「行かなかったです」「行かないといけない」といった言い回しを普段していませんか? 東京近郊出身の筆者はこれらを標準語だと思って使っていたのですが、実は標準語ではないようです。ではどんな言い方が標準語で、なぜこうした言い方ができたのでしょうか。

你平常会说“行かなかったです”、“行かないといけない”吗?东京近郊出身的笔者会把这些说法当作普通话来使用,但其实好像并不是。那么普通话的说法是什么样,又为什么会形成这种说法呢?

■東京近郊で顕著

■东京近郊显著

「行かない」の過去形である「行かなかった」の丁寧な言い方は、標準語では「行きませんでした」になります。「行かなかった」の方言を調べると、西日本や新潟あたりでは「行かんかった」、近畿から北陸・東海地方では「行かなんだ」と言い、「それらの地域出身の人たちが『行かなかった』を丁寧に言おうとしたときに『です』をつけて、『行かなかったです』となった」と国語学者の田中章夫さん(元学習院大教授)は指摘します。こうした傾向は都心よりも埼玉や千葉、神奈川などの住宅街で顕著だそうです。

在普通话中,“行かない”过去式“行かなかった”的敬语说法是“行きませんでした”。笔者查了一下“行かなかった”的各种方言说法,西日本和新泻周边是“行かんかった”,从近畿到北陆/东海地区是“行かなんだ”。国语学者田中章夫(原学习院大教授)指出“这些地方出身的人要说‘行かなかった’的敬语时会加上‘です’,所以就有了‘行かなかったです’”。比起东京市中心,琦玉、千叶和神奈川等住宅区更有这种语言倾向。

田中さんの近著「日本語雑記帳」(岩波新書)によれば「行かないといけない」という言い方も首都圏近辺でこのごろよく聞かれる形だといいます。「行かないといけない」は、標準語では「行かなければならない」ですが、これは「行かんといかん」「行かんとあかん」などと言う西日本出身の人が標準語を言おうとして「行かん」を「行かない」、「いかん」「あかん」を「いけない」に“翻訳”した形だと考えられます。

田中先生最近的著作《日本语杂记账》(岩波新书)中还提到“行かないといけない”这种说法最近在首都圈附近也经常听到。“行かないといけない”的普通话说法是“行かなければならない”,这种说法的形成原因应该是说“行かんといかん”、“行かんとあかん”等方言的西日本人想要说普通话时将“行かん”换成了“行かない”,“いかん”、“あかん”翻译成了“いけない”。

駅のホームや電車内で「ご乗車できません」というアナウンスを聞いたことがあるかもしれません。これも東京周辺では近年使われるようになった新しい言い回しです。標準語としては「乗らないでください」といった「~しないでください」の形が一般的でした。それが「~できません」という「可能の打ち消し」の形で「禁止」を表す言い回しに変わったわけです。「可能の打ち消し」で「禁止」の意味を表すのは西日本でよく見られるそうです。

你可能在车站月台或电车内听到过“ご乗車できません”(不能乘坐)的广播。这也是最近几年东京周边开始使用的新的说法。普通话中一般使用“乗らないでください”中的“~しないでください”的句型。而新的说法则是变成了“~できません”这种“可能的否定形”来表示“禁止”,这种用法在西日本很常见。

また、公園などで見られる「芝生に入れません」「自転車は置けません」といった立て札。これも東京周辺で増えた西日本風の言い回しで、標準語にすれば「入らないでください」「置かないでください」などの形になります。置かないでください

此外,在公园等地能看到“芝生に入れません”(禁止踏入草坪)、“自転車は置けません”(禁止停放自行车)等告示牌,这也是东京周边新出现的西日本风的说法。普通话中应该是“入らないでください”(请不要进入)和“置かないでください”(请不要放置)。

