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言語不毛の地?大阪

不毛之地?大阪语言篇

東京都内で生まれ育った妻と、大阪府下で生まれ育った私が出会い、そして結婚しました。私はこれを The-east-meets-the-west marriageと呼んでいます。妻にとっては、関西という土地はどうしても文化不毛の地に見えるようです(まあ、仕方がないけどね)。

注:大阪府下——「下」の字があるのは、“府の管轄下にある”という意味です。

土生土长的大阪男邂逅了土生土长的东京妹,然后步入了婚姻殿堂,我称之为The-east-meets-the-west marriage(东西联姻)。在妻子眼里,关西这片土地似乎怎么看都是一片文化不毛之地(哎,没办法啊)。

言葉ひとつとっても、例えば、(東京弁で言う)「しょっぱい」も「からい」も関西弁では同じ「からい」になってしまうなんて信じられない、と言います。「しょっぱい」は敢えて言えば「塩辛い」、塩が多かったり醤油や味噌などが濃い場合を指します。「からい」は本来トウガラシやワサビなどのピリッとした辛さを表す言葉です。それを同じ「からい」で済ませてしまう神経が解らないと言います。

就说语言吧,用她的话来说,比如像(东京方言)“しょっぱい”还有“からい”在关西方言中居然都是“からい”,让人难以置信。“しょっぱい”硬要解释的话,应该是“塩辛い”,指盐放多了或者酱油味味噌味比较浓的情况。“からい”原本是用来形容因为辣椒或芥末引起的辛辣味道。而这俩在关西用“からい”一词就搞定了,让她甚是纠结。

でも、そういうことは色んな言語間で起こることなのです。例えば、英語では「暑い(熱い)」も「からい」(ピリ辛のほう)も hot で済ませてしまうんですから。「語彙の豊富さが文化程度の高さを表す」という仮説が正しいのか正しくないのかについては文化人類学者にでも任せるとして、大事なことは2~3の事例で判断してはいけないということです。例えば、日本語では「お湯」と1語で表せるものが、英語では hot water と2語を費やさなければなりません。なんと不便な言語なのでしょう。程度が低いと思いませんか?

其实,上述这种情况也会发生在其他语言之间。举个例子,英语中不管是“热”还是“辣”都是hot。有这样一种假设,“词汇量丰不丰富体现了文化程度的高低”,这话正确与否是文化人类学学者们要想的事儿,我想说的是,重要问题不能靠两三个例子就下定论。比如日语中“お湯”这一个词在英语中是hot water,必须要用掉两个单词。这种语言太不方便啦。你不觉得这种想法水准有点低了么?

でも、視点を変えれば、同じH2Oという液体なのに、日本語では温度によって名前が変わってしまうんです。hot water という英語の方が遥かに論理的だと思いませんか?(ちなみに、固体や気体に変化した場合は日本語でも英語でも別の単語を充てています)

而我们换个角度去看,同样是H2O这种液体,日语中对其的称呼会根据温度变化而变化,相比之下英语的hot water是不是有逻辑的多了呢?(顺便提下,当水变成了固体或者液体后,不管是日语还是英语都会用到别的单词)

話を元に戻しましょう。妻がよく理解できないと言うことがもうひとつあります。

回到原来的话题。妻子无法理解的事儿还有一个。

関西では単に「肉」と言えば通常牛肉のことを指します。だから、豚肉の入った饅頭のことは「肉饅」ではなく「ぶた饅」と言います。「肉じゃが」に使うのは普通は牛肉です。「肉でも食おうか」と言って豚肉料理を食べに行くことはありません。「なんでー?豚肉だって肉じゃない?」と妻は言います。

在关西地区,如果只说“肉”的话,一般是指牛肉。因此,猪肉馒头叫“ぶた饅”而不叫“肉饅”。“肉じゃが(土豆炖肉)”一般用的是牛肉。如果说“肉でも食おうか(要不要去吃肉啊)”,没人会去吃猪肉料理。妻子质疑:“为啥啊?猪肉不也是肉吗?”

でも、そんなこともまた、よくある現象なのです。

其实上面提到的情况生活中也很常见。

例えば、日本全国ほとんどどこへ行っても、単に「卵」と言えば通常「鶏卵」を指します。「卵料理」と銘打ってウズラの卵やタラコが出てきたら驚くでしょう?それとおんなじで、「肉」だと言って魚肉ソーセージが出てきたら「なんじゃそりゃ」と思うでしょう?「魚肉だって肉じゃない」とは言わないでしょう?単に「何をもって代表するか」というだけの問題なのです。そして、それは近隣に牛肉の産地が多いかどうかとか、食習慣が牛肉中心かどうかといった、純粋に文化的な側面に言葉が対応しているだけなのです。

比如,你去日本大部分地区,单说“卵(蛋)”的话,一般是指“鶏卵(鸡蛋)”。打着“卵料理”的名号端出来的却是鹌鹑蛋或者鱼子做的东西,会吃惊吧?同理,点了“肉”出来的却是鱼肉香肠,恐怕要纳闷“这玩意儿啥呀”。人家也不会说“鱼肉不也是肉”吧?这仅仅是“因为某些原因而成了同类中的代表”这么简单个事儿,纯粹是因为语言反映出文化的另一面,比如这附近牛肉生产地多不多、饮食习惯是不是以牛肉为主等等。

今回は、言葉を2つ3つ比較しただけで「関西は民度が低い」などと断定してはいけない、ということを書きました。しかし、これは「関西は文化程度が高いんだ」と言っている訳ではありません。何の論理的根拠もなく、「何と言うても関西がイッチャン(一番)や!」と脳天気に言っているオヤジが関西に多いのは、否定できない事実であるとは思います。

本次,我阐述了单靠两三句话的比较不能断定“关西地区文化水平低”这事,但也不是说“关西文化程度高”。不可否认的是,没有任何理论依据嚷着“不管怎样关西最棒”的老爷子确实很多。

日本文化差异大!这事儿第一次听说?

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