2008年12月30日付 面向前方就有希望
翻译:藤原周助,luo_nannan
整理:young忧雪
▼きびしい歳末に追い打ちをかけるように、天気図の等圧線は込み合い、西高東低のしかめっ面を描く。先の見えぬ寒空に一灯をともす師走の言葉から
像是给这个严酷的年关雪上加霜一样,气象图的等压线密集,呈现出西高东低的苦相。在看不见未来的寒日里打一盏明灯,这是十二月的话题。
▼京都市の中村八重子さん(73)は64歳で定時制高校に入り、大学も卒業して、いま、夢だった高校の教壇に国語の非常勤講師として立つ。若いときは、学びたいのに学べなかった。「幸せでない時期があったからこそ、今の幸せが分かる。生徒には希望を捨てなければ大丈夫と伝えたい」
家住京都市的中村八重子(73岁)64岁时进入成人夜校学习,大学毕业,如今以特聘语文老师的身份站上了自己梦寐以求的高中讲台。她年轻时虽然想学习但(因种种原因)无法继续学下去。她说“正因为我经历过不幸的时期,我才深知现在多么幸福。我要告诉学生的是,只要不放弃希望,就会永远拥有希望”
▼「博子ちゃん」と題する作文を宮崎市の中学1年、中本奈那さん(13)が書き、全国中学生人権作文コンテストで賞を受けた。「博子ちゃん」とは、小児麻痺(まひ)の後遺症のため車いすで暮らす母親のことだ。「人を見た目で判断してはいけないよ――母のその言葉は私にとって最高の贈り物です」と笑顔で語る
宫崎市中学一年级学生中本奈那(13岁)的作文《博子》在全国中学生人权作文大赛上获奖。文中提到的这位“博子”其实是作者的母亲,她因小儿麻痹后遗症导致终身与轮椅相伴。中本微笑着说“不应以貌取人。——妈妈的这句话对我来说是最好的礼物。”
▼熊本県に住む元五輪長距離選手の松野明美さん(40)は、5歳の次男がダウン症だと公にした。それまでは世間を気にして隠していた。息子さんが歩いたときの感動を、「人生は一番でなくてもいいと気づいた。その人のペースでゴールをめざせばいい」
家住熊本县的原奥运会长跑选手松野明美(40岁)近来向媒体公开了自己5岁的次子身患先天性痴呆症的消息。据说之前她因在意世人的看法而隐瞒了儿子患病的这一事实。她说儿子刚会走的时候带给她的感动(让自己发现)“人生最重要的不是取得第一。他只要能以自己的速度面向终点前进就足够了”
▼阪神大震災の被災者を支援してきた宝塚市の亀甲(きっこう)つぎこさん(60)が、記録集『震災 心つむぐ』をまとめた。「みんなで支え合ったあの頃を忘れないでほしい。温かい助け合いの心が災害に強い社会をつくるのだと思います」。明ければ14年目の「あの日」がめぐる
家住宝塚市,并长期救助阪神大地震中受灾者的龟甲つぎこ女士(60岁)将自己多年的经历编集成了一本记录集《震灾 心相连》。书中这样写道“请大家不要忘记在那非常时刻大家相互救助的时刻。我认为正是拥有这种相互温暖的扶助之心才能构建顽强抵御灾害的社会”。而明年是“那一天”的14周年纪念日。
▼今年最後の朝日俳壇に東京都の枝澤聖文さんの〈死ぬことを全く忘れ日向(ひなた)ぼこ〉。かくて数え日もきょうとあす。
今年最后一期朝日俳坛刊登了枝澤聖文(东京都)的作品“忘却死亡 晒晒太阳”。于是乎,08年只剩下今明两天了。
解说:
1,専業非常勤講師
大学の教員には、正規かつ継続して大学に雇用されている専任教員の他に、一定の期間を定めて雇用される任期制教員(助手や研究員が多い)や特任教授、客員教授など、多様な雇用形態が存在している。そのうち、正規に大学に雇用されずに授業を担当し、また客員教授などとも呼称されない教員を「非常勤講師」と呼ぶ。「非常勤講師」の中には、他大学を本務校とする者、官公庁や民間企業の職員など別のどこかで正規雇用されている者や、それ以外の職業に就いている人物なども多い。しかし、中には「非常勤講師」の収入だけで生計を立てている人物も存在する。これが「専業非常勤講師」である。
2,定時制高校>>>
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