娘が自慢(?)の黒髪をばっさりと切った。もうすぐ5歳になるのだが、これまでほとんど髪の毛を切ったことがなかったので、腰に届きそうなくらい長かった。それを思い切って切ったのは「Locks of Love」(ロックス・オブ・ラブ)といって、かつらが必要な病気の子どもたちや大人に提供するためのプログラムに参加するためだ。

  近所に住む仲のいいお姉ちゃんが、髪を寄付したのを見て、娘も「切りたい」といいだした。私もいつかは娘の髪を役立たせたいと思っていたので、ちょうどいいタイミングだった。

  この「Locks of Love」(ロックス・オブ・ラブ)という名前、“Lock”とは、「鍵をする」などのロックと同じつづりではあるが、「髪の束」という意味がある。条件に合わせて自分で髪をカットして、団体に送ることもできるし、美容院でもやってくれる。美容院で髪の毛をカットする場合、洗髪とカット代は無料になるところがほとんどだ。お金はチップを払うだけでいい(チップもいらないとはいわれるが)。

  娘にとって初めての美容院。シャンプー台で髪を洗ってもらったり、手を引かれながら店内を移動したり、大きな鏡の前でヘアーカットしてもらい、プリンセス気分を味わった。

  三つ編みにして10インチ(約25センチ)が必要なため、想像していたよりも長さが必要だった。切った後はかなり短めの「おかっぱ頭」になってしまった。娘ははじめ、鏡に映った自分を「ちょっとプリンセスじゃないみたい」とすねていたが、店員たちからも「こんなにかわいい女の子、見たことないわ」とか「素敵ねぇ」「かわいいわ」と賞賛され、「気に入ったわ」といって満足そうに店を出た。

  今、髪を切ってから2週間がたったが、会う人、会う人から髪型が変わったことをいわれ、髪を寄付したことを告げると例外なく「素晴らしいことをしたのね。偉いわ」と誉めてもらえる。娘はテレながらも、まんざらでない表情を見せている。

  実は、私の妹は白血病で10歳の短い命を終えている。20年以上前の話だ。放射能治療で彼女の自慢だったきれいな黒髪も抜けてしまっていた。おしゃれだった妹にとって、それはとてもつらいことだった。「おねえちゃん、きれいでしょ」といって髪をとかしていた元気な頃の妹の姿を今でも思い出す。あの時、かつらをもらっていたら、どんなに喜んだだろう。「Locks of Love」のホームページには、かつらを提供された子どもたちのうれしそうな笑顔が載っている。娘の髪が、ひとりの子どもの笑顔を作り出してくれると思うと、とてもうれしく思う。

  ○……今週の土曜日、日本語補習校で運動会があった。補習校では、いろいろな日本的行事を工夫しながら行っているが、この運動会は子どもたちが一番楽しみにしている行事だ。万国旗がはためく中、「玉入れ」や「二人三脚」などアメリカの学校ではなかなか体験できない競技をした。今年から加わった競技の中に「馬跳び」があったが、知らない子どもたち多く、2人が交互に馬跳びをしていくという日本では誰もが知っていることがわからなかったらしい。見ていたら子どもたちは助走を大きくとってやっと跳べていた。跳び箱をやったことがないという子どもが多いので、仕方がないことなのだろう。

  古川直子(ふるかわ・なおこ)さんのプロフィール

  元スポーツニッポン新聞記者。長男が3歳半で渡米。長女を米国で出産。子育て歴は日本より米国のほうが長くなった。甘すぎて食べられなかったケーキと、薄すぎると思ったダンキン・ドーナッツのコーヒーが好物になった。野球はレッドソックス、アメフトはペイトリオッツのファン。すっかりニューイングランドの人間になってきたとイギリスでは、子どもたちが4歳から学校に通うことが普通だ。義務教育は5歳からなのだが、1年生の下に「レセプション・クラス」という4歳児を対象にした学年があって、小学校への入学手続きはこの学年に入る時に行われる。

  4歳といえば、日本ではまだ幼稚園か保育園に通う年齢である。私は二男が「レセプション・クラス」に入った時、学校生活は遊びが中心なのではないかと思っていたが、そうではなくて、教室で読み書きや計算など本格的な学習が行われた。英語の本を毎日持ち帰って自宅でも読み方の練習をしなくてはならなかったので、息子がかわいそうに思えた。

  幼児を学習させることについては、幼児教育関係者の間では批判があるとはいえ、すでに制度として定着しているのが実態。イギリス人の親たちは、わが子が早くから読み書きを覚えることを喜び、支持しているように見える。

