燕市で作っている洋食器がノーベル賞授賞式の晩餐会で使われていることを知っている人がこの日本にどれだけいるだろう? 毎日使う包丁がどこで作られているか気にしたことがある人はどのくらいいるのだろう?

有多少人知道,诺贝尔奖颁奖典礼晚宴上使用的西餐餐具是在燕市生产的?又有多少人在意过,每天使用的菜刀是在什么地方制造的呢?

新潟県のほぼ中心に位置する燕三条地域。両市とも和釘をルーツとした金属加工の産地だ。製造業者数は、中小や零細を合わせて製造業者数は3000を超える。

燕三条地区坐落在新潟县近中心位置,两市均是以制造和钉开始兴起的金属加工地。包括中小企业及个体户,制造业者人数超过3000人。

燕三条地域のものづくりを支えるのは職人たちだ。彼らの誇るべき伝統と技術、課題とは?熱気に満ちた工場を訪ねた。

支撑燕三条地区制造业的工匠们。他们骄傲的传统、技术及课题是什么?笔者造访了热气升腾的工厂。

「仕事が忙しいのに職人さんは絶滅危惧種なんですよ」

“工作虽然很忙,但工匠已经是濒危物种了。”

そう語ってくれた日野浦刃物工房四代目・睦さん。

日野浦刃物工房第四代主人睦先生这样对笔者感慨道。

日野浦刃物工房さんの工場の中に入ると昼間でも少し薄暗いが、窓から入ってくる光がとても印象的な影を作っていてその陰影にとても心を惹きつけられるものがあった。 窓を開け扇風機が何台も回っているのに蒸し暑く感じたが、火入れをすれば暑さはこんなもんじゃないらしい。

步入日野浦刃物工房的厂房,即便白天室内也略显昏暗,从窗子透进来的光使得影子格外令人印象深刻,里面蕴藏着什么让人心驰神往的东西。窗户开着,数台风扇转个不停也无法驱散这闷热感,不过据说若开炉的话,可就不止这个温度了。

工場の中には刃物を作るための機械が整然と並んでいた。 その何台かは鍛冶屋さんが廃業するときに譲っていただいたものだそうだ。 後継者が出て来ず、職人さんが亡くなられたり、いろんな事情で続けられなく廃業に追い込まれてしまった鍛冶屋さんからその職人さんの意思を継いだという想いで機械を譲り受け、大切に使っているという。

工厂中整齐排列着制作刀具的机械,据说其中几台是鍛冶场在停业时转让的。因没有继承人,加上工匠去世等多种缘故,锻冶场不得已走向停业,而希望能继承工匠意志的日野浦刃物工房接收了这批机械,如今正悉心使用着。

「実用性重視の味方屋、工芸の司ブランド。その両方があるからいいんですよ」

“重视实用性的味方屋,工艺考究的司。有这两个品牌在就行了”

親子で刃物職人をしている日野浦刃物工房は明治 38 年創業。 創業から自由鍛造を用い、特殊刃物や型変わりの鉈、和製ナイフなど要望に合わせて、オーダー メイドにも応えられる味方屋ブランドを担う四代目の睦さん。「こういうのを作ってくれと言われれば、それに合わせて作ることができるのが魅力」だと語る。

日野浦刃物工房创立于明治38年,父子均为刀具工匠。名下品牌之一味方屋从创业开始就从事自由锻造,针对特殊刀具、形状特殊的柴刀、日产小刀等订单,也可承担订购加工,第四代负责人是睦先生,他这样向笔者阐述:“我们的吸引力就在于只要客户提出‘麻烦生产这样的产品’,我们就能按客户要求做出来。”

量産ももちろん大事だが、しかしそれだけではいずれ行き詰まることを予感していた三代目の司さん。創業からの技術を継承し、さらに工芸の域へと高みを目指し司さんが立ち上げた司ブランド。 味方屋の技術を基本にワンランク上の鋼を使用し、司さんが一貫して一人で創り上げている。

