101岁的现役摄影师

2016年5月にWHOが1発表した2016年版「世界保健統計」によると、日本人が平均寿命世界一を更新、今年も長寿世界一の座に輝きました。医療の発達や食文化の変化により寿命が延び、生き生きと過ごす高齢者の方も多くなってきた事もあり、こんな風に年を重ねたいと憧れちゃう素敵な方が沢山いらっしゃいます。そんな素敵な方の一人、101歳のカッコイイ女性をご紹介します。

2016年5月WHO发布的2016年版“世界保健统计”资料显示,日本人更新了平均寿命世界第一的记录,今年也登上了世界第一长寿的宝座。随着医疗的发达及饮食文化的变化,人类的寿命得以延长,过得多姿多彩的高龄者越来越多,而且还有许多令人非常羡慕的出色的高龄人士。本文为您介绍的,便是其中之一,一位101岁高龄的帅气女性。

101歳の現役フォトグラファー・笹本恒子さん

101岁现役摄影师笹本恒子

笹本恒子さんは1914(大正3)年生まれの101歳。日本最初の女性報道写真家であり、なんと今でも現役で活躍しているフォトグラファーなのです。そのパワーの秘密は、好奇心にあるのだとか。

笹本恒子出生于1914年(日本大正三年),今年101岁,不仅是日本最早的女性报道摄影师,而且至今仍活跃在摄影第一线。她力量的秘密,便是充满了好奇心。

いい言葉で言えば好奇心。怖いくせに行ってみたい、嫌だけど見たい。世の中を見つめて、少しでも知らない方に知ってもらいたいことを書き残して、写真で写しておいておきたい。

说好听点是好奇心,其实是虽然害怕却也想去,不喜欢也想看。纵观世间百态,就算能让不知道的人知道一点点,也想要用摄影来留下痕迹。

年齢を公表せずに仕事を続けていた笹本さんが、初めて年齢を明かしたのは96歳の時。周りのみんなはとにかくびっくり仰天!そこからは、沢山の取材や執筆依頼が殺到し大忙しの毎日になってしまったそうです。

不公开年龄而始终持续工作的笹本,第一次表明年龄是在96岁的时候。周围的人都吓了一大跳!从此,铺天盖地的采访、请她撰写文案的需求蜂拥而至,她的每一天都变得十分繁忙。

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100岁获最佳着装奖

100歳でベストドレッサー賞を受賞

100岁时获得了最佳着装奖

100歳の時には、ベストドレッサー賞特別賞を受賞した笹本さん。もちろん、史上最年長記録です。『ファッションはお金ではなく”頭”をつかうもの』という笹本さん、お召しになっている洋服はほとんど自分で作ったものなのだそう。この写真は100歳の時に「徹子の部屋」に出演された時のものですが、もちろんこれも自作のワンピース。なんともオシャレ!

笹本在100岁的时候,还曾获得最佳着装特别奖。这当然是史上最年长获奖者的记录。笹本认为“时尚不是花钱,而是用脑”,她身上的衣服几乎都是自己制作的。这是她100岁时出演“徹子的房间”的照片,身上穿的也自然是自己做的连衣裙,真是超时髦的!

笹本さんの洋服の作り方はとっても簡単。気に入った布を半分に折って両端の部分を2点縫うだけ。あとは首や腕を出す部分を切って縫い付ける、たったこれだけでワンピースの出来上がり!大版のストールや男性物のマフラーなども、気に入った物ならチャチャっと縫って、オリジナルのワンピースに仕立ててしまうのだとか。「お金をかけずに楽しむのが最高の贅沢」「アクセサリーを選ぶのは頭の体操よ」

笹本做衣服的方式非常简单。把挑中的布料一折二,两头缝起来就是了。然后把头部和腕部多余的地方剪掉、缝好,连衣裙就做成了!大大的披肩和男式的围巾,只要是喜欢的东西都会快速缝制成原创的连衣裙。“不花钱的消遣才是最大的奢侈”“选择配饰则是头脑体操哦”