  私は最近、ウェールズ(注1)に仕事で行って、ウェールズが幼児をのびのびと遊ばせる体制に移行中であることを知った。ウェールズはこれまでイングランドと教育体制を共有していたので、4歳児からの「早期教育」も実施していた。しかし、「幼いうちから机に座らせて学習させることは逆効果」との結論に達し、方針転換したという。3歳から7歳までを「基礎段階期」として独立させ、戸外での活動を重視して幼児が遊びながら学び、社会性を身に付けていくような体制にする予定で、2008年度の実施を目指して現在、カリキュラムを作成中だ。フォーマルな学習の開始は子どもが7歳になるまで待つという。

  ウェールズ地方政府のロドゥリ・モーガン首相は「私たちがイングランドと違う教育政策を実施するのは、画期的なことです」と胸を張っていたが、私は両手を上げて賛成したい気持ちだった。4歳の子どもを学習させることが望ましいとはとても思えないからだ。思いっきり外で遊び、自分の周りの世界を発見することこそが、幼児には必要なのではないだろうか。

  ウェールズの決定がイングランドにも及び、幼児が学習の重圧から解放されることを、私はひそかに願っている。

  (注1)イギリス連合王国はイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドから成り、ウェールズはイングランドの中西部に位置する。スコットランドと北アイルランドは歴史的に独立性が高いが、ウェールズはイングランドの影響を最も強く受け、1999年に独立行政@構ができるまで、あらゆる行政制度をイングランドと共有してきた。

  阿部菜穂子さんのプロフィール

  1981年、国際基督教大学卒業後、毎日新聞社入社。同社京都支局、社会部、政治部、外信部など勤務後、95年、退社してフリーに。2001年8月から英国・ロンドンに在住し、「サンデー毎日」など日本の雑誌に英国事情を執筆。英国人の夫と、12歳、6歳の男の子の4人暮らし。2004年夏、イギリスの保育・教育事情をまとめた「異文化で子どもが育つとき」(草土文化)を出版した。
まもなく5歳になる長女と2歳半の二女がいる。長女が2歳を過ぎたころから保育施設に少しずつお世話になり、お弁当を持たせるようになって早3年になる。最近、子どもの幼稚園で他の子どもたちのお弁当を見る機会があった。

  オーストラリアでは保育園などで給食が振る舞われるところもあるが、お弁当を持参させるところのほうが多い。

  長女が保育園に行きはじめた当初は離乳食の完了期にあった。家では具だくさんの味噌汁などを利用して子どもに野菜や肉、魚を食べやすいようにほぐし与えていた。しかし、お味噌汁を持参させ、保母さんに「これを適温に暖めて、ご飯と一緒にうまくあげてください」と頼むわけにもいかず、オーストラリア生活の子育てにまだ不慣れだった私は、サンドイッチやおにぎりなどを悩みながら持たせたものだった。

  最近は子どもも大きくなってきたので、離乳食の悩みはなくなった。そして、子どもが拒否しない限り、自分流のお弁当を持たせる決心もついた。そんな中、長女が通う幼稚園でデイリーロースター(幼稚園1クラスの中からひとりの親が出席し、終日、園児と過ごごしながら先生を手伝い、楽しい?1日を過ごすもの)を経験した。毎日、クラスの中の誰かしらのお母さん(お父さん)が来ているので、子どもたちも慣れたもので、自分の親が来ている子どもは大変興奮して、うれしそうだ。そのときに、私が興味のあったお弁当の時間も子どもたちと一緒に食べることができた。

  さて、その中身はというと、ほとんどの子どもはサンドイッチをメーンにしている。サンドイッチにはさまれているものは、ハム、チーズ、ベジマイト(オーストラリアで有名な製品。野菜を原料にして発酵したペースト)、ジャムなどだ。明らかな形で野菜がはさまれているものは見かけなかった。メーンのほかには、果物やマフィン、ヨーグルト、などの甘いものが人気のようだった。しかし私を驚かせたのはランチボックスの中にサンドイッチのほか、ボップコーン、コーンフレークなどの小袋が2、3入っていたお弁当だった。

  そのお弁当箱を開けた子どもはサンドイッチをひと口かじり、ゴミ箱に入れ、お菓子の袋をすべて開け、どの袋も中途半端に終わらせて捨てていた。まあこれは極端な例にしても、バランスのいいお弁当を食べている子どもは少ないように思えた。

  あるオーストラリアのリサーチで、小学生の5人に1人、高校生の4人に1人が朝ごはん抜きで学校にやってくるという。体や脳が成長する大事な時期に朝食を抜いたうえ、昼ごはんもスナックのような食べ物を食べていたら学校生活に支障をきたすだろうと、他人の子ながら心配になった。

