琉球王朝について知っていますか?

你了解琉球王朝吗?

沖縄は国内の観光スポットとしてとても人気のエリアであることは誰もが知っていますよね。でも、沖縄となる前の時代、琉球王朝についてはご存知ですか?

冲绳作为日本国内知名的观光胜地,为人们所熟知。不过,在冲绳之前的琉球王朝时代,你是否了解呢?

琉球王朝(琉球王国とも呼ばれるが、以下、琉球王朝)は1429年に成立した国で、沖縄県が誕生する1879年までの間の長きに渡って存在した王政の国のことをいいます。

琉球王朝(又称琉球王国,以下称为琉球王朝)成立于1429年,在1879年冲绳县诞生之前,是一个拥有悠久历史的封建帝王统治的国家。

琉球諸島と呼ばれる奄美諸島から八重島諸島までのエリアには、12世紀頃から各地に按司と呼ばれた豪族が出現し、抗争と和解を繰り返しながら徐々に整理されていきました。そして、1429年に尚巴志が主要な按司を統括して統一権力を確立したことで琉球王朝が始まったと言われています。

从龙美诸岛至八重岛诸岛地区被统称为琉球诸岛,12世纪开始,各地出现了被称为按司的豪族,经过了反复的斗争与和解,渐渐显出雏形。之后,到了1429年,尚巴志统一了各处主要的按司,确定了自己的政权,这便是琉球王朝的开端。

琉球王朝は独自国家として力を付けて、日本、中国、朝鮮、東南アジアといった周辺諸国との外交・貿易によって発展しました。琉球王朝の象徴ともいえる首里城は琉球王朝の政治や経済、文化の中心でした。

琉球王朝为了增强作为独立国家的力量,与日本、中国、朝鲜、东南亚等周围诸国形成了外交与贸易关系。而作为琉球王朝象征的首里城成了琉球王朝的政治、经济和文化的中心。

琉球王朝には一回だけ政権交代があった

琉球王朝有过一次政权交替

琉球王朝は約450年続きましたが、長い歴史の中で一回だけ政権交代があったと言われています。1469年に金丸という農夫出身の人物によってクーデターが起こり、政権が奪取されて新王朝が開かれたのです。金丸は前例に従って尚王家を継承して尚円王と名乗ったとされます。

琉球王朝虽然持续了将近450年,在这段悠久的历史中,曾经有过一次政权交替。1469年,一个名叫金丸的农夫掀起了武装政变,夺取了政权并开创了新的王朝。金丸还根据前例,继承尚王家衣钵,改名为尚円王。

そのため、琉球王朝は政権交代前の王朝を第一尚氏王統、政権交代後の王朝は第二尚氏王統と呼ばれています。第二尚氏王統になってからは、初代国王である尚円から19代目国王の尚泰の時代まで約400年続きました。

因而,琉球王朝把政权交替前的王朝成为第一尚氏王统,政权交替后的王朝则成为第二尚氏王统。而在第二尚氏王统之前,从初代国王尚円到19代国王尚泰时期,已持续了将近400年。

琉球王朝が沖縄県となるまで

从琉球王朝到冲绳县

1609年に薩摩藩が琉球に侵攻して首里城を占拠したことで、琉球王朝は中国の支配下にありつつ、薩摩藩と徳川幕府の従属国という複雑な国際関係の中におかれました。

1609年,萨摩藩侵略琉球占领首里城,琉球王朝既在中国的统治下,又从属于萨摩藩和德川幕府,夹在了复杂的国际关系之中。

その後、日本では明治維新が起こり新たに日本政府が成立し、1879年に日本政府が軍隊を琉球に派遣して首里城から当時の琉球国王だった尚泰を追放して「沖縄県」の設置を宣言したことによって琉球王朝の歴史は幕を閉じたのです。

之后,日本发动明治维新,成立了新的日本政府。1879年日本政府派遣军队驻扎琉球,首里城当时的琉球国王尚泰被流放,宣布设立为“冲绳县”。自此,琉球王朝的历史落下了帷幕。

琉球王朝の王族方のその後は?

琉球王朝的王族们的下场是?

沖縄県の設置によって、それまで琉球王朝にいた王族の人々はどのようになったのでしょうか?

由于设立了冲绳县,那么琉球王朝的王族们又是何去何从呢?

調べてみると、王族方のその後、子孫や末裔についてはネット上にはいろいろな情報が掲載されているので、どれがどうなんだろうと混乱してしまいそうになります。

据调查,网上有许多关于王族们的后代子孙及末裔的信息,但龙蛇混杂、混乱不堪。

ただ、沖縄の氏名について紹介している情報があったのでそちらを参考にしてみると、以下のような説明がなされています。

不过,关于冲绳姓名的相关信息还是值得参考的,如下说明。

沖縄では明治の12年まで全ての士族は中国風の姓名をもっており、この中国風の「姓」の事を氏名・うじめいと云っております。琉球王朝の本家は尚氏で、分家は向氏となっています。ですから琉球王朝の本家の方々は尚の「姓」から始まる中国風の姓と名前を持っています。

冲绳在到明治12年为止,所有的士族都拥有中国式的姓名,而中国式的姓名则分为“姓”与“名”。琉球王朝的本家为尚氏,分家则为向氏。因此,琉球王朝本家的各族人渐渐以“尚”为姓,都有了中国式的姓名。

一方分家の方は「向」の中国風「姓」と名前を持ち、向象賢というと「向」の姓があるから琉球王朝の分家筋だとすぐに判断がつく訳です。ちなみに琉球王朝の直系・傍系も名乗頭は「朝」がついており、名前に「朝」が付いている人は琉球王朝の系統だとすぐに見分けがつきます。

而分家的人们则以“向”为姓,再加上名字,例如向象贤这个名字是以“向”为姓,就立刻能判断为是琉球王朝的分支。顺便说一下,琉球王朝的直系、旁系则是以“朝”为姓,所以看到姓“朝”的人,也可立刻判断为是琉球王朝的后裔。

沖縄では四大名門門中というのがあり、「向氏」「翁氏」「毛氏」「馬氏」の四姓で、琉球王府の主要ポストはすべてこの一門で独占されておりました。四姓ともすべて首里士族出身です。氏名・うじめいを知ればその一門がどのような系統の一門で、元祖が誰で分家はどういう方々かすぐに分かります。

冲绳的四大名门是“向、翁、毛、马”四姓,琉球王府的主要地区都被他们所独占。这四家全都是首里士族出身,所以只要知道姓名即可知是哪一门哪一派系的,也能马上分清祖先是谁分支哪家了。

その一方で、王族でも王統を継承せずに一般人として過ごされた(過ごしている)一族も多数いるという情報もネット上ではあることから、そのような方々も含めると琉球王朝の子孫やかかわりのある方というのは想像以上にいらっしゃるのかもしれませんね。

而另一方面,网上也有信息表明就算是王族,现在他们也没有任何王统可以继承,大多数过着一般人的生活。如此说来,琉球王朝的子孙或相关人士可能比想象中的还要多呢。

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