美しいものより美しいのは、美しいものが荒廃した姿である――オーギュスト・ロダン。彫刻家ロダンの作品が、がぜん官能の色を帯びる一時期がある。弟子で愛人のカミーユと暮らした1880年代だ。

比美丽事物更美的,乃是美丽事物颓败的姿态---欧更斯特·罗丹。雕塑家罗丹的作品,雕刻家罗丹的作品有一个时期突然带有感官的色彩。这是他与弟子兼情人加谬共同生活的19世纪80年代。

18歳で42歳のロダンと出会い、やがて身を引くカミーユ。女として芸術家として独り立ちに挑むも、世界に飛躍していくロダンへの愛憎、孤独、貧苦の果てに心を病む。78歳で没するまでの30年は、南仏の精神科病院にいた。

卡谬18岁时与42岁的罗丹相遇,不久便以身相许。作为一个女人、艺术家所桀骜不群的挑战精神,也因对向世界飞跃的罗丹所持有的爱憎、孤独、凄苦情感,最后患上了心理疾病。在78岁逝世的最后30年,一直都呆在法国南部的精神病院。

その激しく悲しい、さまよえる魂が、浅春のパリに「着物姿」で帰ってきた。京都の日本舞踊家、西川千麗(せんれい)さんがこのほど披露した創作舞「カミーユ・クローデル」(04年作)だ。

那极度悲伤、迷茫的灵魂,以《着装的姿态》回到了浅春的巴黎。这是京都的日本舞蹈家细西川千丽小姐最近公演的创作舞剧《加谬.克罗迪卢》(04年创作)。

フランス人の生き様を、バレエやオペラではなく日舞に転写するには、言葉や顔立ちに頼らぬ表現力がいる。黒装束の千麗さんは、栗色の髪を垂らし、金の扇2枚で文化の壁に向かった。舞の頂点で、ぽとり、ぽとりと扇が落ちる。恋心、ロダンとの子、創作熱、正気。カミーユが喪失したあれやこれやを、散る扇に込めた。

不是芭蕾和歌剧、而是以日本舞蹈来表现法国人的生活状态,有着不依赖于语言和表情的表现力。黑色装束的千丽小姐,披着栗色长发,手持两把金色扇子面对着文化之墙壁。在舞蹈的高潮,扇子无声地滑落。爱恋之心、与罗丹的孩子、创作的热情、正气。加谬所失去的一切,尽现于散落的扇子之中。

20年ほど前にカミーユを知り、いつかは舞うと心に決めた舞踊家は「自分を空っぽにし、心に住みついた彼女に身を任せた」という。舞台に見入ったカミーユの縁者たちは「この美しさなら本人も幸せ」と喜んだ。

20年前知道加谬,决定何时为之起舞的舞蹈家说,“我掏空了自己,将一切都倾注在心中的她的身上”。沉浸在舞台中的加谬的亲人高兴地说,“如此唯美,她本人也该很幸福。”

実弟で、大正から昭和に駐日大使を務めたポール・クローデルは書いている。「禅宗によれば、偉大なる真理は言葉ではなく、ある種の伝染により心に届く」。日舞に織り上げた「荒廃の美」もまた、時空を超えて伝わった。

其胞弟,大正至昭和年间任驻日大使的博鲁.克罗迪卢写道,“据禅宗所说,伟大的真理并非在言语中,而是寄宿于某种能够传达感染的心情”。在日本舞蹈中所编织的“颓废之美”,再一次穿越时空传达给了人们。

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