  小学校以上の学校にはタックショップと呼ばれる売店がある。学校によって違いはあるが、そこで販売されるものはジュースや、サンドイッチなどのほか、アメやスナック菓子、ピザなどがあるようだ。スナック菓子やジュースで血糖値をすぐに上げれば、一時的に満足は得られるけれど、すぐに空腹になってしまう。そして、また同じような食事をしてしまい、太っているのに栄養失調の子どもが出来上がってしまうだろう。今、オーストラリアでは肥満と糖尿病が国民の健康をおびやかしている。学校の食堂でも朝食を販売したり、栄養価のいい食品を置くような動きが出てきている。

  オーストラリアにはおいしいフルーツがたくさんあるし、主食であるパン類の種類も豊富だ。これを利用して、お弁当を用意してあげたいものだ。

  マックフェイル佐奈絵さん プロフィール

  1965年生まれ。大卒後、獣医として東京の動物病院で働いていたが、2000年にオーストラリア人の夫と出会い結婚。2001年5月、長女を出産した。同年12月にオーストラリア・ブリスベンに移住し、2003年6月にこの地で二女の出産を経験した。2児の母になり忙しさは増したが、子どものお陰で初対面の人との英会話もスムーズに運び、自分自身の活動範囲も広がりつつある。

  今、日本では少子化が騒がれている。子どもを産まない理由は人それぞれではあるけれど、日本で子どもを育てるのは決して楽なことではない。特に共働きの夫婦にはそれなりの環境と覚悟が必要だと思う。我が家も共働きだったので、生後8カ月から息子を保育園に預けることになった。保育園探しは生後すぐに始めたが、長いこと入園の空きを待ったし、いざ、子どもを預けて仕事を再開しても、以前のように時間を考えず、思いっきり仕事に打ち込むことはできなかった。日本で仕事をしながら子育てをするのは、時間的に余裕がないばかりか、仕事も子育ても中途半端になってしまうのが現状だ。そんな悩みを抱えて、仕事をあきらめ子育てに専念する女性が多いのも納得できる。

  さて、私たちはその後、ベトナムに移住したが、ベトナムに暮らしてみて驚いたことがある。それは、子どもを持つベトナム人女性のほとんどが働いていることだ。「子どもは夫婦に2人まで」を呼びかけている政府だが、実際はいまだに大半が大所帯。ホーチミン市のような都市部では子どもの数は減りつつあるけれど、ひとつの家庭に祖父母をはじめ、田舎からやって来た親戚やその家族、お手伝いさんなどが一緒に暮らしているケースが多い。となると当然、家庭の中には手が余るわけで、「家事と子育ては母親の役目」という日本の常識は当てはまらくなる。実際、ほとんどの母親が、家事や子守りを祖父母やお手伝いさんに任せて仕事をしている。ベトナムではそれほど裕福でなくても、お手伝いさんを雇っている家庭が多い。社会全体がそうだから、子どもを人に預けて働く母親にも後ろめたさはない。働ける人が働く、手の空いている人が子どもの世話をする。この合理的な生活は、核家族が主流となる以前には、日本にもあっにもあったのではないだろうか。こうした家庭環境ばかりでなく、ベトナムは子どもの預け先にも恵まれている。ベトナムでは保育園と幼稚園という分け方がなく、小学校へ上がるまでの子どもはMam Non(またはNha Tre)という幼稚園兼保育園のような場所に通う。共働きが当たり前なので、朝は6時半から夜は8時頃まで子どもを預けることができる。内容は日本の幼稚園や保育園のような"遊び"を中心とした活動ではなく、文字の読み書きなどの"学習"がメイン。夕方以降は、ピアノ教室や英語教室なども希望すれば受けられる。それらの施設は数多くあり、入園待ちで困ることもない。

  ところで、ひとつ大事なことを補足しておくと、ベトナムでは「共働き」といっても、働く時間も働き方にも日本との違いはたくさんある。一般に会社勤めなら午前中は朝8時~12時、昼はたっぷり2時間休憩があり、わざわざ家に帰って昼ご飯を食べる人が多い。食後の昼寝は欠かさず、午後は2時~5時までといったもの。そして、仕事よりも家族を大切にするベトナム人は残業なんて絶対しない。そんなのんびりモードだからこそできる両立なのかもしれないが、日本での暮らしを思うとうらやましい限りだ。

  石渡真由美さんのプロフィール

  1971年、東京生まれ。フリーペーパーの編集、赤ちゃん雑誌、旅行本のライターを経て、2003年より写真家の夫と一人息子とともにベトナム・ホーチミン市へ移住。3年間暮らした後、今年3月に日本へ帰国。今後は第二の故郷ベトナムを書き続けるとともに、住まいのある鎌倉についても書いていきたい。ベトナムと日本のカルチャーギャップを綴った「越南小町のニッポン☆リハビリ中」
「こどもの日」は日本では5月5日だけれど、トルコでは4月23日である。列強の占領下、オスマントルコ帝国という国が分割されて消滅しようとしていた1920年4月23日、独立戦争を戦うトルコ人たちが、この日はじめて国民会議を開いた。事実上の独立宣言であり、ここにトルコ共和国が誕生する。その独立記念日を、トルコは「こどもの日」と呼んでいる。死してなお今も変わらず絶大な尊敬を集める、初代大統領アタチュルクが、「わが国の将来はこの子どもたちが担う」と期待したことに由来するようだ。

