中島敦(なかじま・あつし)

(1909.5.5——1942.12.4)

代表作:『山月記』『李陵』『文字禍』『悟浄出世』

生平:中岛敦生于东京的儒学世家,精通汉文。1933年从东京帝国大学国文学系毕业,毕业论文题为「耽美派の研究」。33岁由于哮喘病恶化逝世。中岛敦的作品多借用中国古代故事来分析近代知识分子的苦恼,格调高雅,思想深刻。

注:「耽美派」即「耽美主義」,又称为「唯美主義」。是废除道德功利性,以美的享受和形成为最高价值的西欧艺术风潮。日本耽美派的代表作家有谷崎润一郎、泉镜花、永井荷风等。

作品节选:

山月記(さんげつき)

今思えば、全く、己(おれ)は、己の有(も)っていた僅(わず)かばかりの才能を空費して了った訳だ。人生は何事をも為(な)さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄(ろう)しながら、事実は、才能の不足を暴露(ばくろ)するかも知れないとの卑怯(ひきょう)な危惧(きぐ)と、刻苦を厭(いと)う怠惰とが己の凡(すべ)てだったのだ。

李陵(りりょう)

司馬遷(しばせん)はその後も孜々(しし)として書き続けた。

この世に生きることをやめた彼は書中の人物としてのみ活(い)きていた。現実の生活ではふたたび開かれることのなくなった彼の口が、魯仲連(ろちゅうれん)の舌端(ぜったん)を借りてはじめて烈々(れつれつ)と火を噴くのである。あるい)は伍子胥(ごししょ)となって己(おの)が眼を抉(えぐ)らしめ、あるいは藺相如(りんしょうじょ)となって秦王(しんおう)を叱(しっ)し、あるいは太子丹(たいしたん)となって泣いて荊軻(けいか)を送った。楚(そ)の屈原(くつげん)の憂憤(うっぷん)を叙して、そのまさに汨羅(べきら)に身を投ぜんとして作るところの懐沙之賦(かいさのふ)を長々と引用したとき、司馬遷にはその賦がどうしても己(おのれ)自身の作品のごとき気がしてしかたがなかった。

解说:

《山月记》是中岛敦最有名的短篇小说,一般为日本高中二年级学生的必修课文。小说讲述了生性倨傲的诗人官吏李征在自尊心和自卑心的矛盾冲突下,化身为虎不复人形并偶遇旧友袁傪的故事。这部有名作品还出了很多声优朗读剧版本,如有限会社Beepa2006年发售的三木真一郎&小西克幸朗读版、星海社2011年发售的坂本真绫朗读版,以及海王社2014年发售的小野大辅朗读版。

题外话:

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