■戦後、地域語と交じり変化

■战后,与方言混合变化

上記の「行かなかったです」や「行かないといけない」などが、東京やその周辺で聞かれたり見られたりするようになったのは戦後になってからだといいます。全国各地から人が集まり、東京近の人口が急増した結果、「それまで使っていた各地のことばを標準語に近づけたために生まれたもの」と田中さんは見ています。

上诉的“行かなかったです”和“行かないといけない”等说法,战后才开始能在东京及其周边听到和看到。随着来自全国各地的人的汇集,东京附近人口急剧增加,田中先生认为“人们为了使之前使用的各地方言接近普通话而创造出了新的说法”。

そもそも、標準語とはなんでしょうか。「日本語学研究事典」(明治書院)によると、各地の方言を統一するために、全国どこでも通用する国家の言語として国が制定した言語です。日本では明治時代に学校の教科書をつくるため、東京で使われている語(東京語)が基になりました。学校教育や軍隊を通じて全国に広がっていきますが、昭和の初めごろまではまだまだ標準語を話す人は少なく、日本国内でも話が通じないということがありました。

不过普通话到底是什么呢?据《日本语学研究事典》(明治书院)解释,普通话是国家为了统一各地方言,而制定的全国各地通用的国家语言。明治时代为了编纂教科书以东京使用的语言(东京话)为基础制订了普通话。虽然普通话随着学校教育和军队扩散到了全国,但直至昭和初期,使用普通话的人还是很少,日本国内还是存在语言不通的情况。

標準語の「行きませんでした」は、幕末ごろの江戸ではすでに使われていたようです。一方で、幕末から明治時代にかけては「行きませなんだ」「行きましなんだ」なども江戸・東京では使われていましたが、教科書などには採用されず、明治以降はあまり使われなくなります。明治時代には「行かないでした」という言い方も東京で一時、行われていました。

普通话中的“行きませんでした”,在幕末时期的江户就已经在使用。另一方面,“行きませなんだ”、“行きましなんだ”等说法虽然从幕末到明治时代一直为江户/东京地区所使用,但却没有被教科书采用,到明治之后就渐渐不再用了。明治时代“行かないでした”的说法也在东京流行过一段时间。

■日本語教育の現場でも

■日语教学中也是如此

「行かなかったです」は現在では首都圏だけでなく、日本語を話す外国人にも使われている可能性があります。「行かなかった」に「です」をつけるだけなので、初心者には容易で説明もしやすく、日本語教育の現場では積極的に取り入れている所もあります。英オックスフォード大で出版された日本語入門書の中にも「行きませんでした」と併記されています。

如今“行かなかったです”这种说法不仅是首都圈,说日语的外国人也可能会使用。因为只需在“行かなかった”后面加上“です”,对初学者来说更为简单也更好解释,在一些日语教学中也会积极引入。英国牛津大学出版的日语入门书籍中也一并记载了“行きませんでした”和“行かなかったです”两种说法。

東京語を基につくられた現在の標準語ですが、「行かなかったです」などは地域語を話す人が無意識のうちに言いやすいことばに変化させた結果の表れといえるでしょう。こうした一連の動きを田中さんは「標準語の東京語離れ」と呼んでいます。

现在的普通话虽然是以东京话为基础而形成的,但“行かなかったです”等说法的出现,可谓是说方言的人在无意中将方言变成顺口说法的结果。田中先生将这一连串的变化称为“普通话的脱东京话现象”。

戦後、東京以外の地域からやってきた人が増えた影響で、昔ながらの東京語を話す人は少数派になりつつあります。ことばは使う人が増えるほど、使いやすい形に変化しがちです。「寝られる・来られる」に対して「寝れる・来れる」が広がってきたのも、その例です。「標準語」が変わる動きは今後も広がっていくことでしょう

战后,因为从其他地方来到东京的人不断增加,说老东京话的人成了少数。使用一种语言的人越多,这种语言就常常会往简单的说法变化。例如“寝られる・来られる”的简单说法“寝れる・来れる”就已经传播开来。“普通话”的变化今后也会越来越多吧。

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