人として生きている以上、人間関係の軋轢を避けることはできない。かといって大人である以上、敵対する相手に罵声を浴びせるわけにもいかない。というわけで、いくらかの人たちは「悪口」を言うことでガス抜きをすることになるのかもしれない。

生而为人,交际时总免不了摩擦。话虽如此,大家都是成年人,总不能当面揪着对方大骂一通。因此或多或少会有些人通过 “说他人坏话”的方式排解愤懑。

文豪と呼ばれる人たちもそれなりに悪口を言っていた

就算是文豪也会说别人坏话

言うべきではないとわかってはいても、喧嘩になったときや気分を害したときなどには、つい悪口が出てしまったりするわけだ。つまり残念ながら、人間には多少なりとも悪口を好む傾向があるということなのだろう。そして『文豪たちの悪口本』(彩図社文芸部 編、彩図社)を見る限り、それは文豪と呼ばれる人たちにもいえるようだ。

哪怕大家都知道有些话不该说,可一旦争吵或怒气上头时不小心没控制住恶语就脱口而出了。也就是说,尽管很遗憾,但人类多少都有说他人坏话的爱好。尽观《文豪们的恶语》(彩图社文艺部 编、彩图社)一书,就会发现在这方面文豪也与普通人没什么区别。

言葉のプロとしてのスキルを生かし、相手を鋭く刺すような悪口を言う文豪もいれば、作家らしい繊細さが表れた、感情的な悪口を言う文豪もいる。例えばそのいい例が、『文藝春秋』を刊行する菊池寛と、新進作家との対立だ。

有些文豪活用专业文字工作者的技能,将尖锐的话语化为刀刃刺向对手;也有些文豪通过作家特有的细腻笔触,在恶语中融入丰富情感。比如创办《文艺春秋》的菊地宽先生与新生代作家之间的对立就是个好例子。

また永井荷風のように、40年にわたり日記で嫌いな相手の悪口を書き続けた作家もいる。好き嫌いの激しかった荷風は、とくに菊池寛を嫌って日記『断腸亭日乗』でその気持ちをつづっているのだ。

此外,也有像永井荷风那样四十年如一日在日记里写厌恶之人坏话的作家。憎恶分明的荷风尤其讨厌菊地宽,在日记《断肠亭日乘》中留下了大量表达上述心情的文字

川端康成を「刺す」とぶち上げた太宰治

扬言要“刺杀”川端康成的太宰治

言うまでもなく、芥川賞は日本で最も有名な文学賞。対象は純文学の新人作家であり、安部公房、中上健次、村上龍など、多くの優秀な作家に贈られてきたことで知られている。しかし当然ながら、今日では高く評価されているにもかかわらず、受賞に至らなかった作家も少なくない。その1人として本書の冒頭で紹介されているのが、太宰治だ。

世人皆知芥川奖是日本最有名的文学奖,评选对象是纯文学界的新人作家,因出过众多优秀作家,如安部公房、中上健次、村上龙等人而闻名。反之未能难下芥川奖但如今有着极高评价的作家也不少。其中之一便是本书开头介绍的太宰治。

太宰の短編「逆行」は、第1回芥川賞の候補作として選ばれていた。ところが選考委員の1人だった川端康成は、「私見によれば、作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾(うら)みあった」として別の作品を推薦したのだった。

太宰的短篇小说《逆行》曾一度入围第1届芥川奖候补。然而审查委员之一的川端康成却以“从我个人角度来看,作者当前的生活一片乌烟瘴气,很遗憾他无法发挥出应有的才能”为由推荐了其他作品。

ちなみにこれは、太宰がパビナールという鎮痛剤の中毒になっており、薬を手に入れるために借金を重ねていたことを指した発言だったという。

顺便一提,据说川端康成这句话是指太宰当时羟考酮类止痛剂成瘾,为了买药四处借钱一事。

だが太宰としては、借金返済のためにどうしても芥川賞の賞金500円が必要だった。にもかかわらず受賞できず、それどころか私生活まで非難されたと感じたため、川端に対する抗議文を書き上げ、『文藝通信』に投稿。文壇の大家である川端に「刺す」とまで言い放ち、話題になったのだった。