肉与红酒

元気の秘訣はお肉と1杯の赤ワイン

元气的秘诀是吃肉和1杯红酒

ベストドレッサー賞の受賞式では、元気の秘訣を尋ねられた笹本さんの答えは「3食しっかりいただくこと」「昔のお医者さまは歳をとったら菜っ葉と豆腐を食べなさいと言ってましたが、私はそれに反して、若い頃から肉食です。そして主食はいただかないで、赤ワインをいただきます」

在接受最佳着装奖时,被问到健康的秘诀是什么,笹本回答“三餐都好好吃”“过去的医生总说上了年纪要多吃蔬菜豆腐,我却反其道而行,年轻时候到现在一直是爱吃肉的。而且我不吃主食,只喝红酒。”

子供の頃から両親に言われてきたのが「食べるものが貧弱だと品性が悪くなる」「おいしいものをちょうどいい量食べなさい」という言葉。

从小,父母就对我说“吃的食物要是寒酸,人的品性也会变差”“好吃的东西也要适量”。

『おしゃれな人は、食べ物にかける分を節約して高いものを着ようとする人が多いけれど、それは一番”精神が下品”な事よ』という笹本さんは、どんなに貧乏しても、自分の体をつくってくれる食事には一番贅沢をしなくてはダメだという考えなのだそうです。

笹本认为“大多数时髦的人,总是把在食物上节省下来的钱花到穿着上,这是最没品的事情了”,无论多么贫穷,对待支撑身体的食物必须放在第一位。

旬のみずみずしい材料を手にして、その味や美しさを生かすように調理し、自然物の命をありがたくいただく――。食事は「生きよう」とする大切な時間。決しておろそかにはしたくないのです。

选取时令的新鲜食材,用最能体现其口味、美感的方式进行料理,如同接受大自然恩赐般食用。饮食是“活着”的最重要时刻,绝不会草率了事。

30多年的日记

30年以上続けている「毎日メモ」

持续了30多年的“日记”

「興味を持つ事と探究心を忘れずに。好きなことをずっとやり続けると、ずっと元気でいられますよ」

“勿忘探究心、对事物抱有兴趣。一直做自己喜欢的事情,那么就能一直保持元气满满哦”

笹本さんの毎日はとても規則正しいのだそうです。11時に就寝、そして5時に起床。ヨーグルトドリンクで喉を潤し、目薬をさしてシャッキリ、そしてテレビの英会話で頭を起こします。その後は、TVを見ながら「みんなの体操」をやって体を目覚めさせます。

笹本每天的生活都非常有规律。11点就寝,5点起床。喝一杯酸奶润喉,点上眼药水,看着电视里的英语会话节目唤醒头脑。然后看着电视做做“大家的体操”,让整个人清醒起来。

そしてゆっくりと新聞の朝刊に目を通し、取材したい人や興味ある出来事をスクラップ。使っているのは無印良品の普通のノート。好奇心レーダーが取られた事ならとにかく何でもメモしたり、スクラップしたり。虹が出たらその絵を描いたり、料理番組でいい献立があるとレシピをメモしたり、新しく覚えた英会話のフレーズや俳句や漫画を残しておく事も。ちなみに英語は女学生の時に少し習ったそうで、それからずっと独学で勉強を続けているのだとか。

接着,她会仔细地看一份早报,把想要采访的人、感兴趣的事做成剪报。用的则是无印良品的普通笔记本。好奇心驱使她把有意思的事情都记录、剪辑下来。彩虹出现就画下来、记录下对料理节目有用的菜谱、记住新学的英语会话句子、记下俳句、漫画也是常有的事。顺便提一下,她在学生时代稍微学过一点英语,从此便一直坚持自学至今。

总是笑嘻嘻的

いつもニコニコ、哀しいときもニコニコ

总是笑嘻嘻的,悲伤时也笑嘻嘻

書かれた本には、辛かっり苦しかったりする日々のことはあまり詳細には書かれていません。その理由を尋ねられると「だって人を傷つけることになるのが嫌ですから。愚痴なんて言ってもしょうがないでしょう?」と答えた笹本さん。

她所写的书,基本不会详细撰写那些艰难、辛苦的日子。问其理由,笹本则回答“因为人总是讨厌那些被伤害的事情啊。就算说抱怨的话,也改变不了什么呀?”

