「東大女子」が自ら選択肢を狭めてしまう理由

偏差値至上がつくりだす学歴上昇婚思想

“东大女生”为什么要限制自己的选项

偏差值至上的结婚思维方式

注:偏差值=(得分-平均分)÷标准偏差×10+50。偏差值越高,在考试中的排名越靠前。

「男子だらけでゾッとした」

“都是男生,我觉得有点毛骨悚然”

地方出身で東京大学に通う川上純子さん(仮名)は、入学後、初めて東大で授業を受けたときの印象をこう語る。

从外地考到东京大学的川上纯子小姐(化名),对我们谈起她入学后第一次在东大上课时的印象。

なぜ東大女子の7割は東大男子と結婚するのか?

为什么东大女生的7成最终都选择和东大男生结婚?

「将来は一応働きたいなと思っています。法学部なので法曹を目指すことになると思います。子どもは、まだわかりません」

“将来我还是想工作的。因为是法学系所以目标是法律工作者。孩子的问题还不清楚。”

すでに将来を見据えている。しかし将来を語るとき、その表情には一抹の不安があることがうかがえる。

她已经看准了未来,但讨论未来时,表情中却透露着一抹不安。

「もし子どもができたなら、やっぱり旦那さんにも育休を取ってもらいたい。子どものお世話とか、やってみないとつらさがわからないと思うので、そこらへんはフェアにいきたいなって思っています」

“如果将来有了孩子,我希望丈夫也能休产假。毕竟要亲身体验一下才知道抚养孩子的辛苦,在这些问题上希望夫妻之间能平等。”

「フェアにいきたい」と言いながら、その大前提として、自分が主に育児を担うというニュアンスが感じられる。それを指摘する。

虽然她说了“想平等”,但从语气中感受到在这育儿这件事上,大前提还是她自己承担主要责任。我指出了这一点。

「あぁ〜」

“啊~”

川上さんがハッと表情を変えた。

川上小姐惊讶地发现了这一点。

川上:つまり、私は仕事第一じゃないけれど、旦那さんは仕事第一という前提で話しているということですね。

川上:也就是说,我说这个话题的时候,虽然自己不把工作放在第一位,但前提是丈夫把工作放在第一位。

おおた:そうだよね。そしてその両立を、自分が背負わなければいけないという暗黙の前提があるかもしれないよね。

太田:是的。也许你默认的前提是自己要负责让工作家庭两全其美。

川上:あぁ〜、そう思ってました(笑)。

川上:啊~,我确实是那么想的(笑)。

おおた:たとえば川上さんが将来若くして大企業の顧問弁護士になったりでもしたら、普通のサラリーマンの給料よりも多く稼ぐことだってありうる。それなら当然『私が仕事を続けたほうが経済的に合理的じゃん』ということになる。

太田:比方说川上小姐将来年纪轻轻就当上了大企业的律师顾问,那有可能工资比普通的工薪族还要高。这样的话理所当然就会变成“我继续工作的话在经济层面更合理吧”。

いままでそんなことはまったく想定したことがなかったのだろう。川上さんは目をまんまるに見開いている。

也许是因为至今为止从来没设想过这种情况吧,川上小姐睁大了眼睛看着我。

川上:入学したときの女子オリエンテーションで、東大出身の女性の配偶者の多くは東大男子であるという話を聞きました。確かに『早稲田とか慶應とかの男子からしてみたら、東大女子は扱いにくいんだろうね』って話を、友達とよくするんです。

川上:在刚开学的女生入学教育上,我听说东大毕业的女性配偶大多都是东大男生。确实我们也经常在朋友之间讨论“早稻田呀庆应大学的男生们应该不太待见东大女生吧”。

実際、東大女子の約7割は東大出身の男性と結婚しているというデータがある。

实际上,有数据表示东大女生的7成左右都和东大毕业的男性结婚了。

おおた:『自分より偏差値の高い女子は扱いにくい』と男の子たちが思っているんじゃないかという意識が、東大女子の中にあるということだよね。

太田:也就是说,东大女生会认为男孩子觉得“比自己偏差值高的女生很难交往”吧。

川上:そういうことですね。で、結局、東大男子のほうが、同じ東大生として、私たちの気持ちを理解してくれるんじゃないかという話になります。でも、東大男子についても、人を選ばないとダメなのかなとも。常識がない人も多いよねって。

川上:是这样的。所以最终变成东大男生应该能理解同样身为东大学生的女生心情。但是,也不是所有东大男生都可以,人选很重要。毕竟没有常识的人还是很多。

おおた:たとえば?

