合気道

合気道

合气道

武道は力や技で相手を倒すことを目標にするものが多いのに対して、合気道は「気」をもって相手の力を「制する」、いわば「受け」の武術であるという独特なスタンスをとっています。目的も強くなることではなく、心の修練です。古流武術から出発した「気」の武術は、強さを競うより大切なことがあるという理論を持つ「人にやさしい」武術なのです。

相对于武道大多数以 凭借力量和技巧压倒对方 为目标相比,合气道是以“气”来“压制”对方的,换言之,是一种(偏向于)“防御”的武术,有其独特的出发点。(合气道)并不带有很强的目的性,而在于修炼心性。源于古代武术的“气” 这一武术,有着比起追求强大更重要的理论作支撑,即“使人变柔软”。

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「気」を自由自在に

「気」を自由自在に

自由自在的运“气”

合気道は読んで字のごとく、「気を合わせる」武道です。自らの気と相手の気を読みあい、技を繰り出します。そして合気道と他の武道の最大の違いは「こちらから攻撃しない」ということです。攻撃してきたものに対して、それを捌き、技を返す。ですので試合もありませんし、練習でも「形」ばかりです。小さな老人が、大きな成人男性を軽々とくるりくるりと投げ飛ばすという、驚くべき姿も見られます。

合气道正如其名,是“运气相合”的武道。互相理解自己和对方的气,并使出技巧。此外,合气道与其他武道最大的不同在于“不主动攻击”。(合气道)面对对方的攻击,拆解对方的招式并加以返还。因此合气道并没有(对应的)竞技比赛,在练习的时候也是“形式”居多。身材枯瘦的老人,也能轻而易举地将身材健硕的成年男性抛飞,像这样惊人的形态也是可以看到的。

心の修練を最大の目的とし、「気」という独特な観点を大切にしています。日本の武道の中でも比較的新しい部類に入る武道です。

(合气道)将修炼心性作为最大的目的,很重视“气”这一独特的观点。即使在日本的武道中,也属于比较新颖的类型。

袴姿で投げ飛ばす

袴姿で投げ飛ばす

身穿跨服飞跃身姿

基本は合気道着という柔道着に近いものと、袴を着用します。

一般合气道服和柔道服相近,也采用袴作为服装。

柔術から生まれた総合武道

柔術から生まれた総合武道

诞生于柔术的综合武道

合気道の歴史は比較的浅く、明治時代から昭和初期にかけて起こった武道です。大東流柔術を修行した植芝盛平〔うえしばもりへい〕が起こした合気道は日本古来の柔術だけでなく、剣道や柔道の原理も吸収した総合武道と言えます。

合气道的历史相对较浅,大约诞生于从明治时代到昭和时代期间。植芝盛平曾修行大东流柔术,并综合含日本自古以来的柔术,另剑道、柔道的原理在内,形成了此种综合武道。

植芝は独自の武道理論を掲げて大東流柔術から独立の道を選択します。独立の過程で名称も相生〔あいおい〕流合気武術、皇武道、合気武道と変えていき、昭和17年に合気道としました。その後は日本中に広まり、現在では世界各国にも普及しています。

植芝提倡自己独特的武道理论,并决定从大东流柔术中独立出来。在独立的过程中,(合气道的)名字也从相生流合气武术、皇武道、合气武道逐渐演变,并与昭和17年定名合气道。在此之后,逐渐在日本国中发展,现今世界各国也都有所普及。

形稽古に徹して

形稽古に徹して

在形体技法上精益求精

技法は一点に力を集中させ押し倒す当身技や、関節技などを持ちます。それは自ら攻撃するのではなく、相手の攻撃を無効にしたり崩したりして、相手を抑え込むというために用いられます。

(合气道的)技法包括将力集中于一点压倒对方的当身技、关节技等。这并非是自发的攻击,而是瓦解对方的攻击,并压制对方的做法。

競技としては試合はなく、練習も形稽古のみです。こうすることが合気道の理念を追求することにつながるのですが、最近では競技スポーツとして確立させてはどうかといった動きも見られます。

(把合气道)作为竞技来看的话,它并没有对应的比赛,练习也是以形体练习居多。这种做法是与合气道的理念相关的。但最近也可以看到尝试将合气道最为一种竞技体育确立下来的趋势。