2008年05月01日付 作家岡部伊都子的强韧之“芯”
翻译:天声人语翻译讨论小组 整理:baiheps
▼幼いころから病弱だったゆえでもあろう。亡くなった随筆家の岡部伊都子さんが紡ぐ言葉には、「生かされている」という思いが息づいていた。感謝と表裏をなすように、弱いもの、時代に合わぬものへの、温かいまなざしがあった。
也许是自幼体弱多病之故吧,已故随筆家岡部伊都子所写的文字中体现了一种“幸存(生死天注定)”的思想。仿佛与感谢互为表里似的,(她的作品中)有一种对弱者、对时代落伍者的温情关注。
▼大阪の商家に生まれた。2歳で右耳の聴力を失う。女学校は結核で退学した。世を嫌って、「なんで私なんか産んだ」と母親を責めた。母親はそんな娘に、「あ、また死にたい顔したはりまんな」とおどけてみせたそうだ。岡部さんは笑って、泣いた。
岡部伊都子生于大阪某商人家庭。两岁右耳失聪。因结核病从女子学校退学。对世间感到厌倦的她责问母亲“为什么要生下我”。母亲学着她的样子逗她说:“啊,别又是一副想去死的嘴脸呀”。 岡部笑了,继而又哭了。
▼長じると、婚約者を激戦の沖縄で亡くした。その人は、出征の寄せ書きに「勝つもまた悲し」と書くような青年だった。「この戦争は間違っている。天皇陛下のために死ぬのはいやだ」と言い残すのを、「私なら喜んで死ぬ」と突き放すように見送った。
长大成人后,她的未婚夫在激烈的冲绳战役中去世。那是一位在出征时的集体留言上写下“获胜也会陷入悲哀”的年轻人。送葬时,对于未婚夫留下的“这场战争是错误的。我不愿意为了天皇陛下去送命”的话语,岡部甩出一句“如果是我的话,会含笑九泉的”。
▼非戦の理想と言葉は、軍国乙女の理解を超えていた。激しく悔やんだのは、戦争が終わってからだ。自らに「加害の女」の烙印(らくいん)を押す。疼きとともに深めた思索を、130冊もの著書に刻んできた。
反战的理想与话语,是岡部这位军国主义少女所无法理解的。战争结束后,她给自己盖上了“加害之女”的烙印,陷入到无尽的懊悔中。她将痛苦会同深入的思考,铭刻在了多达130部的作品中。
▼京都のお宅を昔、真夏に訪ねたことがある。「夏やせに寒細(かんぼそ)り」の人生だと笑う腕は、きゃしゃだった。「でも弱いから、折れないのよ」。弱さをしなやかさに変えたのは、芯の強さだろう。
我曾在盛夏时节拜访过岡部位于京都的故居。她那笑着面对“夏瘦冬弱”人生的臂膀是那么瘦弱。“但就因为它瘦弱,所以才不会折断呀”。将瘦弱化为韧性的,是“芯”的强悍吧。
▼昨夏刊行の『清(ちゅ)らに生きる』(藤原書店)に、婚約者への感謝がある。「(残してくれた)だいじなだいじな言葉がなかったら、わたしの生きてる意味はあらしません」。85歳で去った岡部さんの胸に灯(とも)りながら、婚約者の思いもまた、戦後を照らし続けた。
在去年夏天发行的《清らに生きる》一书中(藤原書店),岡部表达了对未婚夫的感谢。“如果没有(他留给我的)非常非常宝贵的话语,我就不知道自己为什么活着”。 岡部未婚夫的思想长明在八十五岁去世的岡部胸中,同时,也一直照亮着战后(日本人的生活)。
解说:
1、表裏(ひょうり、おもてうら): (1)表と裏。また、物の表と裏の関係にあること。「―を成す」「物質界と―して…精神界が別にあると/平凡(四迷)」 (2)外面と内情とが食い違うこと。また、外面に出る言葉や態度と内心が食い違うこと。陰ひなたがあったり、うそを言ったりすること。「―なく働く」「―のある行動」
2、戯ける(おどける):滑稽なことを言ったり、したりする。ふざける。たわむれる。「―·けたしぐさで笑わせる」
3、寄せ書き(よせがき):多くの人が一枚の紙に文章や絵などを書くこと。また、その書いたもの。「結婚記念の―」「色紙に―する」 更多翻译讨论尽在天声人语翻译讨论小组
翻译好帮手:【小学馆】新解国语辞典
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