しつけ」で 北海道の山林に置き去りにされ、小学2年生の田野岡大和君(7)が行方不明に行方がわからなくなった事件を受け、日本では今、「親のしつけのあり方」が議論されている。いくら「しつけ」のためとはいえ、クマも出没するような山林の中に子どもを置き去りにするのはやりすぎではないか、というのが一般的な意見だが、実際はこれに似たことをしている親は少なくないのではないかと思う。

小学2年级学生田野冈大和(7岁)在“教育”的过程中被独自丢在北海道的山林里后下落不明的事件,现在在日本掀起了有关"父母教育的正确方法"的讨论。虽然一般的意见认为就算是为了教育,把孩子独自扔在可能会有熊出没的山林之中的做法也太过火,可实际做出类似行径的父母并不在少数。

今回のケースは、“北海道の山林で”置き去りにし、しかもその後に行方不明になっているので、ここまで大きく報道されたが、公園やスーパーなどで言うことを聞かない子どもに対し、「そんなに言うことを聞かないなら、置いて帰るよ!」と言ったことのある親は少なくないだろう。この事件の親のように、実際に500m位離れてみたり、5~10分して戻るといった罰を与えたことのある親もいるかもしれない。この事件は結果として行方不明になっているから、世間に「ダメ親」として叩かれているが、実際はこれに近いことをしている人は日本中にごまんといるのだと思う。

这次的事件是因为孩子被独自丢在“北海道的山林里”,之后又下落不明才被大规模报道。而在公园或超市等地方,对不听话的孩子说过“你既然那么不听话,我就把你扔在这自己回去了!”的父母应该不在少数。可能也有父母像这起事件的父母一样,真的离开500米,过5~10分钟再回来以惩罚孩子。这起事件因为最后孩子下落不明,社会上才会批评其父母为“没用的父母”。但实施类似惩罚的父母日本应该大有人在。

今回の山林の置き去り事件については、「山林なんて危ない場所に置き去りにするなんて!」という批判も多いが、場所がどうという問題ではなく、そもそも「置いて帰る」という罰の与え方自体が問題なのではないだろうか。

对于本次的山林弃童事件,社会上的批判声音大多是“不应该把孩子扔在山林这种危险的地方不管”。然而问题不在于场所安全与否,“丢下不管”这种惩罚方式自身是否就存在问题呢?

以前、このブログで、「出ていきなさい!」と叱る日本人の親と欧米人教育の違いという記事を書いた。これには、日本人の親は「家族」という一種のコミュニティーから追い出すことを最大の罰として捉えており、「家の外に出す」という手段を使って子どもを躾けている人が多い、と書いた。筆者の知り合いの日本人の旦那さんと結婚したフランス人女性はこう語っている。

「日本人は自分がされると一番嫌なことが、コミュニティーの外に出されることなのではないかと思います。子どもが学校でするいじめも仲間外れにするやり方が多い。これは大半の日本人が“仲間に入れないこと”が最大のダメージだと考えるからです。」

本博客之前写过一篇名为《大吼“滚出家门!”的日本父母与欧美人教育的不同之处》的文章,其中提到日本父母把逐出“家庭”这种从某种群体中驱逐出去视作是对孩子最大的惩罚,很多人会通过“逐出家门”的方式来教育孩子。笔者相识的一位与日本人结婚的法国女性如是说道:

“我认为日本人最不愿意面对的事情就是被逐出群体。孩子在学校欺凌他人时也多是将其排斥在外。因为大多数日本人将‘被排斥在外’视为最大的伤害。”

今回の置き去り事件を報道した新聞では、小石を人や車に投げつけるなどしたため、両親が「悪いことをするとこうなる」と言う意味で置き去りにしたとあるが、この親も「悪いことをすると一人ぼっちになる」、「悪いことをすると家族という集団に入れない」ということを意識的にせよ、無意識的にせよ、教えようとしたのではないだろうか。しかし、本来なら、家族というコミュニティーはどんなことがあっても追い出されることない絶対的な場所であるべきだと思う。世間でどんなにダメ人間扱いされても、いつでも帰ってこられる場所が家族。このベースとなる安心感を子どもに与える責任が親にはあるのではないだろうか。海外に比べ、日本の家族関係が希薄だと言われるのは、こんな親からの罰の与え方にも起因しているかもしれない。