  この日はトルコ全土で子どもたちのセレモニーが行われる。町の中心広場や巨大なサッカー・スタジアムもこの日ばかりは子どもに占領され、子どもたちによる華やかなショーの舞台となる。この日、学校別選抜チームが発表する民族ダンスや創作ダンスを見に、大人たちも詰めかけ、日本の運動会にも似た盛り上がりを見せる。ショーの出しもののために、子どもたちは何カ月も前から勉強そっちのけで練習を積むらしい。都会ではこの日くらいしか着る機会のない民族衣装や、お母さんお手製のダンス・コスチュームなどに女の子たちは夢中になる
そのほかにもマクドナルドや市が開催する、1日遊園地などがある。公園や工場跡地などに中に空気を入れてふくらませた強大なすべり台やお城を作って遊ばせてくれるのだ。

  3月末にサマータイムに移行し、日が長くなったことも手伝って、日に日に暖かくなる太陽の下、なんだか皆ウキウキしている。6月はじめには学校が学年末を迎える。これからの4月、5月はなにかと1年の成果を発表する機会が多いようだ。年々激化する、受験戦争もそれに付随するものだけれど……。

  数年前、自分の息子たちを連れて近くの公園に行った時、ひとりのカナダ人女性が2~5歳の子どもたち4人と遊びに来ていた。「全部あなたの子どもなの?」と思わず質問をしてしまったのだが、「いいえ、私の子どもはもうかなり大きいのよ(笑)。私はビジネスでこの仕事をしているの」。よく見れば、髪の色も、顔かたちも皆違うが、彼女はお母さんのように子どもたちに接している。それはカナダの「ファミリーデイケア」、自宅で運営する認可の家庭保育園だった。子育てのために、キャリアを中断せざるを得ない女性はたくさんいるが、フィリピン育ちの中国人サリー・オンもそのひとりだった。華僑である一族はフィリピンでデパートを多数経営していて、彼女はフィリピン大学を卒業後、ニューヨークにMBA留学した。ビジネス・スクールで、ファイナンス&マーケティングを学び、公認会計士の資格も持っている。卒業後はフィリピンでファミリーの経営するデパート運営を任されていたが、94年にカナダに移住、そして絶対安静を言い渡された妊娠を機に仕事を辞めた。ご主人はエアカナダの技術者だ。現在3歳、4歳、6歳のママ。「子育てをしながら、できる仕事って限られていますね。ファミリーデイケアを開いたら、自分の子どもたちの友だちもできるし、収入源にもなると考えました」とサリーさん。やはり、小さな子どものいるママが運営しているところが多いようだファミリーデイケアを開くにはライセンス取得が必要。まずは学校かコミュニティー・センターで、ファミリー・チャイルドケア・コースを2カ月間受講する。かなりの課題が出るという。卒業後は、カナダ政府の役人が来て、インタビューや場所のチェック。救急のコースを受講したり、その家の成人は全員無犯罪証明書を提出する。また、消防署、電気、建物、水まわりなどさらに政府から4人も来てチェックされる。最終的にビジネス・ライセンスが取れると、自分の子どもを除き、7人まで預かることが可能になる。「7人がベビーだったらどうなるの?」と思っていたら、ベビーは1人のみ、0~3歳までは3人まで……と、また細かい決まりがあるそうだ。サリーの家は引っ越したばかりなので、現在ライセンスを更新中。ファミリーデイケアではお勉強タイムがないのが一般的のようだが、サリーは学術派タイプなので、ワークブックを持たせると、スペリングやリーディングを見てくれる。彼女の子どもたちもご両親を真似て自然と本好きに育ち、お勉強が大好き。取材の日も、自分からワークブックを持ってきて勉強していた(うちの子どもに爪のあかを煎じて飲ませたい!)。なんと4歳の二女がやっていたのはグレード2(小学2年生)の本だった……。

  カナダの子どもの生後6カ月~5歳児の半数は、デイケアまたはベビーシッターに預けられているという統計がある。子どもが学齢に達していれば、2歳半~12歳までのグループデイケアはよいが、小さなうちはやはり目が届き、同じぐらいの子どもたちを預かっているファミリーデイケアがいいと思う。が、それも信頼できる人でないと心配だ。仕事をしたり、再就職をしようと考えているカナダのママたちにとって、よいデイケア探しは、子どもが1人でもお留守番ができる12歳に達するまで続く課題なのである。