「いつもニコニコ、哀しいときもニコニコ。運も人も、明るいところに集まるのではないでしょうか」

“总是笑嘻嘻的,悲伤时也笑嘻嘻的。运气、人气,总是会聚集在开朗乐观的人身边吧。”

そりゃあ何度か死んじゃおうと思ったことはありましたよ。浮き沈みももちろん。

也是有多次想着死了算了,人生起伏兴衰亦不必说。

でも……自殺をするのは親不孝になる気がしたのよね、最後のところで。親からもらった命ですから。だから生きてきた。そうしたら101年が経っちゃったわ(笑)。

不过,最后关头我觉察到自杀是对父母的不孝。因为这是父母给我的生命,必须活下去。一不小心可就过了101年咯(笑)。

成为摄影师只是偶然

写真家になったのは実は偶然

其实成为摄影师只是偶然

女学校を出たら花嫁修行が当たり前、女性で働く人は家計のためでした。そんな時代に、笹本さんは日本発の女性報道写真家として活躍しました。

从女子学校毕业后准备嫁人是理所当然的,女性是为了工作的人操持家事的。在那样的时代下,笹本却作为日本首位女性报道摄影师活跃在第一线。

カメラなんてほとんど持ったことがなかったですよ(笑)。こんなこと言ったら失礼ですけど、当時は絵を描いている人たちは、写真のことをバカにしてました。実物そっくりな絵を描いたりしたら、「それじゃあ写真屋の下働きじゃないか」って悪口を言われるくらい。

几乎都没怎么拿过照相机呢(笑)。说这样话真是很失礼,但当时画画的人们,总是看不起拍照的。如果将实物写实地描画出来,就恶毒地说“这不就是给拍照的打下手了嘛”。

実は画家になりたかった笹本さんは、当時、毎日新聞の社会面の挿絵を描いていました。そんな時「日本初の女性報道写真家になってみませんか?油絵を描いているならきっと良い写真が取れますよ」と誘われたのだそうです。そこでアンテナがピンときて、好奇心がムクムクと。そして「じゃ、やってみよう」と思って始めたのだとか。

事实上,想要成为画家的笹本,当时曾在每日报社的社会版面画插图。此时,有人邀约“想不想成为日本首位女性报道摄影师呢?如果你会画油画的话,一定能拍出好照片的。”这一下子就触了电,好奇心涌上心头。于是就想着“那就试试看吧”。

71岁开始的再出发

71歳からの再スタート

71岁开始的再出发

一度離れた写真の世界に戻るも、環境が大きく変わる中、再び写真から離れる事になった笹本さんが再び写真の世界に復帰したのは71歳の時。多くの同世代がリタイアして余生をゆっくりと楽しみ始めた頃でした。しかし約20年間も写真から遠ざかっていた上に、掲載先も写真展の予定もなにもなし。それでもただただ「また写真をやりたい」という思いだけで、6年もの年月ををかけて日本中を駆け巡り、100人近くの明治の女達を取材・撮影してきました。

在巨大的环境变革中,在曾离开的摄影世界又再度回归的笹本,此时已经71岁了。大多数这个年龄的人已经退休,开始悠闲地度过余生。而且她几乎20年没碰过摄影,既没有刊载的地方也没有开摄影展的预算。仅仅就是“还想要拍照”的心思在,花了6年时间周游日本,采访、拍摄了将近100位明治时代的女性们。

何かを学ぶにしても、仕事をするにしても、年齢は関係ないでしょう?私は71歳で写真家の仕事に復帰しても、年齢のことなんて一切言わなかったわ。「自分は何歳だから」と考えて行動するのは好きじゃないの。

