猫は、不憫だ。小判を渡されては価値がわからないとバカにされ、普通に座ってるのに姿勢が悪いと言われ、あげくの果てに、拾い物をこっそり持ち去る人を指し、猫の糞と書いてねこばばと読まれる。

猫咪真可怜。给它金币被当呆子叫对牛弹琴,单纯坐着的姿势也被说不好看,更甚者被用来形容悄悄拿走拾到东西的人,这个词写成猫の糞却读成ねこばば。

失礼極まりない、人間の猫評価。そんな中のひとつに、熱いものが苦手な人に対して使う「猫舌」って言葉がある。

人类对猫的评价真是无礼至极。这些说法当中,有个说法形容怕吃热东西的人叫“猫舌头”。

そもそも動物はみんな、熱い食べものが苦手とされる。火や電気を駆使し、熱いものを食べ慣れてる人間が特殊なだけで、動物はみんな熱いものを食べない。だから当然、熱い食べものに弱い。なのにどういうわけか、代表にされてる猫。昔から人間にとって身近だったからなんだろうけど、だったら犬だって同じように人間の近くにいた。そう考えると「犬舌」って言葉になってても、おかしくない。

通常认为动物原本就怕热的食物。只有人类比较特殊,会使用火和电来加热食物并且吃惯了,可动物都不吃热的食物。因此理所当然的,它们也怕热的食物。不知什么原因,猫成为了动物的代表。大概是因为猫咪一直以来都常伴人类身旁吧,不过要说的话,狗也一样是常伴人类身边的啊。这么想来出现“狗舌头”这种词也很正常嘛。

どうして、熱い食べ物を苦手とする代表が、猫になったんだろう。日本語研究をしている専門家の方に、話を伺った。「まずおっしゃるように、猫は人間と暮らしていたため、猫舌という言葉があるのだと思われます。そして、犬舌ではなく猫舌になったのは、猫が犬よりも人間の近くで暮らしていたということなのでしょう。ペットですから、猫が好むものをあげたい、人間の食事に近いもの(=温かいもの)を食べさせてあげたいという気持ちにもなるでしょうしね」

为什么猫咪成了怕热腾腾食物的代表呢?我就此咨询了日语研究专家。“首先跟您说的一样,由于猫咪一直与人类生活,才有了猫舌头这样一种说法。而为什么不是狗舌头而是猫舌头呢,这是由于猫咪在生活中跟人类更为接近吧。由于是宠物,所以想给猫咪它爱吃的东西,于是就把与人类饮食接近的东西(=热的东西)给猫咪吃的吧”

『日本国語大辞典第二版』(小学館)によると、猫舌という言葉は、少なくとも江戸時代の初期には存在していた。昔から、猫は上流階級のペットや、ネズミを捕まえる家畜として、家の中で飼われていたとされる。一方で犬は江戸時代、まだペットとしては多くなく、特に雑種は野良犬として家の外で暮らし、人は食べ物の残りをあげて面倒を見ることが多かったという。つまり人間は、犬よりも猫が食べる様子をより近くで見れたこと、また猫にはまだ冷めてない食べ物を与えていただろうことが想像できる。

根据《日本国语大辞典第二版》(小学馆),猫舌头这个词至少在江户时代初期已存在。据说从古时开始,猫咪就作为上层阶级的宠物,以及会捉老鼠的家畜而饲养在家里面。

另一方面,在江户时代,把狗当做宠物的还不多见,尤其是杂种就当野狗放养在外,人们把残渣剩饭给它们,这种情形较多。即是说,比起狗来,人们更能在近处观察猫咪进食的样子,并且能想象人们把还热着的食物给猫咪吃的情景。

「ちなみに“猫に小判”という言葉がありますが、実は昔から“犬に小判”という言葉もあるんです。ところが現在よく使われているのは、猫に小判ですよね。これって、極論を言えば偶然なんです。犬舌という言葉があったのかもしれませんが、しっくりくる猫舌という言葉がたまたま残り、使われているだけともいえるんですね。言葉って、そうして選ばれるものなんです」

“顺便说一下,虽然有‘猫に小判’(对牛弹琴)的说法,不过其实以前是说“犬に小判”的。可现在常用的只有猫に小判了。这个非要说的话那就是偶然了。说不定也曾有过狗舌头的说法,只不过人们用惯的猫舌头偶然残存了下来,现在只是作为俗语在使用吧。语言正是在这样的筛选中演变出来的。”

失礼な例えに登場する猫を、勝手に不憫だと思ってたけど、実は、身近で愛される存在だったからこそ、細かい行動までもが例えられてきたということなのかもしれません。

我一直自以为是的对失礼例句中的猫咪表示怜悯,可这实际上却是由于猫咪在人们近旁受到喜爱的缘故,所以它们的一些细微举动都被当成了举例的材料呢。

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