优秀奖

「わたしと日本」

徐晓瀛(上海海事大学法学院)

気が付いたら私はクラスの「日本通」だった。

そして、私は疑問に思った、「私は何時から日本を意識し始めたのだろう。」

小学生の頃、テレビでは国産の抗日アニメとドラマが毎日放送されていた。子供は大人の鏡。私の周りの子供達は、日本と日本人の事を理由もなく嫌って、からかい、時には馬鹿にしていた。大人はその様子を見てただ微笑む、私はそれが子供達の行動を賛同しているようにしか見えなかった。

中国、日本、アメリカ、幼い私がテレビや大人の会話で聞こえる国はこの三つだけ。強いアメリカ、スゴイ中国、そして憎らしい日本。

「何故大人は日本がそんなに嫌いなんだろう。」

多分その頃からかな、私は日本に好奇心を持ち始めた。旅行に行ってもいない、日本人の一人や二人も知らない。ただ印象で日本全体にレッテルを貼る行為に少し不公平な感じをした。私は歴史を否定するのではない、むしろ歴史は大切な物だと思っている。ただ大人が日本に対する先入観で子供たちの感情を過剰に誘導するのはどうかと思った。正しい歴史教育は必要だが、憎しみを煽るのはやり過ぎだと思う。

中学生になるとテレビで抗日アニメやドラマをあまり見なくなった。周りの友達やインターネットでは誇張な抗日物を嘲笑って、馬鹿にしていた。数年前抗日の雰囲気が夢のように一瞬で消えていった。

当時若者の中では日本の亜文化が物凄いスピードで流行った、その中でコスプレ、お宅アニメとゲームは特に人気があった。そして、この社会現象は『人民日報』と『環球時報』(中国の主流の日報)は見逃していなく、何度も全面報道していた。私からすると、あれは普通の報道ではなく、警告に見えた。

私はその時受験勉強のため色んな雑誌を読んでいた。『読者』、『青年文摘』、『意林』、この三冊は先生が進めてくれた主流の雑誌だ。

主流の雑誌には日本関連の文章も載っている。「日本の町はキレイだ」、「日本人は礼儀正しい」、「日本人は全体主義で団結力がある」、「日本人の民度は世界一」、私の記憶が間違っていないならば、当時日本に関しての文章は全て日本を褒め称えていた。

そして、中国、日本、アメリカ以外韓国、カナダ、イギリス、その頃から色んな国が耳に入り始めた。

「日本は遠い不思議な国。」

皆の言葉に存在する日本は完璧で、そこで生活している人々はまるで苦痛や悲しみを知らない。私は日本がショッピングモールに売っている高級なお菓子にしか見えなかった。今思うと、高い、遠い、神秘で天国のような「日本」は中国人の想像にだけ存在する架空の国。

私は益々日本の事を知りたくなった。

受験を終え、高校生になった頃、誇張な抗日物は私が見るテレビから既に消えていた。

韓国のアイドル、アメリカのスター、勿論日本の声優や役者さん、それから中国の漢文化。高校生の皆の視野は中学時代より広く、そして物事を冷静に見るようになったのである。成人を迎えた私達は初めて中国人である事にプライドを持ち始めた。

私は日本の事を知るため、NHKのドキュメンタリーや日本のニュースを見始めた。痴漢問題、ニート、草食男子、過労死、少子化、格差社会、私は『読者』に載っていない日本が見えた。

そう、日本は完璧な国ではなかった。敬語が使えない若者、東京のホームレスが集まる地区、働けるのに働かないニート、日本は色んな問題を抱えていることに気づいた。アメリカ、韓国、中国と一緒のようである。日本は中国の普通のお隣さん。

私は初めて日本に手が届いたように感じた。

さらに、大学に入ってから、自分を客観的に見つめることができ色んな疑問の答えが見つかった。

私達日本を使って逃げていた、自分では立ち向かえない劣等感から。発展途上国の私達から見る世界は輝いて、まだ輝きが足りない自分たちをうけいれられなかった。隣国の日本に感情をぶつけることで自分を楽にした。

小学校の頃、自信のない私は優越感に浸りたいがため、隣国日本を嘲笑い、ナショナリズムの感情に逃げ込んでいた。

中学校の頃、自信のない私は自分の事を嘲笑い、現実から目を逸らし、過剰な熱意を隣国に捧げた。

高校になった私達は初めて自分を受け入れる。どの国にもいい人もいるし、悪い人もいる。中国は発展途上国だが誇れるところも沢山ある、日本はごく普通な国、極端な感情は非合理的。

そして、私は思う、「いまでしょ!」と。

両国の信頼と友情は優越感や劣等感から生まれない、平等の立場しか真の友情を生み出せない。国民もそうだ。

優秀で普通な国日本とは、私の友達であり、先生であり、青春であり、好奇心のシンボルだと思う。

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