要学什么,要做什么工作,和年龄没关系吧?我71岁才回归到摄影师的工作,也没人质疑我的年纪嘛。我可不喜欢想着“我都多大年纪了”再去行事。

86岁开始远距离恋爱

86歳で恋に落ちて遠距離恋愛

86岁陷入恋情开始远距离恋爱

旦那様に先立たれて以来ずっと一人暮らしを続けていた笹本さんですが、86歳の時に恋に落ちてしまいます。お相手は、旅行先の南フランスで知り合ったフランス人彫刻家のチャールズさん。その出会い以来、文通を続けてで愛を育んでいたそうです。

老公去世以来,笹本一直是一个人过日子,而86岁时却陷入了恋情。对方是在法国南部旅行时结识的法国雕刻家查尔斯。自相识后,一直通过书信往来孕育爱情。

そして意を決してクリススカードに「I LOVE YOU」と書いて送ったのが96歳の時。しかし翌年1月にチャールズさんは亡くなってしまいました。そのため、笹本さんの「I LOVE YOU」をチャールズさんが読んだのかどうか、わからないのがとても残念なのだとか。

而下定决心表白的,是在96岁的时候,她寄出了一张写有“I LOVE YOU”的圣诞卡。然而第二年的1月份,查尔斯不幸亡故。笹本连查尔斯是否读到了“I LOVE YOU”的讯息亦未可知,十分遗憾。

<老いてなほ艶とよぶべき ものありや 花は始めも 終わりもよろし>

<老亦老而风韵犹存 斯人已去 花开花落终有时 手留余香 >

これは、わたくしが写真を撮らせていただいた“明治の女性”のひとり、歌人の齋藤史さんの一首。毎日を楽しく素敵なバラ色に過ごして、枯れ木ではなく、美しいドライフラワーになれるように。

这是我拍摄的一位“明治女性”、诗人斋藤史写的一首诗。每天如艳丽的玫瑰般尽情绽放,便不会成为枯木,而会成为同样美丽的干花。

97岁骨折却复健复活

97歳で骨折・リハビリをして奇跡の復活!

97岁骨折,通过复健奇迹般地复活!

97歳の時に自宅で転倒して意識不明に。一人暮らしだったので、誰にも見つからず22時間そのままでした。幸い救出され大事には至らなかったものの、大腿骨と左手首を骨折して、歩くこともできなかった笹本さん。でも「まだしたいことがいっぱいあるから」とリハビリをこなし「97歳でこんなに真面目にリハビリする人は初めて」と驚かれたとか。

97岁的时候,她在自己家中摔倒,失去意识。由于独自生活,在谁都没有发现的情况下就这样过了22小时。虽然最终得到救援而未出大事,但大腿骨及左手手腕骨折,连路都没法走了。然而,笹本“因为还有好多想要做的事情”而努力复健,令人惊异道“第一次遇见97岁了还那么认真复健的人”。

そしてリハビリの時は、動きやすい服装で臨むとはいえ、いつも必ずストールを巻いたり、マニュキュアをしたりしてお洒落していたのだそう。

而且在进行复健时,虽说她穿着易于活动的服饰,但必定围着披肩、涂上指甲油,装扮时尚。

搬入养老院

住居型老人ホームへ

搬入居住型养老院

それまでは一貫して「老人ホームには入らない」と決め、自宅のリフォームまでしていた笹本さんですが、骨折の一件で周囲から説得されてついに老人ホームに入ることに。そこでがっくりとせず「自分の住所を『鎌倉』と書くのが楽しみ」と楽しみを見つけるのが笹本さん。

至今决定“不入住养老院”,甚至重新改造自己家的笹本,由于骨折一事的发生,在众人的劝说下入住养老院。但她却并未因此颓丧,而是在“自己住的地方写上‘镰仓’二字”,从中寻找生活乐趣。

老人ホームの自室には、大好きなゴッホの絵「ひまわり」が飾られ、部屋の片隅にはワインセラーが置かれ、お気に入りの赤ワインがストックされています。どこにいても、より自分らしく暮らせる様に、その為の工夫は手を抜きません。

她在养老院自己的房间里,装饰着她最喜欢的凡高的画《向日葵》,角落里还摆着红酒柜,存放自己喜欢的红酒。无论在哪里,她都活出了自我,为此绝不敷衍了事。

「老前整理!?好きなものに囲まれて暮らしたほうが幸せよ!」

“老了前要整理?!被自己喜欢的东西包围着生活才幸福呢!”

