日照りが続いた後なら、「喜雨」「慈雨」と歓迎される。しかし雨は、やはり疎まれがちだ。日々のあいさつでも、「あいにくの空模様」「足元の悪い中」などと、忌むように言い交わされることが多い。

连续的晴天之后,“喜雨”、“慈雨”便尤其让人期待。然而,雨也极易让人生厌。连日的日常寒暄中,也常常充斥着“倒霉的天气”、“泥泞难行”等使人不快的言谈。

だが雨好きもいる。詩人の薄田泣菫(すすきだ・きゅうきん)は、梅雨の雨がしとしと降る日を、「好きな本を読むのすら勿体(もったい)ない程の心の落ち着きを感じます」と随筆に述べている。そんな日は、静かに心の深みに降りていって、独を遊ばせ、独を楽しみたいと言う。

但是也有喜欢雨的。诗人薄田泣菫在随笔中这样描述梅雨时节淅淅沥沥下雨的日子,“心情极端平静,连读喜欢的书都觉得太浪费了”。他说那样的日子,静静地栖息在心底深处,让人不由得想要去把玩孤独、体味静寂。

仏文学者の辰野隆(ゆたか)も、降りはじめると、雨を眺めながら、聴きながら、いつも気分が快かった。「雨。雨。雨。……雨滋(しげ)き国は何処かにないであろうか」と記し、自分の前世は田んぼの蛙(かえる)か田螺(たにし)だったらしいと言っている。

佛文学家辰野隆在雨临大地之时,眺望着雨幕、聆听着雨声,心情总是很愉快。他写到:“雨、雨、雨……何处无你滋润的乡土”。他称自己的前世或许是田间的青蛙或者田螺。

静かな感傷を許さない「暴れ雨」が、近ごろは目立って増えている。短時間にのように降り、瞬く間に冠水浸水をもたらす雨だ。気象庁によれば、1時間に80ミリ以上だと「圧迫感があり、恐怖を感じる」という。とても心の深みで独を遊ばせるどころではない。

与悄然的感伤格格不入的“暴雨”近日明显增多。就是一会儿功夫便倾泻如瀑,瞬间即引发洪水和四处蔓延的雨。根据气象厅的报道,1小时就能达到80毫米以上,“让人倍感压抑和恐惧”。这样无论如何也不能在心底深处去把玩那份孤独静寂了。

片や、数日から1カ月ほど、ほぼ雨無しが続く頻度も増えている。つまり「降らないか、降ったら土砂降り」という二極化が進んでいる。渇水を案じて待ち望んだ慈雨が、たちまち災いの雨に変わる。これもやはり、温暖化と無縁ではないらしい。

另一方面,几乎连日甚至一个月都持续干旱的频率也在上升。也就是说正在走向“不下则已、一下倾盆”这样两个极端。因干旱而一直守望的甘霖,瞬间便成了灾雨。这似乎也与全球气候变暖不无干系。

大雨に見舞われた九州でも、短時間に猛烈な雨の降った所が多い。凶暴な雨である。しかし「人為の故なきにしもあらず」なら、これを「天災」と忌むだけでは事足りないのかもしれない。

在遭受暴雨袭击的九州,有多处地方在短时间内雨势强烈。可以说达到了凶暴的程度。此时,如果再以“并非人为因素”,而是“天灾”来进行托辞,恐怕是远远不够的吧。

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