东北地震 两年两月

東日本大震災の発生からきょうで2年2カ月になる。発生からしばらく、紙面はつらい記事で埋め尽くされた。だが、ともしびのような話に力づけられもした。4日後の小欄はこう書いている

东日本大地震发生至今已2年零2个月,发生后持续有一段时间报纸的版面全都被这令人难以接受的报道所覆盖。然而,一些星星之火般的故事却也给我们增添了力量。灾后第4天的敝栏目里刊登了这么一篇文章。

「紙の墓碑を思わせる東京の紙面にきのう、被災地で生まれた赤ちゃんの記事があった」。そして〈子どもはなおもひとつの喜び/あらゆる恐怖のただなかにさえ〉と谷川俊太郎さんの詩を引いた

“昨天,被视作纸质墓碑的东京版版面上刊登了一则有关灾区降生的婴儿的报道”,并且还引用了谷川俊太郎先生诗歌中的一段,〈孩子仍是一大欣喜/即便在所有恐惧的正中〉。

そんなことを、北海道の磯田憲一さんから頂いた本に思い出した。元道副知事で、今は大学の客員教授。生まれた子に職人手作りの木の椅子を贈る活動を続けてきた人だ。あの3月11日にも被災地で産声をあげた子らがいる。探して98脚を手渡した。うち29家族の体験と思いが一冊に詰まっている

北海道磯田宪一先生送的一本书使我想起了这段往事。他原来是道的副知事,如今是一所大学的客座教授,长期以来他一直在推广向出生的孩子们赠送木椅的活动,这些木椅全部由工匠手工制作。那年的3月11日,也有降生于灾区的孩子。经过寻找,亲手送上了98把木椅。并且,还将其中29个家庭的体验及感受汇集成册。

どれも、じわりと涙腺にくる。地震の直前に出産した母親は、激しい揺れの中、「このまま死ぬんだな。赤ちゃんごめんね」と思って分娩台で泣くことしかできなかったという

哪一篇都能催人泪下。据说,那些在即将发生地震之时临产的母亲在这剧烈的摇晃中陷入了绝望,只能在产床上哭泣而毫无办法,“难道就这么死去吗?孩子啊真的对不起!”

思えばあの日は、途方もない喪失の日だった。誰もが息を呑み、言葉を失った日。「生まれてくれてありがとう」。寄付を募って椅子を贈った磯田さんの思いも、ページの奥からにじみ出る

想想那天,真是个无法接受的丧失的日子,令任何人震惊得透不过气、说不出话的日子。“感谢你降临到这个世界!”每一页的背后都渗透着募集捐赠,赠送木椅的矶田先生的感受。

森の木から作られた椅子は、幼児のお尻に合わせている。「この椅子が小さく小さく見えるほどあなたが大きくなっても、ずっと椅子とともに、幸せな人生を歩んでほしい」。これは別の母親の、わが子への願いだ。ちょうど足が床につくころか。子らはきょう2歳2カ月になる。

用森林里的大树制作的木椅特别适合幼儿的小屁股,“这把椅子看上去越是小巧就越显显出你的茁壮成长,希望你即使长大了,也一直与这把椅子共同走过幸福的人生。”这是另一位母亲对于您孩子的祝愿,或许他现在已经会站了吧,这些孩子们今天正好2岁零2个月。

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