好奇心一如当初

もう100歳って自分に言い聞かせても好奇心が止まらない

告诉已经100岁的自己 好奇心无法停止

「写真を送ってください」と言われて送ると、「昔のではなく最近の写真を」と連絡が来る事が多いのだそうです。毎回、近影写真を送っているのに関わらず!この本の表紙の写真も、もちろん101歳になってから撮影したもの。あまりにも若々しくてビックリです!

每次被人说“请送照片过来”,我送过去后,却大多回复“不是以前的,请送最近的照片来”。每次我送的都是最近的照片啦!这本书的封面照片,当然也是我101岁的时候拍的。看起来太年轻了,令人惊讶!

100歳の時のインタビューでは「もう100歳って自分に言い聞かせても好奇心が止まらないの」とおっしゃっていた笹本さん、きっと101歳になった今も同じ答えが返ってくることでしょう。

100岁接受采访时,笹本仍说“告诉自己已经100岁了,但好奇心一如当初”,101岁的现在恐怕也是一样的回答。

「好奇心さえあれば、気持ちがあれば、いくつからでも必ず何かが始まるものですよ。せっかく生きているんだし、会いたいと思う人がいればどこにでも行きたいって、私は思っています。死ぬ暇なんてないくらい(笑)」

“只要好奇心还在,心情还在,无论多少岁总是能有新的开始。难得活着,我觉得有想要见的人无论在哪里都想去。哪有工夫去死呀(笑)”

纪录片将公映

生き様に迫るドキュメンタリー「笑う101歳×2」公開決定

展示生存方式的纪录片《笑着的101岁*2》决定公映

そんな笹本さんの追ったドキュメンタリー映画が、2017年に公開される事になりました。監督は、NHKのディレクターとしてドキュメンタリー番組「がん宣告」「シルクロード」「アインシュタインロマン」などで数々の賞を受賞した河邑厚徳さん。

展现这样的笹本的纪录片电影将于2017年公映。导演是NHK的制片,曾执导纪录片节目“癌症宣告”、“丝绸之路”、“爱因斯坦传奇”等屡获奖项的河邑厚德。

笹本さんと同じ101歳の伝説の新聞記者・むのたけじさんの文章と、笹本さんの写真を交錯させながら、二人の証言を通した日本人群像の人間ドラマと、101歳でも現役で輝き続けるその秘訣を探る作品になるのだとか!これは気になります。

这是一部由和笹本同样101岁的传奇报社记者MunoTakeji文章与笹本的照片交相辉映,通过二人的证词展现日本人群像的人性剧作,也是一部探索101岁还能战斗在第一线秘诀的作品!令人期待。

9月2日の誕生日で102歳になる笹本さん。この映画が公開される時には、笑う102歳になっているのですね。笹本さんの言葉や生き方は、こんな風に年を重ねる事ができたら本当にかっこいい!と憧れることばかり。つい年齢を言い訳にしてしまいがちですが、それはとても勿体無いことなのだなと感じます。年齢は関係なく、自分が納得いく毎日をニコニコ、キラキラと過ごしてゆきたいものですね。

9月2日,即将迎来102岁生日的笹本,在这部电影公映时已然是笑着的102岁呢。要是能像笹本的言论及生存方式那样老去,真得是很帅!真是无限憧憬。总是容易拿年龄当借口,感觉这简直是无理取闹。与年龄无关,笑嘻嘻地、闪闪发亮地度过充实的每一天才是生命的意义。

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