太田:比如说?

川上:東大の英語の授業で、ドラマを見ました。企業の役員がみんな男性だというシーンを見て、これはどうしてかという議論をすることになりました。すると都内の超有名男子校出身の学生が『それは女の人の能力がないからでしょ』と言い放ちました。びっくりしました。そういう人が官僚とかになっていくのかなぁなんて(笑)。

川上:在东大的英语课上,我们看了一部电视剧。演到企业的理事全是男性的那个场景时,老师让我们讨论这是为什么。然后一个毕业自东京都内超有名男校的学生断言说“那是因为女人没能力”。我吓了一跳,就是这种人以后会成为日本的官员吗(笑)

おおた:東大出身の男性は、おそらくそこそこのキャリアパスを手に入れる。しかも東大生共通の傾向として、競争意識が強いと聞く。だとすると、企業でも官庁でも出世競争にのみ込まれていく。熾烈な競争の渦中にいて、『あなた、子育てもして』と言われるとものすごい葛藤を感じるかもしれない。

太田:东大毕业的男性在就业时起点都不低。但是我听说东大学生的一个共通倾向是竞争意识很强。这样的话,不管是在企业还是在政府机关,他们都会卷入升职竞争中。在这样激烈的竞争中间如果被妻子要求“你也帮忙带孩子”,他们会很烦恼吧。

そうすると、夫婦ともに譲れなくなる。同じ東大出身だから自分のことをわかってくれるという期待がもてる一方で、相手も東大出身だからこそ、競争社会から降りられないというのもあるよね。東大じゃない大学の男子がみんな家事や育児に理解があるかといったら全然そんなことはないとは思うけど。

这样一来,夫妻双方都没法退让。大家都是东大毕业,所以期待对方能理解自己。但同时正因为对方也是东大毕业,所以很有可能无法从竞争社会中逃脱。不过要说非东大毕业的男生就对家庭和育儿更上心也完全不符合现状。

川上:高校の同級生には早稲田や慶應に行っている人たちもいて、彼らを見ているとむしろ性格的に東大生よりもいいかもと思うことも多いので、全然いいんじゃないかなとは思います。

川上:高中同学里也有去早稻田或者庆应大学的人,看着他们也会觉得性格比东大学生好多了。所以完全没问题吧。

「学歴上昇婚」の傾向があるかぎり

只要“高学历结婚”的倾向不变

おおた:でも実際は、女性は自分よりも偏差値の高い大学を出た男性と結婚する『学歴上昇婚』の傾向がある。この傾向があるかぎり、東大女子は東大男子と結婚するしかないじゃない。これはどうすればいいんだろう?

太田:但是实际上,女性更偏向于跟比自己偏差值更高的大学毕业的男性结婚,这种“高学历婚”的倾向是存在的。只要这种倾向不变,东大女生就只能和东大男生结婚吧。要如何是好呢?

川上:うーん。

川上:如何是好呢。

おおた:たとえば、偏差値による大学の序列がなくなればいいんじゃない?

太田:比方说,不给大学做排名了?

川上:それはそうですね。

川上:这也是个办法。

おおた:出身大学にとらわれずに結婚して、子どもができたときに、夫婦でどれくらい仕事をセーブすればいいかを話し合って、合理的な判断をすればいい。そこで仮に一方の子育ての負担が大きくなって、仕事をセーブしなければいけなくなったとしても、子育てが一段落した時点でまた仕事に復帰しやすいような社会であればいい。そういうことだよね。

太田:两人结婚时不以毕业大学为基准,等有了孩子,夫妻双方商量该如何处理工作,进行一个合理的判断比较好。此时假如某一方的育儿负担太重不得不离开职场,在育儿告一段落之后如果还能回归工作的话就好了,希望日本社会能创造这样的环境。这才是最好的解决办法吧。

川上:そうですね……。一方で、子どもが生まれたら、専業主婦になってもいいかなという思いもあるんです。

川上:说的是啊…… 另一方面,我也认为如果小孩出生了,自己回家做专职主妇也可以。

おおた:でも、せっかく東大まで来たのに……という気持ちもある?

