「先生の生き方を他山の石として頑張っていきます。」 ― このように,「他山の石」という言葉は,「自分が手本にしたい目上の人の良い行い」という意味でしばしば用いられているようです。しかし,本来の意味は違っており,冒頭の言い方では「先生」に失礼な発言をしたことになってしまいます。

“我会将您的生活方式视作他山之石努力奋斗的。”——像这样,“他山之石”这个成语常常会被当作“自己想要学习的长辈的良好品行”的意思而使用。但这种用法却与本来的意思大相径庭,文章开头的那种说法其实对“老师”是十分失礼的。

問1 「他山の石」の本来の意味を教えてください。

问题1.请问“他山之石”本来的意思是什么?

答 「他山の石」は,中国最古の詩集「詩経しきょう」にある故事に由来する言葉です。「よその山から出た粗悪な石も自分の宝石を磨くのに利用できる」ことから「他人のつまらぬ言行も自分の人格を育てる助けとなる」という意味で使われてきました。

答:“他山之石”这个成语源自于中国最早的诗集《诗经》中的一个故事。意为别的山上的粗石也可以用来琢磨自己的玉器,后比喻他人没有意义的言行也会有助于自己人格的发展

まず,「他山の石」を国語辞書で調べてみましょう。

首先,让我们查一下国语辞书中对“他山之石”的解释。

・「広辞苑」第6版(平成20年 岩波書店)

たざんのいし【他山の石】 (「他山の石以もって玉を攻おさむべし」より)自分の人格を磨くにの役立つ他人のよくない言行や出来事。「―とする」 ▽本来,目上の人の言行について,また,手本となる言行の意では使わない。

・《广辞苑》第6版(2008年 岩波书店)

他山之石(来自“他山之石,可以攻玉”):能磨练自己人格的别人的不好言行与作为。例句:“作为—。”。原本不能用于长辈的言行,也不能用于作榜样的意思。

・「大辞林」第3版(平成18年 三省堂)

他山の石 「他山の石以もって玉を攻おさむべし」に同じ。「友人の失敗を―とする」

・《大辞林》第3版(2006年 三省堂)

他山之石:同“他山之石,可以攻玉”。例句:“将朋友的失败视作—。”。

どちらの辞書も「他山の石」は,「他山の石以もって玉を攻おさむべし」と同じ意味としています。では,この言葉の意味を辞書で改めて確認してみましょう。

两个词典都写着“他山之石”与“他山之石,可以攻玉”意思相同。那么,让我们再确认一下后者的意思。

・「広辞苑」

他山の石以て玉を攻むべし(よその山から出た粗悪な石でも,自分の宝石を磨く役には立つという意味から)自分より劣っている人の言行も自分の知徳を磨く助けとすることができる。

・《广辞苑》

他山之石,可以攻玉:原意是别的山上的粗石,也可以用来琢磨自己的玉器。现在的意思是:不如自己的人的言行也能磨练自己的智德。

・「大辞林」

他山の石以て玉を攻むべし よその山から出た粗悪な石も自分の玉を磨くのに利用できるの意から,他人のつまらぬ言行も自分の人格を育てる助けとなりうることのたとえ。

・《大辞林》

他山之石,可以攻玉:原意是“别的山上的粗石,也可以用来琢磨自己的玉器”,后引申出了“他人没有意义的言行也会有助于自己人格的发展”的比喻。

このように「他山の石」は,他人の誤った言行やつまらない出来事でもそれを参考にしてよく用いれば,自分の修養の助けとなるという意味を示しています。また「広辞苑」のように,目上の人の言行や手本となる言行の意味には本来用いないと指摘している辞書や,似た言葉として,「人のふり見て我がふり直せ」を挙げている辞書(「成語大辞苑」主婦と生活社 平成7年)もあります。

综上所述,“他山之石”的意思是即便是别人的错误言行或没有意义的行为,只要加以参考引以为戒,也可以提高自己的修养。一些词典像《广辞苑》还指出了没有“长辈的言行”或“模范言行”的意思。有的词典还例举了类似的成语“以人为镜,反躬自省”(《成语大辞苑》主妇与生活出版社 1995年)。

続いて,実際の文章の中で「他山の石」がどのように使われているか見てみましょう。次に挙げるのは寺田寅彦の「科学と文学」という文章です。

接下来让我们看一下在实际文章中“他山之石”是如何使用的吧。下面的例文来自寺田寅彦的文章《科学与文学》。

文学者の文学論,文学観はいくらでもあるが,科学者の文学観は比較的少数なので,いわゆる他山の石の石くずぐらいにはなるかもしれないというのが,自分の自分への申し訳である。(寺田寅彦「科学と文学」昭和8年)

