Q「足を洗う」「手を染める」という言い方は、どちらも「悪いこと」について言うことばなのでしょうか。

提问:「足を洗う」和「手を染める」这两种说法都是形容“不好的事情”的吗

A「足を洗う」は、「悪いことをやめる」という意味です。一方「手を染める」は、かつては「なにかをし始める」というニュートラルな使い方がされていたのですが、近年では「悪いことをし始める」というように限定的に使われる意識が強いようです。

回答:「足を洗う」意为改过从新,而「手を染める」后多接“开始做某事”使用,近年来该词多限定于强调“开始做不好的事情”。

<解説>

<解说>

まず「足を洗う」は、はだしで外を歩いたあと、建物の中に入るときに「足を洗う」ことから出てきたことばです。一説には、修行僧が汚れた足を洗い、俗世間の煩悩を洗い清めることに由来すると言われています。  一方「手を染める」のほうは、諸説ありますが、この「染める」は「初そめる」と同じ語源だという考えがあります。「はじめる」という意味で、現代でも「書き初め・お食い初め」などのことばに残っています。「手」はいろいろな慣用句に用いられる語で、「手を染める」の「手」には、体の一部としての「手」の意味はあまりないかもしれません。  次の例をご覧ください。ここでの「手を染める」は、「手がける」とほとんど同じ意味で使われています。

首先「足を洗う」是来自从光着脚在外面走路进入屋内时要清洗双脚的说法。也有一说指该词的由来是修行僧清洗双脚意为将尘缘斩断。「手を染める」则诸说纷纭,其中有将「染める」和「初そめる」作为相同语源来考虑的想法。表示“开始”这一含义的说法,在现代的「書き初め・お食い初め」等词汇中仍有残留。“很多惯用语都会使用“手”一字,而「手を染める」中的“手”或许和作为身体一部分的“手”表达含义不同。请看接下来的举例。这里的「手を染める」和「手がける」含义基本相同。

要するに普通世間に行き亘っている範囲では、読み本にも、浄瑠璃にも、芝居にも、ついぞ眼に触れたものはないのである。そんなことから、私は誰も手を染めないうちに、自分が是非共その材料をこなしてみたいと思っていた。  (『吉野葛』(谷崎潤一郎、1931年))

简而言之,如果要在这平凡世间流传下去的话,无论是书籍、净琉璃还是喜剧,都必须是用眼“看”的东西。因此,我要在他人还没动手前,自己亲自去尝试一番。 (《吉野葛》(谷崎润一郎、1931年))

「足を洗う」「手を染める」について、ウェブ上で調査をおこなってみました。「足を洗う」はもともと「悪いことをやめる」という意味ですが、本来の用法とは異なる使い方を認める意見も、少し見られます。  それに対して「手を染める」は、もともとはニュートラルな表現だったのに、現代では、悪いこと以外に用いるのはおかしいといったような意見が圧倒的多数になっています。  つまり「手を染める」は、「悪いこと」に限定する方向に用法が変化したようです。

就「足を洗う」和「手を染める」两个词在网上进行了相关调查。调查中部分人表示,「足を洗う」本意为“改过从新”,而它的褒义用法他们也都认同。与之相对的「手を染める」本身是一个中性词,而认为使用该词必须倾向于贬义色彩的人数也颇具压倒性。总的来说,「手を染める」的限定对象已经转变成了“不好的事物”。

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