据报道这次弃童事件的报纸记载,是因为孩子拿小石头扔了人和车,父母为了让他认识到做坏事的后果才将其抛弃在山林里。这对父母有意无意之间应该也是想教给孩子“做了坏事会让你被孤立”、“做了坏事就不能再融入家庭”的道理。但是,家庭这个群体本身就应该是无论发生什么都不会被赶出去的最可靠的港湾。家是无论在社会上被如何否定,也随时都可以回去的地方。给孩子这一最基本的安心感难道不应该是父母的责任吗?与外国相比,日本的家庭关系之所以薄弱,父母的这种惩罚方式可能就是起因。

勘当」という言葉を辞書で調べてみると、大辞林 第三版の解説にはこのように書かれている。

かんどう【勘当】( 名 ) スル

①江戸時代,親が子の所業をこらしめるために親子の縁を絶ったこと。武士は管轄の奉行所,町人は町奉行所で登録した。この登録のないものは内証勘当といった。追い出し久離(きゆうり)。また,主従、師弟関係を絶つことにもいった。

笔者查了一下词典中对「勘当」(断绝关系)一词的解释,大辞林 第三版的解释为:

①江户时代,父母为惩戒子女的所为而与其断绝亲子关系。武士在管辖的奉行所,城镇居民在城奉行进行登记。没有登记的情况被叫做私下断绝关系。逐出家门声明。也指断绝主仆、师徒关系。

江戸時代の「勘当」の慣習が現在も少し残っている、と言えなくない。「そんなことをしたら親子の縁を切るぞ」という脅し文句をあまりにも簡単に口にしてしまう人がいるのも、こういった日本の文化背景が原因のひとつではないだろうか。

江户时代的“勘当”习惯至今仍有少许残留。很多人能轻易说出“你再这样我就跟你断绝亲子关系”这种威胁的话,日本的文化背景可能也是原因之一。

家から追い出す、「置いて帰るよ」と言って脅すなどの罰の与え方は、子どもから家庭に対する安心感を奪うだけでなく、コミュニティーから外れることに対する恐怖心を植え付けることにもなる。「コミュニティーに属さない人は悪い人間」という間違った概念が生まれてしまかもしれないし、常に集団に依存しなくては不安で生きていけない集団依存型人間になってしまうかもしれない。とはいえ、親だって完璧ではないし、いつなんどきも正しいしつけができる親なんていない。しかし、子どものうちから「そんなことすると、うちの家族に入れなくなるよ」という言葉で脅すのは、やはりしつけとして褒められたやり方ではない。

“逐出家门”、“威胁丢下不管”这些惩罚方式不仅夺去了孩子对家庭的安心感,也在孩子的心中植下了对“被群体排斥在外”的恐惧。孩子们可能还会产生“群体之外即为坏人”的错误观念,变成只有长久依靠群体才能安心生活下去的群体依赖型的人。虽然父母自身也非完人,做不到无论何时都绝对正确,但吓唬孩子“你那样做,就不再是这个家的一员啦”,实在算不上是值得称赞的教育方法。

子どもに「追い出すよ」、「置いて帰るよ」と叱る親は、親自身が「家族が絶対的なものではない」と不安を感じており、また何らかのコミュニティーから外されることに恐怖心を抱いているのではないだろうか。まずはこの親の意識から変えていく必要がある。

以“把你赶出家门”、“把你丢在这里”等话语吓唬孩子的父母,自身是否也对家庭的绝对性感到不安,亦或是对被群体排斥在外心存恐惧。改变需要首先从父母的认知开始。

今回の山林置き去り事件は、単なる「ダメ親が起こした可哀想な事件」というよりも、日本人全体が共通して持っている「仲間はずれにされる恐怖心」を見事なまでに表した事件であるように感じるのは筆者だけだろうか。

这次的山林弃童事件,与其说是单纯的“无能父母造成的可悲事件”,笔者认为更应该是全体日本人对“被群体排斥”的恐惧的典型展现。

この事件がこれだけ世間で騒がれるのも、この恐怖心を誰もが持っており、「置いていくよ」と言われて嫌な思いをした経験のある大人が多いからだという気がしてならない。

这起事件之所以在社会上激起如此大的反响,是因为每个人都对此心存恐惧,想必很多大人都有过被说“丢下你不管喽”的不堪经历。

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