美食

日本如今许多的家常美食在江户时代就已经存在了,它们经历了百年的变迁,不断改良创新,满足着不同时代人们的味蕾。且看下文开始拉仇恨。

声明:本双语文章的中文翻译系沪江日语原创内容,转载请注明出处。中文翻译仅代表译者个人观点,仅供参考。如有不妥之处,欢迎指正。

相关阅读推荐:

探寻日本美食:江户时代人们吃什么

令人意外的书签:夹在书中的食物

深川饭

■深川めし

■深川饭

アサリを他の具(長葱、油揚げなど)とともに醤油などで味付けをして煮る。その煮汁を加えて飯を炊き、炊き上がったら具を戻してかきまぜる。

将蛤仔或者其他配料(长葱、油炸豆腐等)一起用酱油等调味熬煮。把煮好的汤汁淋入饭中,烧好之后将配料加入搅拌着吃。

泥鳅锅

■どぜう

■泥鳅锅

大ぶりのどじょうは開いて頭と内臓を取り、小さいどじょうはそのままで、ネギやゴボウとともに割下で煮て卵で綴じた柳川鍋とされることが多い。卵で綴じないものはどぜう鍋と呼ばれる。

将大泥鳅开膛去除头部和内脏,小泥鳅保持原样,与葱、牛蒡等食材一起浇上特制佐料汁放在锅中烹煮,而在上方再盖上一层鸡蛋的大多称为“柳川锅”。没有浇上鸡蛋的做法称为“泥鳅锅”。

鲔鱼大葱锅

■ねぎま鍋

■鲔鱼大葱锅

江戸時代の天保以降マグロが食されるようになり、当時は赤身は主に醤油に漬けて保存された。この保存法をヅケ(漬け)というが、醤油をはじき返す脂身(現代に言うトロ)の部分は腐るだけの余り物で、肥料にされるか廃棄された。しかし庶民はこれを上手く工夫して調理、ネギと共に煮たもの(多くの場合は醤油味)が葱鮪鍋、吸物仕立にしたものが葱鮪汁である。

江户时代的天保年间,人们开始食用金枪鱼,当时主要是把鱼肉浸入酱油里保存。这是种被称为腌制的保存方法,浸泡在酱油里的金枪鱼脂肪部分(现代称トロ)只会腐烂是用不到的部位,就变为肥料被丢弃。不过平民将这一部分用绝妙的手法烹调,把葱一同放入其中煮制(多数情况下是酱油味)的葱鲔鍋,用清汤制作的叫作葱鲔汁。

鮟鱇锅

■あんこう鍋

鮟鱇锅

江戸時代の頃には「三鳥二魚」と呼ばれる5大珍味の1つに数えられていた。水戸藩から皇室に献上されていた郷土料理である。三鳥二魚とは、鳥=鶴(ツル)、雲雀(ヒバリ)、鷭(バン)、魚=鯛(タイ)、鮟鱇(アンコウ)のことである。

江户时代时被称为“三鸟二鱼”的5大珍味的其中一种。是水户藩献给皇室的一种乡土料理。三鸟二鱼:鸟是仙鹤、云雀、鷭,鱼=鲷鱼、鮟鱇。

鳗鱼

■うなぎ

■鳗鱼

徳川家康時代の江戸では、江戸湾の干拓事業に伴い多くのウナギが獲れたため、ウナギのことを「江戸前」と呼び、ウナギの蒲焼が大いに流行した。

在德川家康时代的江户,伴随江户湾的开拓事业,捕获了大量鳗鱼,鳗鱼被称作“江户前”,蒲烧鳗鱼大肆流行。

寿司

■寿司

■寿司

「半熟れ」という酢を加え醗酵を早めた寿司が文化元年(1804年)ごろ流行していた。

早期的寿司是用被称为“半生熟”的醋进行发酵,在文化元年(1804年)左右流行起来的。

江戸前握りずしの創案者は、両国は「與兵衛鮓(よへいずし)」の華屋與兵衛とも安宅の「松之鮨(まつのずし)」、堺屋松五郎ともいわれる。

两国的“与兵卫寿司”华屋与兵卫和安宅的“松之鮨”堺屋松五郎并称江户前握寿司的创始人。

天妇罗

■天ぷら

■天妇罗

天ぷらの形が出来上がった江戸時代前期は、「天ぷら屋」と呼ぶ屋台において、串にさした揚げたての天ぷらを立ち食いする江戸庶民の食べ物であり、屋台ではなく天ぷら店として店舗を構えるようになったのは幕末近くであった。

天妇罗这道料理大致形成于江户时代前期,在叫作“天妇罗屋”的摊子里,把天妇罗串在扦子上油炸,是江户平民们站着享用的一种食物。不是小摊而是拥有店铺的天妇罗店是在接近幕末时才出现的。

鸭南蛮

■鴨南蛮

■鸭南蛮

醤油をベースにした温かい汁で食べるぶっかけそばが、江戸時代中期に広まった。そこに鴨肉とネギを乗せて鴨南蛮の形にしたのは、日本橋馬喰町にあった「笹屋」とされる。一寸五分ほどのネギを縦に割って炒め、鴨肉を加えて煮たものを乗せたこの鴨南蛮は、当時の好みに合い繁盛したという。

以酱油为基础加入温热的汤汁浇入荞麦面中,在江户时代中期广泛流传的料理。而加入鸭肉和葱形成鸭南蛮的这种形式,是开始于日本桥马喰町称为“笹屋”的地方。将一寸五公分左右的葱横切后爆炒,加入鸭肉同煮装入其中的鸭南蛮,被认为是合乎当时口味的食物而受欢迎。