愛多ければ憎(にく)しみ至(いた)る

人から愛されかわいがられることが多ければ、必ず人から憎まれるようになる。

被人疼爱偏袒的越多,必定会招来别人的憎恨。

挨拶(あいさつ)は時の氏神(うじがみ)

ここでの「挨拶」は仲裁(ちゅうさい)の意。けんかや争いの仲裁を買って出てくれる人は、その場にとって氏神さまのようにありがたい存在である。 類:仲裁は時の氏神

在这里“寒暄”是“仲裁”的意思。在争吵打斗中,出来仲裁的人,在当时的场合下就是像神一样令人感激的存在。相似的谚语:仲裁は時の氏神(吵架恰逢和事佬)

相手変われど主(ぬし)変わらず

相手は次々に変わっても、こちらはいつも変わらず、同じことを何度も繰り返すこと。

对方一直在不停的变化,但这边一直都不变,不停的重复相同的事情。

青菜(あおな)に塩

急に元気をなくして、しょんぼりするようす。

突然变得没精神,无精打采的样子(蔫蔫的垂头丧气状)。

青は藍(あい)より出(い)でて藍より青し

教えを受けた弟子(でし)が先生よりもすぐれた人になるたとえ。青色の染料(せんりょう)は藍という草の葉から取ったものだが、もとの藍の葉よりも美しい色をしている、という意。「出藍(しゅつらん)の誉(ほま)れ」という語は、これに基づく。

比喻教过的学生变成了比老师还优秀的人。意思是青色的颜料是从一种叫“蓝”草的叶子中提取出来的,但是颜色比蓝的叶子更美。“青出于蓝而胜于蓝”就是以此为根据的。

空き樽(だる)は音が高い

よくしゃべる人には考えの浅(あさ)い人が多いたとえ。中味のないからっぽの樽をたたくと高い音をたてることからいう。類:浅瀬に仇波(あだなみ)

用来比喻经常滔滔不绝的人其实想法很短浅。字面意思是敲打没有装东西空空的桶的话,就会发出很响的声音。相近的谚语:浅瀬に仇波(浅滩起浪,用于比喻见识浅薄的人好夸夸其谈)

商(あきな)いは牛のよだれ

商売は牛のよだれのように、細く長く、わずかな利益を積み重ねていくべきだ。

做生意就像牛的口水一样,又细又长,是靠一点点的利益慢慢积攒起来的(做生意靠耐性)。

秋茄子(あきなす)は嫁(よめ)に食わすな

有名なことわざで、色々な意味が言われている。ナスはとても美味(おい)しいので嫁には食べさせない、という意味や秋ナスは種(たね)が無いので嫁に子供が出来ないことを気づかう、という意味など。でも本命(ほんめい)は、ナスは体を冷やすので食べ過ぎると良くないという意味。

这句是非常有名的谚语,有很多的意思流传。有因为茄子好吃而不让媳妇吃的意思,也有因为秋茄子无籽,在意媳妇会生不出孩子这样的意思。真正是吃茄子会身体受凉,吃多了对身体不好的意思。

秋の扇(おうぎ)

愛情が薄らいで捨てられた女性のたとえ。夏の間、大切にされた扇も、涼(すず)しい秋が来ると片づけられて顧(かえり)みられなくなる意。

用于比喻情意淡去被遗弃的女性。在夏天被重视的扇子,在凉爽的秋天到来之后就被收拾起来,变得不会被想起了的意思。

秋の日はつるべ落とし

秋はすぐに日が落ちて暗くなることを井戸(いど)のツルベにたとえていった言葉。ツルベとは井戸で水をくむときに使う、ひものついたバケツのこと。

用水井的吊桶来比喻秋天太阳一落山,天黑的很快。吊桶是从井中打水的时候用的,带着绳子的桶。

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