泉 鏡花(いずみ きょうか)

(1873年11月4日 - 1939年9月7日)

代表作:『高野聖』、『婦系図』、『歌行燈』、『夜叉ヶ池』

生平:泉镜花生于日本石川县金泽市,是日本明治后期至昭和初期活跃的小说家、剧作家,师从尾崎红叶,被评价为近代幻想文学的先驱者。泉镜花在儿时失去母亲,对亡母的憧憬构成了其作品的幻想基调。65岁时因病逝世。

作品节选:

高野聖

こう身の上を話したら、嬢様を不便がって、薪を折ったり水を汲む手助けでもしてやりたいと、情が懸ろう。本来の好心(すきごころ)、いい加減な慈悲じゃとか、情じゃとかいう名につけて、いっそ山へ帰りたかんべい、はて措かっしゃい。あの白痴殿の女房になって世の中へは目もやらぬ換にゃあ、嬢様は如意自在、男はより取って、飽けば、息をかけて獣にするわ、殊にその洪水以来、山を穿ったこの流は天道様がお授けの、男を誘う怪しの水、生命を取られぬものはないのじゃ。

天狗道にも三熱の苦悩、髪が乱れ、色が蒼ざめ、胸が痩せて手足が細れば、谷川を浴びると旧の通り、それこそ水が垂るばかり、招けば活きた魚も来る、睨めば美しい木の実も落つる、袖を翳せば雨も降るなり、眉を開けば風も吹くぞよ。

しかもうまれつきの色好み、殊にまた若いのが好じゃで、何かご坊にいうたであろうが、それを実としたところで、やがて飽かれると尾が出来る、耳が動く、足がのびる、たちまち形が変ずるばかりじゃ。

婦系図

早朝日の出の色の、どんよりとしていたのが、そのまま冴えもせず、曇りもせず。鶏卵色に濁りを帯びて、果し無き蒼空にただ一つ。別に他に輝ける日輪があって、あたかもその雛形のごとく、灰色の野山の天に、寂寞として見えた――

風は終日無かった。蒸々と悪気の籠った暑さは、そこらの田舎屋を圧するようで、空気は大磐石に化したるごとく、嬰児の泣音も沈み、鶏の羽さえ羽叩くに懶げで、庇間にかけた階子に留まって、熟(じっ)と中空を仰ぐのさえ物ありそうな。透間に射し入る日の光は、風に動かぬ粉にも似て、人々の袖に灰を置くよう、身動にも払われず、物蔭にも消えず、細かに濃く引包まれたかの思がして、手足も顔も同じ色の、蝋にも石にも固るか、とばかり次第に息苦しい。

解说:

川端康成曾评价泉镜花“赋予文字丰富而又变幻莫测的含义,在这一点上无人能敌”。中岛敦在随笔中写过“如果生为日本人或者理解日语却不读泉镜花的作品,这无异于抛弃作为日本人的特权。”与当时盛行的自然主义文学不同,泉镜花的小说充满了幻想的浪漫主义元素,行文如能乐一般优美流畅,深受同时代及后世的众多作家的赞赏尊敬。

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