虽然量产的重要性不容分说,但如此下去总有一天会走到尽头,第三代负责人司先生预感到这一点,继承自创业以来的技术,再向工艺领域上更进一步,建立了司这一品牌。以味方屋的技术为基础,使用更高一级的钢材,在司先生一己之力的坚持下,这个品牌成立了。

この二つのブランドは一見して大きく方向性が違うように感じられる。 しかし、それこそが親と子の絆のように私は感じられた。

乍一看,这两个品牌的方向性有很大不同。然而笔者觉得,这正是维系父子两代间纽带的象征。

「生まれた時から当たり前のように親が作るのを見ていた」

“打出生时起看父辈制作物件,觉得这是理所当然的事”

一方で、技術が継承ができず廃業に向かっている工場もある。 「親のやっているのを見て鎌作りを覚えた。親を超えるのはまだだな」と語ってくれたのは 69 歳の職人さん。

另一方面,也有工厂因为无人继承而停业。一位69岁的老工匠这么对笔者讲述:“我就是看父亲学会了打镰刀。现在还没能赶上父亲呢。”

親から受け継いだ鎌作りを手作りにこだわり、お一人で火入れを行なっていた。 真っ赤になった鉄に接合材をつけ鋼を鎌の形に丹念に伸ばす。 工場の中は火のそばにいると汗が流れ、鍛造の時には話し声も聞こえにくくなるほどの音を立てていた。

老工匠对从父辈那里继承下来的手工镰刀锻造相当讲究,一个人开了炉。给烧红的铁块加上接合材,专心敲打至镰刀形。在工厂里,站在炉火旁汗水就停不下来,锻造时一声声敲击音响彻不绝,说话都难以听清。

生産量の多い大手に材料が優先的に流れていき、自分の工場のように少量しか扱わないところの材料が後回しにされるのが一番困るという。 最近では電動草刈機や除草剤の普及で鎌の受注減っている。そこで何かできないかと思い自分ができる技術を使って何年か前から包丁も作っているという。

最让人烦恼的是,原材料优先供应给产量大的企业,像自己这样只能订购少量材料的工厂送货常常延后。而且最近由于电动除草机及除草剂的普及,镰刀的订货量正在减少。想着这种情况下自己能做些什么,于是数年前开始利用自己已掌握的技术锻起了菜刀。

そのように自らの技術を応用しながらものを作っていても今の人たちはナイフや包丁の方に興味があるから鎌を作りたがる人がいないという。「鎌や包丁を興味がある人がいれば弟子をとって継いで欲しいですか?」とお聞きしたら「いないな」 と一言。

即便活用自己的技术制作刀具,如今人们都对小刀或菜刀更感兴趣,没人想打镰刀了。当笔者询问“如果遇到对镰刀或菜刀感兴趣的人,会想个收徒弟把技术传下去吗?”,老工匠回答了一句:“没遇到过呢。”

なんだか寂しかった。

总觉得有些黯然。

親の背中を見てなったという職人。 正解のない仕事だから幾度となく失敗し、それを改善していくの繰り返しでここまで鍛えてきた技術。いろんな工夫をしながら仕事をしてきたと笑いながらお話をしてくださっているのを聞きながらどうしてこれが継承できないのかともどかしさせえ感じるほどだった。

工匠在注视着父辈背影的过程中走上了制造业这条路。这份工作没有正确答案,连技术也是在无数次失败与改善的循环中磨炼出来的。‘至今为止就是一边做一边下功夫琢磨过来的’,老工匠笑着对笔者这么说,在采访过程中,笔者甚至感到了几分焦急:为什么这技术无法继承下去呢?

なぜ後継者がいないと言われるのか。 こんなにも技術のもった工場が廃業に追いやられるのは時代の流れなのか。どうしても解決できない問題なのか。

为什么老工匠会说没有继承人?拥有如此精湛技术的工厂被迫至停业,这难道是时代的趋势吗?这是无论如何都无法解决的问题吗?

