《百人一首》汇集了日本王朝文化七百年的100首名歌,是最广为流传的和歌集。熟读百人一首,更能了解日本文化哦。一起来了解日本人对美、自然、爱情的感悟吧。




10番
出典:「後撰集」より

上の句:これやこの 行くも帰るも 別れては
上の句読み:これやこの ゆくもかえるも わかれては

下の句:知るも知らぬも 逢坂の関
下の句読み:しるもしらぬも おうさかのせき
作者/歌人名:蝉丸(せみまる) 


■現代語訳
これがあの、京から出て行く人も帰る人も、知り合いも知らない他人も、皆ここで別れ、そしてここで出会うと言う有名な逢坂の関なのだなあ。

■口語訳
これが、あの有名な、都から東国へ、下って行く人も、都へ帰って来る人も、ここで別れては、またここで逢い、知っている人も知らない人も、ふたたび逢えるという、その名のとおりの逢坂の関だよ。

■作られたワケ
逢坂の関で、別れていく人みていた蝉丸。「ここで別れた人たちはまた逢えるのかなあ。」そう思ってこの歌を作ったそうです。

■作者プロフィール
蝉丸(?~?)
平安時代初期の人ですが、生まれた年など詳しいことは不明。『今昔物語』によると、宇多天皇の皇子敦実親王に仕える官位の低い役人で、琵琶の名手だったとたいわれます。

【词汇注释】

【これやこの】
「これがあの噂に聞くあの」というほどの意味です。「や」は詠嘆の間投助詞です。この句は「逢坂の関」にかかります。

【行くも帰るも】
「行く」「帰る」とも連体形なので、「行く人」「帰る人」の意味です。さらにこの場合は、京都から出て行く人と帰ってくる人を意味しています。
 
【別れては】
「ては」は、動作などについての反復(繰り返し)を意味していますので、「別れてはまた逢うを繰り返す」という意味です。
 
【知るも知らぬも】
これも連体形で、知人も見知らぬ人も、という意味になります。
 
【逢坂の関】
逢坂の関は、現在の山城国(現在の京都府)と近江国(滋賀県)の境にあった関所で、この関の東側が東国だとされていました。実は関所は比較的昔になくなったのですが、歌枕としては有名でよく歌に詠まれています。「逢坂」は「逢ふ」の掛詞。

この歌は、恋愛や風景描写の多い百人一首の中で、かなり特殊な歌といえます。知っている人も知らない人も、出て行く人も帰ってくる人も、別れてはまた逢い、逢ってはまた別れるという逢坂の関。
  
「行くも帰るも」「知るも知らぬも」「別れては…逢坂の」と対になる表現を3つも盛り込んだ戯歌(ざれうた)に近い歌なのですが、この逢坂の関はある意味人生のようで、深い趣のある歌だといえるでしょう。

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