太田:但是,你不会觉得好不容易考上了东大,这样太可惜了吗?

川上:あります!

川上:会啊!

おおた:頑張って難しい大学に入るのは自分の選択肢を増やすためだってことはよく言われるんだけど、実際本当に頑張って選択肢を増やしてしまうと、頑張ったことによって増えた選択肢から選択しないともったいないっていう気持ちになることあるよね。それって実は選択肢を狭めているんだよね。頑張って得られた選択肢を選んだ人生のほうが上等な人生だと思ってしまうからなんじゃないかな?

太田:虽然大家都说努力考上好大学是为了给自己增加选择的机会,但实际上真的努力增加人生选项后,又会觉得不从中选择就太浪费了。其实这反而限制了对人生的选择。因为大家都认定选择高难度选项的人生才更高级。

川上:そうかも……。

川上:也许是这样……

おおた:猛勉強して司法試験に受からないと弁護士にはなれない。一方、確かに東大に行かなくたって専業主婦にはなれる。でも弁護士として生きる人生と、専業主婦として生きる人生のどちらが上等かなんて、比べようがない。本人がどれだけ自分の人生に誇りをもてているかが大事。

太田:不努力学习通过司法考试就当不上律师。另一方面,确实不读东大也能做专职主妇。但是做律师和做专职主妇,哪一种人生更高级这是无法比较的。重要的是本人是否觉得自己的人生有意义。

川上:確かに……。

川上:确实……

高学歴女子の葛藤が垣間見られる。

在采访中,我们感受到了高学历女生的内心纠葛。

社会の偏差値過敏症が治れば少子化が緩和する!?

日本社会的偏差值过敏症痊愈后,少子化进程也会缓解!?

カーレースに例えれば、「東大」とは「競争社会」をスタートする時点での「ポールポジション」である。ポールポジションを得るために、学校教育が「競争社会」の「予選」になり下がり、「学歴社会」「偏差値主義」が跋扈した。しかし「競争」が緩和すれば、ポールポジションにこだわる必要は薄れる。そうすれば、おのずと「東大」に対する過度な意味づけも和らぐはずだ。

用赛车来比喻的话,“东大”相当于“竞争社会”中最前列最内侧的出发位置。为了获得这个有利位置,学校教育沦为了“竞争社会”的“预选赛”,而“学历社会”、“偏差值主义”横行。但是如果“竞争”有所缓和,大家也不用再一门心思抢占有利位置。如此一来,自然对于“东大”的过度追捧也会有所减轻。

しかも人生というレースは短時間で勝ち負けを争うものではない。むしろ耐久レースに近い。瞬発力より持久力がものをいう。レースが長時間になればなるほど、途中でピットインも必要になるし、トラブルも起こる。ポールポジションが有利なのは最初の何周かだけ。そのために「予選」でムキになる必要はない。ポールポジションを取れなかったらもうおしまいと考えるのは、大げさだ。

然而,人生这个赛道并不是在短时间里拼输赢,它更像是一场持久战。比起爆发力更看重持久力。赛车的时间越长,中途进修理站的次数就越多,出意外也不可避免。最前列最内侧的出发位置只在最初的几圈有利。因此没必要在“预选赛”中磕破头皮。没抢到有利位置就认为自己输定了,这太言过其实。

確かに東大は、資金的にも人材的にも国内で最も恵まれた大学かもしれない。その恵まれた環境を求めて東大に行きたいと思う高校生が多いことは理解できる。しかし、偏差値がいちばん高いから東大に行くというのはいかがなものか。そのような考え方は「みんながいいと言うものを自分もほしい」という考え方でしかない。その姿勢のままではつねに世間の評価に振り回される人生を送ることになりかねない。

确实东大在资金方面和人才方面都是日本国内最优良的大学。也能理解很多高中生为了追求这种优良环境而奔向东大的心情。但是,因为那里偏差值最高所以要去东大的想法我不能苟同。这种思考方式说白了就是“因为大家都说好,所以我也想要”。不改变这种态度的话,在今后的人生中就会一直被世间的评价束缚。

