園の梅

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な折りそと   折りてくれけり  園の梅 (太祇) 

春先になって、ある人の庭に梅の花の咲いているのを見て、あそこにいい梅の花が咲いている、あの枝が一本欲しいものだと思うて、それをその家の人に断りもしないで折ろうとしていると、意外にもそこにその家の主人がいて、その梅を折ってはいけない、とりながらも、そんなに欲しいのならば上げようといって、かえってその主人が手ずから梅の枝を折ってその人に呉れたというのである。

早春时节,一户人家的庭院里梅花烂漫,有人眼见此处梅开正盛,便欲据为己有,不经主人许可正欲摘取时,不料这家主人出现在那里,“不要折这只梅,若实在想要,由我折来给你吧”,说着亲手摘下梅枝,送给了这个人。

注:“ な~そ”是表示禁止的用法,中间用动词连用形,如“ な折りそ“, カ变与 サ变动词使用未然形,如” な来(こ)そ な為(せ)そ”。

園の梅

同じ物を盗むのでありながらも、いわゆる風流泥坊で、その盗む物が花卉の中でもことに清高な姿をして芳香を持った梅の花である事が、一種の面白味を持っている。またその梅を折る人も物を盗むは悪い事と知りながらそれを金に代えようというわけでもなく、多寡が梅の花一枝位だから折ってやれと、ひそかに折り取ろうとしていると、思い懸けなくもそこに主人の声がして梅の花を折ってはいかんととがめられたので、びっくりして手を止めたのであるが、そこの主人もまた、それをとがめたばかりで無下に追い払うのも、それを折る人の心持ちを十分に解釈することの出来ぬものとして、どこかに自分自身不満足を感ずるので、そんなに黙って折るのはいけないが、欲しいのなら上げようと言って、かえって手ずからその枝を無造作に折ってその男にやったのである。かくしてその盗もうとした人も、それをとがめた人も、梅花そのものを通じて互にその心持ちを領解し合うところに、この小葛藤の大団円はあるのである。

虽然是盗取行为,但这位却是风流雅士,所盗之物是在花丛中傲然绽放、芳香馥郁的梅花,多少给人特别的趣味。折梅人虽知不宜盗取他人之物,可也没有以此换钱牟利的打算,只不过是一枝梅花罢了,折下也没什么,就在悄悄下手时,不料却听到主人一声呵斥,“不可折梅”,一惊之下停住了动作。而主人呢,觉得一味责备与无情拒绝是没有对折梅人心情给予充分理解,少许不近人情,于是对他说,你就别偷偷折走了,若想要我给你吧,反而亲手折下梅花,大方地给了这名男子。这样一来,盗梅的人与呵斥的人都通过梅花理解了彼此的心意,小小的冲突最后转变为一个大团圆。

夏野

行き々て  こゝに行き行く  夏野かな (芜村)

これは夏野の大景を言ったもので、何処まで行って行ってまた行って行って、現在もまだ歩きつつあるのであるが、やはり夏野を越しきらないというのである。「ゆきゆきてここにゆきゆく」というような畳句が一層その果てしなき夏野の力を強めているのである。

这句俳句描写夏日郊野的景象。且行且走,不知到了何方,一直走到现在,茫茫夏野依旧不见尽头。“ゆきゆきてここにゆきゆく(行行复行行)”,句中所用四个叠字更突显了无边无际的夏野。

秋の風

塚も動け  わが泣く声は  秋の風 (芭蕉)

一笑という俳人の墓を弔った時の句で、わが哀哭の声は秋風の吹くが如く強く切なるものがある。そのために塚も動けよかし、というのである。すこしおおげさ過ぎるきらいはあるけれども、調子の強いところが慟哭の情を現わすのに適しておる。ことに女々しくめそめそしたところがないために読んで痛快である。やはり好句たるを失わぬのであろう。

这是在俳人一笑墓前凭吊的俳句。我悲从中来,哀声切切,就像瑟瑟秋风。因我的哭声,连坟冢都为之震动。虽然略显夸张,但这种强烈的语调却正适于表现恸哭之情。由于没有女人抽泣的娇弱之感,读起来也分外豪放大气。不失为一句佳句。

雪の原

ながながと  川一筋や 雪の原 (凡兆)

この句の如きは画のような句である。一面に雪が降り積もっておるので、何処もかも真っ白いが、その中に一筋長く連なって黒いものがあるのは川であるというのである。一面に白い胡粉で塗りつめたような中に、一筋の黒い川の遠く流れている光景が実にはっきりとよく描かれてある。

一首很具画面感的俳句。大雪纷扬,越积越厚,到处是白茫茫的一片,冰天雪地中可见一根细长的黑带,原来那是一条小河。该句十分清晰地描绘出这样一幅景象:在如同被涂抹上白色粉末的雪地里,一条黑色的小河向远方延伸着。

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