大仁田はるのさん·通称はるのちゃんは、熊本県天草市の文化と魅力を世界に発信するインターネット放送局·天草テレビで活躍する、世界最高齢女子アナウンサー。熊本県は天草の、藍色の海を見渡せるのどかな街で暮らしています。

大仁田はるの,人称はるの酱,目前在向世人传播熊本县天草市的文化与魅力的网络电视台·天草电视台,是全世界最年长的女主播。はるの奶奶就在熊本县天草市这个能眺望蔚蓝大海的闲适宜居之处生活着。

天草生まれ、天草育ち。30歳で大恋愛の末結婚してからも、ずっとこの家で、主婦として、また3人の子どもの母として家事をこなしながら、農業の他、苓北(れいほく)町志岐(しき)の炭鉱で選炭の仕事を、また県立水産高(現·天草拓心高校)の実習船·熊本丸の魚網の修理をして働いてきました。

她生于天草、成长于天草。30岁经历轰轰烈烈的恋爱后结婚,一直作为主妇为家庭操劳,作为三个孩子的母亲料理家务的同时,不光是务农,还在苓北町志岐的采矿场从事选煤的工作,还为县立水产高中(现在的天草拓心高中)的实习船熊本丸号进行渔网修缮工作。

100歳でまさかのスカウト

100岁时意外被选中!

10年前に最愛の旦那さまを亡くしてからは、穏やかな余生を……??いえ、2017年、ちょうど100歳の時に思わぬ転機が訪れました。天草テレビの代表を務める金子寛昭さんに、その明るさと元気さを見込まれて、女子アナウンサーにスカウトされたのです。

自从十年前深爱的丈夫去世之后,就过着安稳的余生……?不,她在2017年恰逢百岁之际遭遇了意想不到的转机。天草电视台的法人金子宽昭先生在见识到她的开朗和朝气之后,选中她做起了女主播。

一緒に暮らしている息子さんには話したものの、他の家族には相談せず、その申し出を自分の意志で承諾しデビューを果たしました。

她只将这件事告诉了住在一起的儿子,并未与其他家人商量,最终自己决定接受作为主播出道。

新しいことを始めるのに遅いことはない!とばかりに、仕事依頼があれば、地元天草の魅力を伝えるためにマイク片手にどこへでも。

人生处处是起点,什么时候开始都不算晚!只要一有工作委托,无论是哪里,她都会单手持麦克风去传播故乡天草市的魅力。

昨年の夏は、世界遺産に登録された崎津集落にも足を運んで現地レポートもしています。

去年夏天,她还去被登记为世界遗产的崎津村做了现场报道。

とはいえ長い人生、もちろん全てが順風満帆だったわけではありません。「海の向こうの長崎に、原爆が落ちるのをこの目で見ましたよ。朝、庭の畑で大豆の世話をしている最中に、もくもくっとしたキノコ雲を……」とぽつり。

虽说如此,在她漫长的人生中,必然不全是顺风顺水的,她喃喃道:“我亲眼看着原子弹降落在海对面的长崎。那天早晨我正在庭院的田地里给大豆浇水施肥,就看到那滚滚的蘑菇云……”

幾多の悲しみや苦しみを胸に刻みながら、それらを乗り越えてきたからこそある、はるのさんの笑顔です。

正是因为克服了心中铭记着的种种悲伤与痛苦,才有了今天はるの奶奶的笑脸。

「いまも元気でいられるのは、若いときに"この手"をよく動かしてきたからやんね」。自分の手を見つめながら、しみじみとそう話してくれました。

她一边注视着自己的双手,一边感慨地说:“如今我这么健康,正是因为年轻的时候一直用'这双手'勤劳地工作啊!”

そう、いつも前向きに体を動かすことが元気の秘けつ。アナウンサーの仕事がない日にも部屋の中でじっと座ったまま過ごすことはありません。朝起きたら体操。天気がいい日は庭の畑で野菜作り。

没错,总是积极地活动身体是她保持健康的秘诀。即使当天没有主播的工作,はるの也不会呆坐在房间里。早晨一起床就开始做体操,天气好的话就在庭院的田地里种蔬菜。

地域で陶芸教室があると知れば、出かけて行って大皿作りにトライしたり、親戚の子どものためにわらじを編んだり……。千羽鶴も1枚ずつ折りました。やりたいことは心のままに。

得知所在地区有陶艺班,就去那里尝试着做了个大盘子,或是给亲戚家的孩子编草鞋……还会一只只地折千纸鹤。遵从内心做想做的事。

本翻译为沪江日语原创,未经授权禁止转载。

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