然而对太宰来说,为了还钱,芥川奖的500日元奖金至关重要,没想到未获奖不说,反而连私生活都被拎出来指责,于是太宰写了篇针对川端康成的抗议文并投给了《文艺通信》,甚至放言说要“刺杀”文坛大家川端康成,一时成为话题。

八月の末、文藝春秋を本屋の店頭で読んだところが、あなたの文章があった。「作者目下の生活に厭な雲ありて、云々。」事実、私は憤怒に燃えた。幾夜も寝苦しい思いをした。

八月下旬,我在书店阅读文艺春秋时看到了你的文章,其中这样写着“作者当前的生活一片乌烟瘴气等等”。说实话,我非常愤怒,甚至连日夜不成寐。

小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す。そうも思った。大悪党だと思った。(中略)

养只小鸟看它们蹦蹦跳跳就是那么崇高的生活了吗?我甚至想要刺杀你。你是个不折不扣的恶人。(中略)

ただ私は残念なのだ。川端康成の、さりげなさそうに装って、装い切れなかった嘘が、残念でならないのだ。こんな筈ではなかった。たしかに、こんな筈ではなかったのだ。あなたは、作家というものは「間抜け」の中で生きているものだということを、もっとはっきり意識してかからなければいけない。

我不过是觉得遗憾罢了。川端康成,你那假装若无其事却又无法伪装到底的谎言,实在是太让人遗憾了。不该是这样的,确实不应该是这样的。你必须更加清晰地认清一个事实,那就是作家就是生活在一群“蠢人”中。

川端は太宰の抗議文に対し、自身の意見を発表。その中で、太宰の文学性を否定しているわけではないことを伝えている。事実、のちに太宰が発表した「女生徒」という作品は高く評価していたそうだ。

川端康成针对太宰治的抗议文也发表了自己的意见,其中也表达了自己并非否认太宰的写作才能。事实上,据说之后太宰发表的《女生徒》这一作品获得了川端康成极高的评价。

なんだ。君は。こんな贅沢な室で、おまけにストーブまでついていて、そのうえ、親切な姉さんまでいて、それでも、いい小説が書けんのかねえ

你这算怎么回事。有这么豪华的房子,里面还有壁炉,更不能忍的是还有温柔的小姐姐陪伴,你这样还能写好小说吗?

友人・中村地平への言葉。「作家としては、地平は、苦労がなさすぎるのかもしれないね」と続けると、「あんたの小説は、その自意識の苦労が多すぎるのじゃないか」と反論された。

上文这句是太宰对友人中村地平说的话。“作为一个作家,地平经历的苦难是不是太少了点”,而中村地平反驳“是你小说里自以为是的苦难太多了吧。

蛞蝓(なめくじ)みたいにてらてらした奴で、とてもつきあえた代物ではない

那种像蛞蝓一样油光水滑的家伙,不是适合来往的人

中原中也をけなした言葉。太宰は中也を尊敬していたものの、よく絡まれるため一緒に飲むのを嫌がっていた。

这句是太宰治贬低中原中也的话。虽然太宰治很尊敬中原中也,但因常被对方纠缠而不愿与他一起喝酒。

初対面の相手にも喧嘩を売った中原中也

向初次见面的人挑衅的中原中也

「汚れつちまった悲しみに」「サーカス」など哀切ある詩が、今日でも多くの人々から支持されている中原中也。また、その規格外の言動が話題に上ることも少なくない。

《在染上污浊的悲伤中》、《马戏团》......直至今日,中原中也笔下那些充满哀愁的诗歌仍深受人们喜爱。除此之外,其超出常规的言行也时不时成为人们的话题。

中也は、常識の破壊を掲げる「ダダイズム」に傾倒していた。そんなこともあってか実生活においても常識の範疇に収まることはなく、友人にむちゃぶりをして困らせることは日常茶飯事。初対面の相手にけんか腰で絡むことも少なくなかった。例えば太宰治は、初対面で中也に絡まれて辟易している。中也に対する上記の悪口にも、そんな理由があるのだ。

