沪江网:今天非常高兴请到小森老师来到我们沪江网做客,首先请小森老师给我们沪江网的朋友打个招呼吧!

小森步:大家好!我是小森步。

沪江网:我们沪江网是中国最大最具影响力的外语学习平台,有将近十个语种的学习频道,其中日语频道是发展最早、也是最受欢迎的一个频道。今天请到小森老师,主要想和您聊一聊您在日本和中国的工作经历、还有一些生活趣闻,也希望您跟我们的网友分享一下您的语言学习经验!

小森先生の中国滞在生活について

关于小森老师在中国的工作生活

沪江网:小森先生が2004年頃に中国に来たのは、留学のためですか?それとも仕事をしに来ましたか?

小森老师来到中国,最初是留学还是工作?

小森步:2004年から一年間は、中国語を勉強しに、留学に来ました。

从2004年开始,我来到中国留学,学习了一年中文。

沪江网:ほかの国ではなく、中国を選んだ理由は何ですか?

是什么让您选择了中国而不是别的国家作为自己发展的舞台?

小森步:ええとですね、ほかの国も、あのう、大学生のころに三ヶ月間とか短期留学でカナダに行ったことがあるんですけど、あと旅行で世界中を回ってたんですけど、ええと、今から十一年、十二年ぐらい前に、上海と南京に遊びに来た時に、すごいなんかカルチャーショックを覚えたんですね。何かというと、同じアジアなのに、あのう、その時の上海はまだ今みたいに発展していなかったんですね。でも、その時に、言葉が通じない中国の人がすごい話しかけてくれたりとか、エネルギッシュだったので、えっ、この人としゃべってみたい、って思ったのはきっかけで、でも、やっぱりまだ大学生だったので、就職活動とかで一回日本に帰って、で二十四歳の時に、うん、やっぱり中国語、習ってみたい、中国の人と話してみたいという気持ちが強くなって、留学に来ました。

嗯是这样的,关于别的国家,我在大学时期曾到过加拿大进行三个月的短期留学,之后又在世界各地旅行过。大约距现在11、12年前,我来上海、南京一带玩的时候,感受到了非常深刻的文化冲击。该怎么说呢,尽管是同属亚洲(两国却非常不同),当时的上海还没有现在这么发达。然而,那时候,尽管语言不通,中国人还是非常热情地和我说话,很有活力。“啊,真想和这些人聊聊天”的想法是最初的契机,不过当时我还是大学生,因为找工作的事又回了趟日本。后来在24岁的时候,强烈地感觉到还是想学习中文、想和中国人沟通说话,于是就来留学了。

沪江网:中国で勉強や仕事をしている時、中国語のコミュニケーションに何か面白かったことはありましたか?

您的工作生活中,用中文交流时遇到过什么有意思的事儿?

小森步:いっぱいあります!はい、やっぱりはじめに中国語をぜんぜん日本であまり勉強してこなかったので、買いたい物もはじめは買えないし。でも、なるべく、一年間に中国語をなるべく覚えようと決めたので、あのう、日本人となるべく遊ばないようにして、はい、その中国の大学生と遊ぼうと思ったんですけれども、一度その男性に声をかけてもらって、お昼ごはんを食べようといわれたから、で行ってお昼の待ち合わせをしてたら、彼はスーツを着てたんです。へえっ、あれ、なんでスーツを着てたんだろう。私はお昼ご飯を普通に食べに行くだけなんだろう、のはずなのになあと思って、でもよくわからないから、ついていったら、なんとその男の子の友達の結婚式に、連れていってもらったというか、たぶんそれがコミュニケーション不足というか、たぶん教えてくれてたんだろうけど、聞き取れなかったので、不思議な体験をしましたね。

这样的事儿有很多!嗯,因为在日本时没怎么学过中文,最开始连想买的东西都买不了。但因为决心在一年内努力学会中文,所以,想着尽量不和日本人玩,而是和中国的大学生一起玩。曾有一次被一位男士邀约,说是要和我一起吃午饭。而等我真的去赴吃午饭的约的时候,发现他竟然穿了正装。咦,为什么要穿正装呢。我以为只是普普通通吃个午饭而已,不过也搞不太懂。跟着他去了之后,才发现这个男生带我去的是他朋友的婚礼。可能是因为交流不足吧,也许他告诉我了而我却没有听懂,真是很不可思议的体验。

沪江网:どうやって中国語のレベルをアップしていきましたか?

您又是怎么提高中文水平的?

小森步:そうですね。まだまだ中国は上手だと自分は思っていないんですけど、やっぱりたくさん学校で勉強したことを、中国の人と、お話をして、使ってみる。で、使って通じたら、あっ、この言葉は自分でこう身についたなって、とにかく、学校で覚えた単語をすぐに使うようにして、中国語のレベルを少しずつ上げました。

嗯,虽然我自己并不认为我的中文现在很好,但(要说提高中文的方法)果然还是要把学校里学到的中文尽量地用来和中国人进行交流。这样用起来的中文能被对方听懂,就会觉得自己这样记住了这个词语,总之还是把学校里学到的单词尽快用起来,从而一点点提高了中文水平。

沪江网:小森先生は2011年までICSの番組『中日の橋』の司会を担当していましたね。この仕事をして、小森さんは何か感想はありますか?