受注があるのに廃業? 燕三条地域のものづくりの課題

有订单却面临停业?燕三条地区制造业的课题

親の代から続いていても工場の仕事をしたくない。 労働条件が悪そう、仕事が辛そうなどのイメージ。 会社の規模に関わらずネーミングバリューのある工場に向く......。後継者不足は要因が多様で一言にくくるにはあまりにも難しい。

就算是打父辈承袭下来厂子也不想接手;制造业总伴随着劳动条件恶劣,工作辛苦的印象;不论公司规模,人们总向往名气大的工厂......继承者不足的原因非常多,一句话实在难以概括。

燕三条は大小の規模に関わらず、どの工場も技術は高い

不论规模大小,燕三条地区所有工厂的技术都相当高

本当は誰かに継いで欲しいが諦めている工場にどのように人を呼ぶか。 技術をどのように受け継ぐか。 職人になりたい想いを持った人たちがどのくらいいるのか。そもそも燕三条が金属加工の産地だと、どれくらいの人が認識しているのかーー。頭の中に、燕三条地域のものづくりの課題が次々と浮かんできた。

面对想要寻到继承人却已放弃希望的工厂,该如何唤起人们的注意呢?该怎样将技术传承下去呢?希望成为工匠的人又有多少呢?话说回来,又有多少人知道燕三条地区是金属加工地呢。与燕三条地区制造业相关的课题一个接一个浮现在笔者的脑海中。

2018 年秋の開催で6回目を数える工場の祭典

2018年秋季第6次工厂祭典举办

燕三条地域で開催される「工場の祭典」は、工場を開き、一般の人に生産工程を見学や 体験もできるイベントだ。2018 年で6回を数える。今年は10 月4日から7日まで開催される。年々来場者数は増加しており、海外のバイヤーなど訪れるという。

燕三条地区举办的“工厂祭典”是一个开放工厂,让普通人也能观摩生产过程并亲身体验的活动。2018年的祭典是第6次。今年活动将于10月4日至7日举行,每年来场者人数都在增加,也有海外买家前来造访。

普段は門戶を開くことのない工場はほとんどだが、金属を打つ音や研磨する音、金属や油の匂い、 火入れするときの熱さ、職人さんたちの作ったものを手に取り見ることのできる。ものづくりを間近に見られる機会は地元・燕三条に住んでいる人でもなかなかない機会になっている。

平时门户紧闭的工厂基本都敞开了大门,能够亲身感受金属的打击声、研磨声、金属及机油的味道、开炉时的热量,也可以亲手拿起工匠们的造物并鉴赏。如此近距离观看制造的机会,对燕三条地区的居民来说也相当罕见。

燕三条には全国、世界に誇れる技術がここにはある。そこに至るまでには歴史もある。 小さな工町場から大量生産に対応できる工場まで、燕三条地域には多くの工場が存在する。その一つ一つにストーリーがあり、それを職人さんから聞ける機会はとても貴重だ。

燕三条地区有值得向日本全国、甚至全世界夸耀的技术。这里遍地都是历史。燕三条地区分布着大量的工厂,从小作坊到能承接大量订单的大厂,每家都有自己的故事,能亲耳听到匠人们讲述的机会更是宝贵。

これを機会に燕三条に訪れ、工場の仕事に興味を持ち、職人になりたいと思って燕三条に来てくれる人がいればこんなに嬉しいことはない。

若有人以这个契机造访燕三条地区,对工厂作业感兴趣,想成为工匠的话,那将会是件多么让人欣喜的事啊。

ものづくりの産地として、少しでも伝統や技術が絶えぬよう、燕三条の工場をまず見にきてもらうこと。

作为制造业产地,为了尽可能让传统与技术延续下去,首先要做的是让人们前来参观工厂。

イベントとして終わるのではなく、永続的に続くであろう後継者不足という課題を少しでも一石を投じることが「工場の祭典」で工場を開く意義になると私は考える。

“工厂祭典”并不仅是个活动,在这一期间开放工厂,为也许永远都得不到解决的继承人不足这一难题掀起一点波澜,就是活动的意义所在吧。

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