「いらっしゃいませ」を表わす京都の言葉は、ふたつあります。「おこしやす」と「おいでやす」です。本やインターネットで調べてみると、「おこしやす」の方が丁寧と説明されています。なかには、「おいでやす」は、“口では歓迎の挨拶をしているけれど、実はそうではない場合もある”というような解説もあります。

在京都,表达“欢迎光临”意思的词有两个,「おこしやす」和「おいでやす」。通过书本和网络查了一下,「おこしやす」更礼貌一些。其中,关于「おいでやす」有这样的解说:“虽然口头上欢迎寒暄,实际上并不是那样的情况也有。”

本当に、そうでしょうか? もし、それが本当だとすると、京都へ観光に行く者としては、「おこしやす」と言われるか、「おいでやす」と言われるか、気になることになります。

真的是这样么?如果这是真的,对那些来京都观光的游客们,跟他们说「おこしやす」还是「おいでやす」呢,这就成了一个比较关心的问题。

ただ、上の解説は、意見としては、少し偏りがあるように感じます。「おこしやす」と「おいでやす」のちがいは、字の意味を考えれば、わかります。

但是,上述解说我觉得多多少少有一些偏差。「おこしやす」和「おいでやす」的不同之处,通过字面意思考虑的话就能明白了。

「おこしやす」は「お越しやす」。「わざわざ遠方からきてくださいまして…」という気持ちがこめられています。一般的には、少し改まった場面で、使われます。「おいでやす」は「お出でやす」。もう少し気軽に、よく会う人に対して使われます。

「おこしやす」是「お越しやす」。包含着“特意从远方来到”的心情。一般在稍微正式的场合使用。「おいでやす」是「お出でやす」。语感相对轻松,对经常碰见的人使用。

おこしやす=ようこそ、おこしくださいませ。おいでやす=いらっしゃい!/よく来たね。…と考えれば、意味のちがいがわかります。

おこしやす=ようこそ、おこしくださいませ。おいでやす=いらっしゃい!/よく来たね。这样考虑的话就明白意思的不同了。

ただし、言葉は生き物なので、使う人や局面によって、微妙な温度の差はあります。標準語だって、「ようこそ、おこしくださいませ」と言いつつ、実はあまり歓迎していないこともあります。一口に「いらっしゃい!」といっても、心から歓迎しているケース、事務的に言っているだけのケースなど、千差万別です。

但是,语言是活的,根据使用的人和场景的不同,有微妙的差距。即使是标准语,有的情况下虽然说了「ようこそ、おこしくださいませ」,但实际上并不是那么欢迎。简单的一句「いらっしゃい!」,有时是打心眼里欢迎,有时是事务性的寒暄语,诸如此类的情况千差万别。

さしあたり、歓迎したくない客に「おこしやす」を使うことは少ないとは考えられますし、従業員教育の行き届いた旅館では、「おいでやす」 より「おこしやす」を使うことが多いでしょう。宿泊客は、遠方から来るに決まっていますから。

目前可以说的是,很少有人会对不太欢迎的客人说「おこしやす」,在从业员素养很高的旅馆里,相比「おいでやす」,使用「おこしやす」的情况比较多。因为住宿的客人都是从远方来的。

だからといって、「おいでやす」に歓迎の気持ちが足りないわけではありません。

话虽如此,并不是说「おいでやす」表达的欢迎程度不足。

上に記した標準語訳のような意味のちがいはありますが、「おこしやす」と「おいでやす」では、言葉としてよく似ているので、標準語ほど明確な差は出ません。

虽然这两句京都话翻译成标准日语后会有这种意思上的差别,但是由于「おこしやす」和「おいでやす」本身在语言构造上很相似,所以并没有标准语那样明确的差别。

京都の人の中にも、「おいでやす」と「おこしやす」を使い分ける人もいれば、とくに意識せず、どちらも使う人もいるようです。

京都人中,有人注意区分使用「おいでやす」和「おこしやす」,也有人并不是很在意,两者都在用。

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