逆に「国際的な大学ランキングで東大の順位が落ちているからもう東大に行っても意味がない」という批判も意味がない。あの手のランキングは、組織としての大学の機能を評価するものであって、その大学に通う価値を評価しているのではない。どんな大学に行っても、そこで精いっぱい学べば、得られるものにさしたる差があるとは思えない。

相反的抨击说“因为东大在世界大学的排名中下降了,所以去东大也没有意义”也不妥。那种排名是评价大学的综合实力,而不是评价就读该大学的价值。不管去哪所大学,只要在学校里努力学习,收获的东西并不会有太大差别。

ましてや「東大生同士でないと話が通じない」というのはまるで幻想だ。東大受験対策を専門にするある塾の関係者は「東大の合格ラインにはたくさんの受験生がひしめいています。毎年の東大合格者の中でも、下位半分は不合格でもおかしくなかった人たち」と証言する。もう一度試験を行ったら半分は入れ替わるというのだ。

更不用说“东大学生和其他学校的人说话内容级别不一样”这种说法完全是幻想。专业研究应考东大对策的某补习班老师作证说“有非常多的考生挤在东大的及格线上。每年考上东大的学生中,下游的一半都是落榜也不稀奇的人”。如果重新进行一次考试的话,有一半会发生替换。

偏差値で人の能力を推し量ることはナンセンス

用偏差值来衡量人的能力太荒唐

惜しくも不合格になった人たちは、東京であれば早稲田、慶應あたりに通うことになる。彼らと東大生の間に学力的に明確な差があるはずもない。ましてや大学受験で試される学力が総合的な知性や人間力のごく一部でしかないことはいうまでもない。偏差値の高さで人の能力を推し量ることは、ベンチプレスの値でアスリートの能力を推し量るくらいにナンセンスなことだ。

那些还差一点及格的人,在东京的话就会选择早稻田、庆应大学等学校。他们和东大学生之间并没有太大的学习能力上的差别。更不用说高考考察的学习能力只不过是综合才智以及能力的一小部分。这就跟用仰卧推举的数据来衡量运动员的能力一样无意义。

偏差値が5や10違ったからといって話が通じないというのなら、問題なのは相手の偏差値ではなくて、本人のコミュニケーション能力だろう。実際には話が通じないのではなくて、話が通じないと思い込んでいるケースが圧倒的に多いのだと思われる。

如果偏差值差个5呀10的就无法正常沟通的话,那问题不是出在对方的偏差值上,而是本人的沟通能力太差吧。实际上很多时候不是真的无法交流,而是一门心思认定双方无法互相理解。

しかし多くの人にそう思い込ませるほどに、偏差値が過度な意味をもつのがこの社会なのである。

现在人们过度看重偏差值,以至于大部分人都产生了这种想法。

社会全体を覆う偏差値の差に対する過敏症が解消されれば、東大女子の結婚相手の選択肢も増えるだろう。東大女子自身が自分より偏差値が低い男性との結婚に抵抗を感じなくなるという意味と、男性が自分より偏差値の高い女性との結婚に抵抗を感じなくなるという意味の両面で。

如果日本社会能消除这种无处不在的偏差值过敏症,东大女生在结婚时能选择的机会也会增多吧。不管是东大女生接受比自己偏差值低的男性,还是男性接受比自己偏差值高的女性,双方都会有所改变。

同様に世の中全体として、学歴上昇婚/下降婚という概念が薄れれば、男女ともに未婚率は下がるだろうし、世帯収入格差は縮まるだろうし、それによって少子化も改善の方向に向かうかもしれない。

同样,如果社会整体上没有了高学历婚/低学历婚的概念,那男女的未婚率都会下降,家庭收入差异也会缩小,甚至少子化的情况也会得到改善。

その点、現在議論されている大学入試改革には、もともと大学入試を変えることで高校以下の教育を偏差値主義から解放しようという目的がある。それが、少子化対策にもなるかもしれないのだ。

关于这一点,现在大家议论纷纷的高考改革,原本是为了将高中以下的教育从偏差值主义中解放出来。同时,这也将是一项有效的少子化对策。

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