1980年代後半に生まれたある女性は、「姜小羊」というハンドルネームであるサイトに、「女性オタク族の日記」と自分の生活を掲載した。この日記では、「姜小羊」は仕事をする以外に、外出したり友達と付き合ったりすることはほとんどなく、インターネットでゲームや読書、買い物をして毎日を送っている。この日記には約1万人の人が訪れ、その中には「姜小羊」のライフスタイルを認める人もいれば、「オタク族」の社会適応能力の退化を心配する人もいた。

生于80年代后期的女性以“姜小羊”为网名在网络上发表了《宅女日记》反映自己的生活。该日记中,“姜小羊”在没有上班时,几乎完全不外出,也不跟朋友交往,每天上网去打游戏看书网购。约1万人访问了该日记,其中有人认同“姜小羊”的生活方式,也有人担心“御宅族”是社会适应能力的退化

◆「姜小羊」は「オタク族」?

◆“姜小羊”是“御宅族”?

「オタク」は日本から入ってきた言葉で、一般的にはある物やある分野に非常に熱中している人のことを指し、これらの人は極端な場合、社会から外れることもある。岡田斗司夫氏は著書「オタク学入門」で、「オタク族」は映像の世紀といわれる20世紀に生まれた新人類で、情報の海で映像に格別敏感な新生代だと指摘している。

“御宅”是日本传入的词,通常指对某种东西或某个领域非常热衷的人,这些人比较极端的会被社会排斥。冈田斗司夫所著的《御宅学入门》中指出,“御宅族”是诞生于所谓影像世纪的20世纪的新新人类,是对于信息海洋中的影像尤为敏感的新生代。

「姜小羊」のような生き方は「オタク族」と言えるのだろうか。日本文化に詳しい中山大学人類学学部の王建新教授は、「姜小羊」はただ家にこもっている怠け者で、独立した精神世界や物質世界があり、豊かな創造力を身につけている「オタク族」には属さないと考えている。

“姜小羊”那种生活方式能叫做“御宅族”吗?我就此询问了精通日本文化的中山大学人类学系的王建新教授,他认为“姜小羊”只是家里蹲的懒虫,并不属于具有独立的精神世界和物质世界,并且具有丰富创造力的“御宅族”。

◆独立した考え

◆独立的思考

王教授によると、「オタク族」は経済や消費文化が発達した欧米で最初に登場し、アジアでは日本に最初に現れ、日本の伝統的な考え方をする年配者たちは、今でも「オタク族」の考え方や行動に先入観を持っているが、1970年代後半からは日本の社会も理性的に「オタク族」を見つめ、理解を示すようになったという。今では彼らの考えや行動に気に入らない人たちも公に批判することはないそうだ。

王教授认为,“御宅族”最先产生于经济及消费文化发达的欧美,在亚洲则最先出现于日本,具有日本式传统思维的年长者至今仍对“御宅族”的想法与行动有着先入为主的观念,可是从70年代后期开始,日本社会也开始理性看待“御宅族”,展示了理解的姿态。据说现在就连看不惯他们想法和行动的人也不会公开批评。

中国の都市に現れた「オタク族」と、日本の「オタク族」にはどんな違いがあるのだろうか。王教授は、「広州では、『オタク族』がたくさんいる。独立した考えを持っていて見込みのある人たちだ。中国の消費文化はまだ発達しておらず、若者たちの文化への理解も限られている」と話す。

中国城市里出现的“御宅族”跟日本的“御宅族”又有怎样的不同呢?王教授说“广州有很多‘御宅族’。他们都有自己独到的见解,是有想法的人。中国消费文化尚不发达,对于年轻人文化的理解也有着局限”。

◆思想や行動は健全で進歩的

◆思想行动健全进步

「オタク族」の社会適応能力の退化についてはこういう意見だ。「本当の『オタク族』なら、トレンドをリードする能力もある。社会の成熟と消費文化の向上で中国でもプライベート空間が確立し、『オタク族』はますます多くなるに違いない。一部の反社会的言動以外は、彼らの思想や行動は健全で進歩的だ」

关于“御宅族”是社会适应能力的退化则表示了如下见解。“如果是真的‘御宅族,’应该有引领潮流的能力。随着社会的成熟与消费文化的发展,中国也会确立私人空间,‘御宅族’无疑会越来越多。除部分反社会言行外,他们的思想和行动是健全且进步的”。

「オタク族」の現象は一人っ子政策と関係があるのだろうか。「一部の『オタク族』は人付き合いがよくないという傾向があるが、彼らは強い社会関係を構築する能力があり、今までの方法とは違うだけだ。だから一人っ子政策とはまったく無関係で、経済や消費の発達と直接つながっている」

“御宅族”现象和独生子女政策是否有关呢?“尽管部分‘御宅族’有着不擅交际的倾向,不过他们有着很强的构建社会关系的能力,只是与历来的方式不同罢了。所以这和独生子女政策毫无关系,而跟经济和消费的发达有着直接关联”。

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