中原中也醉心于以打破常识为主旨的“达达主义”。因此,他在日常生活也不甘于遵循常识,给友人出难题已是家常便饭,对初次见面的人采取对峙态度的情况也不在少数。例如太宰治第一次和中原中也见面时也被他纠缠束手无策。上文中对中原中也的恶言也是出于这个原因。

その一方、中也の型にはまらない自由な言動にひかれる者も多かった。事実、小林秀雄、檀一雄、大岡昇平など、あるいはその他多くの画家や音楽家、研究者との親交が中也にはあった。

不过,被中原中也不拘一格的自由言行吸引的人也很多。事实上,小林秀雄、檀一雄、大冈升平等作家,以及众多画家、音乐家也与中原中也交往甚密。

何だ、おめえは。青鯖(あおさば)が空に浮かんだような顔をしやがって。

你什么意思啊,摆着一副看到青鲭在天上飞的脸。

初対面の太宰治に対し、中也が放った言葉。尊敬していた中也に絡まれた太宰は萎縮し、ろくに話すことができなかった。

这是中原中也对初次见面的太宰治说的话。受到尊敬的中原中也的挑衅,太宰治当场怂了,连句话都说不出来。

全体、おめえは何の花が好きだい?

你到底喜欢什么花?

太宰「モ、モ、ノ、ハ、ナ」

太宰:桃...桃花。

チェッ、だからおめえは。

切,所以说你这个人没趣

上記の発言に続き、中也は太宰に好きな花を聞いた。太宰は泣き出しそうになりながら、こう答えた。

在上述暴言之后,中原中也问太宰治喜欢什么花,太宰治一脸快要哭出来的表情如此作答。

やいヘゲモニー

你这个弄权者

ヘゲモニーは「権力者」の意。坂口安吾に対し、この言葉を投げかけて殴りかかった。安吾によれば、中也の好きな娘が安吾を好いていたため嫉妬したのだとか。ただし大柄な安吾を恐れてか、中也は1メートル以内には近づいてこなかった。

Hegemonie一词即“弄权者”之意。中原中也恶狠狠地向坂口安吾甩出这句话,差点就没扑上去。据坂口安吾透露,中原中也是因为心仪的女孩喜欢自己心生嫉妒罢了。只不过中原中也畏惧大个子的坂口安吾,绝不走进他半径1米之内。

感情をむき出しにしているからこその憎めなさ

正因为感情表述太直接反而让人又爱又恨

ほかにも志賀直哉、夏目漱石、菊池寛、永井荷風ら、そうそうたる面々の悪口が本書には掲載されている。女性をめぐって絶交した谷崎潤一郎と佐藤春夫の書簡なども、なかなかに読み応えがある。

除此之外,这本书还节选了志贺直哉、夏目漱石、菊池宽、永井荷风等文豪们的恶语。同时,猎艳不断分手不止的谷崎润一郎及佐藤春夫的书简等也相当值得一读。

いうまでもなく彼らはその悪口に、相手に対する批判的な、あるいはネガティブな思いを込めていたわけである。しかし傍観者としてそれらを読んでみると、ついほほ笑んでしまうような、不思議な親しみやすさを感じる。別の表現を用いるなら、憎めないのだ。

文豪们在恶语中暗藏了对对方的批判或负面情绪自不用说,但是从旁观者的角度来看,却有着让人想要发笑的不可思议的亲近感。换个表达方式就是还挺可爱。

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