您直到2011年都在主持ICS的《中日之桥》这档节目。这份工作曾带给您什么感悟?

小森步:そうですね。あのう、去年2011年の五月まで、3年半中日の橋をやらせていただいたんですけど、番組をはじめて、はじめはどんな人が見てくれているのか、わからなかったんですけど、やっぱり上海の町を歩いていると、日本語に興味のある人が声をかけてくれて、あっ、そうか、やっぱ中国の人で日本に興味ある人が見てくれているんだなということで、私の今上海での役割っていうか、していきたいことは、日本の文化を、日本の文化とか歴史とか、を中国の人にもっと理解してもらったりとか、まあ、楽しんでもらえること、そして、中国の今の最新情報とか、いろんな人の生活とか、色々なことを日本の人に理解してもらえることがその仕事だったというので、そういう番組を通じて、わかりやすく伝えて、本当に中国の若い人たちが、番組を見ててくれると思うので、やっぱり全員がすぐやっぱ私とか吴四海先生の言葉って速いので、みんな聞き取れないという反応がよくあるので、あっ、そう感じました?なので、なるべくゆっくりわかりやすい言葉で、伝えていくことが大切なのだなと思いました。

是的,一直到去年2011年5月为止,我主持了3年半中日之桥的节目。这个节目刚开播时,究竟是什么样的观众在看我们的节目,我完全不了解。后来在上海的街上行走时,有的对日语很感兴趣的朋友会过来向我打招呼,让我明白了原来是对日本感兴趣的中国人在收看这个节目。因此我感到自己现在在上海所扮演的角色,或者说想要继续做下去的事情,就是使中国人更理解日本的文化、历史,或者说让他们从中得到乐趣。然后,也把中国的最新消息,各种各样的人们的生活,也让日本人有所理解。那就是我的工作。我想看这档节目的真的还是以中国年轻人为主,几乎所有人都反映道我和吴四海老师的语速都有点太快了,大家听不下来。你也这么觉得吗?因此,我后来感受到,以尽量缓慢一点、易懂一点的语言来传播信息,是很重要的。

沪江网:ICSの仕事をやめてからも、小森先生がまだ司会者やリポーターとして、日本人の方々に上海を紹介していると聞きました。今まで上海のどういったことを紹介したのか、教えてくださいますか?

听说您离开ICS后,仍然作为主持人让日本观众了解上海。您向日本朋友展示了上海的哪些方面?

小森步:ええとですね、今までは、今は長崎県のあのう、番組のレポーターをさせてもらっているんですけど、あのう、もともとのきっかけは、2010年の上海万博。はい。で、その上海万博の、こうどんどん、どんどん出来上がってく建設前から、それから万博が終わる10月31日までをずっと毎月、ええと、二三ヶ月に一回、はい、万博だけではなくて、万博プラス上海の町の情報とか、おいしいグルメ情報だったりとか、後は上海を旅に出て、あのう、无锡とか杭州とか苏州とか、上海から一時間とか、一時間半でいける場所の、見所、観光地とかを紹介していました。ありますね。楽しいですね。まだまだすごい中国って、奥が深いし、歴史が深いので、まだ本当に一部分だけを紹介してきた感じですね。

嗯,现在我为日本长崎县的一个节目担任采访记者。这份工作最初的契机,是2010年的上海世博会。是的。从那次世博会的一点一点逐渐建设成形之前,直到世博会结束的10月31日的期间,每个月,嗯是每两三个月一次(播一次节目)。(节目内容)不仅限于世博会,而是世博会加上上海市内的各种信息,比如美食情报之类的。后来从上海出发,比如无锡、杭州、苏州,这样离上海一小时或一个半小时车程的地方的观光点、游览胜地,也都介绍给了观众。有过这样的体验。真是非常开心。依然觉得中国很厉害,文化很深邃,历史很悠久。我感觉真的还只是向观众朋友介绍了一部分而已。

沪江网:小森先生はいつも『微博』で中国人の皆さんと日常生活での楽しいことをシェアしていますね。この2012年にぜひ実現したい目標や計画など何かありますか?

小森老师经常在微博上与中国朋友分享生活趣事。能不能说说2012年您的各种目标和规划?

小森步:そうですね。いっぱいあるんですけど、まだまだやらなきゃいけないこと、やりたいことが、あのう、やっぱり今は、中日の橋だったりとか、司会業とか、ナレーションも、日本語をメインで、あんまり中国語を使うことがないんですね。あのう、周りのスタッフの皆さんとは中国語でコミュニケーションをとるんですけど、司会をする時は、日本語で言うのは多いんで、これからやっぱりせっかく中国にいるので、やっぱり中国語で自分の思いだったりとか、日本の魅力とかを伝えていけたりとか、司会も日本語を中国語を両方使ってできるようにしたいなと思っています。はい、頑張ります。

是的呢。必须要做的事情,想要做的事情,有着很多很多的规划。想想现在为止,比如中日之桥、主持人的工作、配音等,都还是以日语为主的工作,中文用得比较少呢。尽管与周围的工作人员都还是以中文进行交流,但主持的大多数时候,还是说日语。既然难得的能在中国工作,今后还是想尽可能以中文来传达自己的一些想法以及日本的魅力。也希望能在主持工作中既用到日语,也用到中文。是的,我会努力的。

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