虽然文学家的文学论和文学观多种多样,但科学家的文学观却较为单一,我之所以将其比作所谓的他山之石的碎块,其实是给自己找的口实。(寺田寅彦《科学与文学》1933年)

この文章で著者は,謙遜しながらも,科学者である自身の文章が文学に興味を持つ人々にとっても,「いわゆる他山の石の石くず」程度になるのではないかと記しています。つまり,文学の世界から見れば「よその山」にいる自分が科学者の立場から書いた文学論であっても,読者の参考になるところがあるのではないかと言っているわけです。「他山の石」の効果的な使い方といえるでしょう。

这篇文章的作者谦逊之余,也写出了身为科学家的自己的文章对热爱文学的人来说,可能就如“所谓的他山之石的碎块”一般的担忧。换言之,作者想表达的是,从文学的世界看来,自己站在科学家这座“他山”上所写的文学论,对读者来说大概也有参考价值。这可谓是“他山之石”的教科书式用法。

問2 「他山の石」について尋ねた「国語に関する世論調査」の結果を詳しく教えてください。

问题2.“国语知识社会调查”中关于“他山之石”的结果如何?

答 16~19歳では「他人の良い言行は自分の行いの手本となる」を,30代以上では「他人の誤った言行も自分の行いの参考となる」を選んだ人が多くなっています。

答:16~19岁这一年龄层认为是“将别人的良好言行当作榜样”的意思。30岁以上的年龄层则更多地选择了“将别人错误的言行引以为戒”。

平成16年度の「国語に関する世論調査」で,「他山の石」の意味を尋ねました。結果は次のとおりです。(下線を付したものが本来の意味。)

2004年的“国语知识社会调查”中曾调查过“他山之石”的意思。结果如下。(划线答案为正确的意思。)

(ア)他人の誤った言行も自分の行いの参考となる・・・・・・・・・・・・・・ 26.8%

(イ)他人の良い言行は自分の行いの手本となる・・・・・・・・・・・・・・・・ 18.1%

(ウ)(ア)と(イ)の両方の意味で使う ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5.5%

(エ)(ア)と(イ)のどちらの意味でも使わない ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22.4%

分からない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 27.2%

A.将别人错误的言行引以为戒・・・・・・・・・・・・・・ 26.8%

B.将别人的良好言行当作榜样・・・・・・・・・・・・・・・・ 18.1%

C.A和B都对・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5.5%

D.A和B都不对・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22.4%

不知道・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 27.2%

他山の石

他山之石

年代別の結果を示すグラフからも分かるとおり,16~19歳では「他人の良い言行は自分の行いの手本となる」を選んだ人が本来の意味を選んだ人の割合を上回っています。20代になるとその割合が本来の意味である「他人の間違った言行も自分の行いの参考となる」を選んだ割合に近くなり,30代以上では本来の意味を選んだ人の方が多いという結果になっています。

从绘有不同年龄层结果的图表中我们可以得知,16~19岁年龄层选择“将别人的良好言行当作榜样”的比例要高于选择正确意思的。而20~30岁年龄层选择错误意思的比例与选择正确意思“将别人错误的言行引以为戒”的比例接近。30岁以上的人则更多地选择了正确意思。

また,この語については,「分からない」を選んだ人が多いのも特徴です。「分からない」を選んだ人の割合は,16~19歳を除く年代で2割台半ばから3割強となっており,特に20代から40代まででは,最も多く選ばれた選択肢になっています。

这个成语的调查结果的另一个特点是很多人选了“不知道”。选择“不知道”的人的比例除去16~19岁年龄层约有两成半到三成多,特别是在20岁到40岁这一范围内是选择人数最多的选项。

例えば,「人のふり見て我がふり直せ」という言葉は,字面を読めばその内容が十分に理解できるのに対し,「他山の石」の場合,それだけでは「よその山の石」という意ですから,知識で補わない限り理解することができません。そのようなこともあって,「他山の石」という言葉は,日常生活で余り使われなくなり,本来とは違う「他人の良い言行は自分の行いの手本となる」と解釈する人や,「分からない」という人が増えているのかもしれません。

举个例子,“以人为镜,反躬自省”这个成语,单看字面就能理解其意思。而“他山之石”单看字面,只有“别的山上的石头”的意思,不补充相关知识就无法理解。也许正是因此,“他山之石”这个成语在日常生活中渐渐不为人使用,误认为是“将别人的良好言行当作榜样”的人和“不知道”的人才不断增加。

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