验。

高本さんは「クジャク同好会」も立ち上げた。

高本还成立了“孔雀同好会”。

彼が言うには、会の幹部はいずれもクジャク自身で、会長は「サカタニ」、副会長は「スカイレインボーハリケーンゴッドフェニックス」。そして、副会長代理は高本さん本人。「人懐っこくリーダーシップがあるからサカタニを会長にした」そうだ。

他告诉我们,同好会的干部们都是孔雀,会长是“サカタニ”、副会长是“スカイレインボーハリケーンゴッドフェニックス”,而高本则是副会长代理人。会长当选的原因是“因为サカタニ亲人又友好”。

高本さんは現在、東京都で就職している。この写真を撮った際、「鳥たちと別れるのは寂しい」と語っていた。今は東京で食虫植物を育てているという。

目前,高本在东京上班。拍摄这张照片时,他说“要和它们分开非常寂寞”。据说他现在在东京也饲养了食虫植物。

寮の居室は、基本的に6〜10畳で相部屋。「1人当たり約3畳半」を基準にして、部屋割りをするという。娯楽空間として麻雀部屋、漫画部屋、ゲーム部屋、ピアノ部屋などもある。

吉田寮的房间大概有6~10张榻榻米大小,几个人合住一间房。分房标准为“一个人大概三张半榻榻米大小”。另外有麻将房间、漫画房间、游戏房间和钢琴房间作为娱乐空间。

留学生「楽しすぎる日々でした」

留学生心中“最快乐的时光”

尹素香(ユン・ソヒャン)さんは高校まで韓国で過ごした。本当は、京大熊野寮(京都市左京区)に入寮したかったという。熊野寮は1965年設立。当初は男子学生のみだったが、現在は女子学生や留学生らにも門戸が開放されている。

尹素香高中之前都在韩国生活。原本入学后是想入住京大熊野寮(京都市左京区)的。熊野寮创设于1965年,当时是男生宿舍,如今也向女性学生和留学生敞开大门。

ところが、ユンさんは熊野寮の抽選に漏れ、吉田寮へやってくることになった。

然而,尹素香在抽选时没能抽到熊野寮,最终来到了吉田寮。

「薄暗く、恐る恐る吉田寮の門をくぐりました。でも、面接で寮生の人柄に安心して、入寮を決意しました。思いのほか、楽しすぎる生活でした」

“当时我小心翼翼地打开昏暗又有些恐怖的吉田寮的大门。但通过交流,这里的室友性格都很好让我非常安心,所以就决定住在这里。在这里的生活真的出乎意料地非常开心”。

ユンさんはタバコを好み、会うたびに異なる銘柄のタバコを吸っていた。髪は寮生に切ってもらい、さまざまな髪形を試みた。そして「ゲーム部屋」でよくゲームを楽しんでいたという。

尹素香喜欢抽烟,每次见面都能看到她抽着不同牌子的香烟。因为头发都是交给室友剪的,所以挑战了各种发型,而且经常在“游戏房间”里打游戏。

「韓国ではゲームは時間の無駄遣いという見方が普通。だけど、ここではみんな誇りを持ってゲームにのめり込んでいました」

“在韩国,一般都觉得玩游戏就是浪费时间。但是在这里大家都是怀着自豪感在玩游戏的”。

この春から彼女はゲーム製作会社で働いている。

今天春天起,她入职了一家游戏制作公司。

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