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戦国武将・武田信玄の軍師として知られ、NHKの大河ドラマの主人公にもなった山本勘助。一般の知名度とはうらはらに、歴史学界では実在が疑問視されていた。だが、そんな勘助の存在を示唆する書状が群馬県で見つかった。

众所周知的战国武将·武田信玄的军师,出现在NHK大河剧的主人公——山本勘助。与其知名度相反的是,历史学界中怀疑该人物是否实际存在。然而,在群马县找到了证明勘助实际存在的文书。

同県安中市の市学習の森ふるさと学習館の佐野亨介学芸員らが昨年5月、市内の旧家で見つけた。山梨県立博物館の海老沼真治学芸員が調べたところ、使われている紙や書状の様式、筆遣いなどから16世紀後半~17世紀初頭のものと判明した。

文书是同县安中市市学习林地的乡土学习馆学员佐野亨介和其他几位学员去年5月在市内旧宅中发现的。根据山梨县立博物馆的海老沼真治学员调查的结果,从文书所使用的纸张,文书的格式,执笔等断定其是16世纪后半~17世纪初的物品。

書状は武田信玄の花押(サイン)が入ったもの。2通あり、あて名は「山本菅介」「山本菅助」となっていた。

文书中含有武田信玄的花押,共计2封,收信人的名字是“山本菅介”、“山本菅助”。

「菅介」あての書状は、菅介の信州・伊那での活躍を賞し、百貫文を与えると述べている。「菅助」あては、信玄が菅助に宿老・小山田信有の病状を見てくるよう命じた内容だ。

给“菅介”的文书记载着“犒赏菅介于信州·伊那的活跃表现,赏钱百贯文”。给“菅助”的文书内容则是信玄命菅助探望老臣·小山田信有的病情。

海老沼さんは書状について「『山本かんすけ』という人物が、大きな武功を立てて褒賞を受けたことや、信玄の側近的な地位にいて武略にかかわる職務に携わっていたことをうかがわせる」と指摘する。

海老沼对于文书内容指出“从他立下赫赫战功,受到犒赏及侍奉信玄左右可以看出‘山本KanSuKe’这个人物的官职与军务相关。”

勘助は江戸時代の軍学書「甲陽軍鑑」に登場する。だが、この書は他の記録との矛盾が多く、他の史料にも名前が見あたらないため、歴史学者の間では勘助の実在を疑う声が強かった。「甲陽軍鑑」以外では、60年代に発見された武田信玄の書状に「山本菅助」の名が出ている。

勘助首次在江户时代的军略书籍《甲陽軍鑑》中登场。不过,该书多处与其他记载相矛盾,由于在其他史料中未找到这个名字,历史学家中对勘助存在真实性表示怀疑的呼声不绝。除了《甲陽軍鑑》之外,60年代发现的武田信玄的文书中也出现了“山本菅助”的名字。

戦国時代の文書では異なる漢字を使った人名表記は珍しくない。山本勘助と同じ音を持つ武将が信玄の側近にいたことが明らかになったことで、これまで歴史学界で大勢を占めてきた非実在説は修正を迫られることになりそうだ。

在战国时代文书中以不同的汉字记录人名的情况并不罕见。因此现在明确了过去存在和山本勘助姓名同音的武将侍奉信玄左右,迄今为止在历史学界中占多数派的“非实在说”面临即将修正的严峻考验。

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